2016年 12月 09日
漱石のベートーヴェン |
2016年12月9日(金)
年末といえば第九だが、日本で初めてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏されたのは、徳島県板東町(現鳴門市)の板東俘虜収容所で1918年6月1日に、ドイツ兵捕虜により全曲演奏がなされたものとされている。また公式の本邦初演は、その6年後の1924年(大正13)11月29日、東京音楽学校の第48回定期演奏会において東京音楽学校のメンバーがドイツ人教授、グスタフ・クローンの指揮によって演奏された。コンサートミストレスは幸田幸(幸田露伴の妹)、その時、聴衆の中には物理学者で随筆家の寺田寅彦がいた。その時の寅彦の感動は尋常ではなく、興奮は1か月以上も続いたと記されている。 寺田寅彦は随筆集「柿の種」を見ても彼の音楽好きがよくわかる。関東大震災が起きた年、この第九で感動する前年、45歳のときにはこうも記している。
切符をもらったので、久しぶりに上野音楽学校の演奏会を聞きに行った。あそこの聴衆席にすわって音楽を聞いていると、いつでも学生時代の夢を思い出すと同時にまた夏目先生を想い出すのである。
オーケストラの太鼓を打つ人は、どうも見たところあまり勤めばえのする派手な役割とは思われない。
何事にも光栄の冠を望む若い人にやらせるには、少し気の毒なような役である。しかし、あれは実際はやはり非常にだいじな役目であるに違いない。そう思うと太鼓の人に対するある好感をいだかせられる。
ロシニのスタバト・マーテルを聞きながら、こんなことも考えた。ほんとうのキリスト教はもうとうの昔に亡びてしまって、ただ幽かな余響のようなものが、わずかに、こういう音楽の中に生き残っているのではないか。
(大正十二年一月 渋柿)
寅彦は夏目漱石の弟子でもあった。漱石は邦楽に関しては、かなり造詣が深かった。それは小説にもよく出てくるが、とくに謡いは得意で自らもうたった。ただ、33歳でイギリス留学をしたものの洋楽に関しては無知であった。ところが寅彦を通じて徐々に興味を持つようになり、いずれは連れられて演奏会にも出向くようになる。そこで漱石は何を耳にしたのか?
漱石の1913年(大正2)12月6日の日記に記されている。「演奏会に行く」とあって、誰と行ったかはわからないが、この日も演奏会は東京音楽学校の奏楽堂で催され、クローンの就任披露演奏会でもあった。当時の残された記録からして、ベートーヴェンの「エグモント」序曲、それに同じくベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲であった。独奏者はクローンが務めたが、このクローン教授は日本での功績は大であって、ベートーヴェンの交響曲の6曲を本邦初演したとされている。漱石はこの日の演奏会を聴いてどんな印象を持ったのだろうか?
漱石はこの演奏会から3年後の1916年12月9日に49歳で世を去った。今日から遡ってちょうど100年前のことである。
ベートーヴェン:
劇音楽「エグモント」Op.84序曲
ロンドン交響楽団
アルトゥール・ニキシュ(指揮)
(25 June 1913, London)
ただ一つつけ加えておこう。漱石の長男夏目純一はヴァイオリニストであった。
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年末といえば第九だが、日本で初めてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏されたのは、徳島県板東町(現鳴門市)の板東俘虜収容所で1918年6月1日に、ドイツ兵捕虜により全曲演奏がなされたものとされている。また公式の本邦初演は、その6年後の1924年(大正13)11月29日、東京音楽学校の第48回定期演奏会において東京音楽学校のメンバーがドイツ人教授、グスタフ・クローンの指揮によって演奏された。コンサートミストレスは幸田幸(幸田露伴の妹)、その時、聴衆の中には物理学者で随筆家の寺田寅彦がいた。その時の寅彦の感動は尋常ではなく、興奮は1か月以上も続いたと記されている。
切符をもらったので、久しぶりに上野音楽学校の演奏会を聞きに行った。あそこの聴衆席にすわって音楽を聞いていると、いつでも学生時代の夢を思い出すと同時にまた夏目先生を想い出すのである。
オーケストラの太鼓を打つ人は、どうも見たところあまり勤めばえのする派手な役割とは思われない。
何事にも光栄の冠を望む若い人にやらせるには、少し気の毒なような役である。しかし、あれは実際はやはり非常にだいじな役目であるに違いない。そう思うと太鼓の人に対するある好感をいだかせられる。
ロシニのスタバト・マーテルを聞きながら、こんなことも考えた。ほんとうのキリスト教はもうとうの昔に亡びてしまって、ただ幽かな余響のようなものが、わずかに、こういう音楽の中に生き残っているのではないか。
(大正十二年一月 渋柿)
寅彦は夏目漱石の弟子でもあった。漱石は邦楽に関しては、かなり造詣が深かった。それは小説にもよく出てくるが、とくに謡いは得意で自らもうたった。ただ、33歳でイギリス留学をしたものの洋楽に関しては無知であった。ところが寅彦を通じて徐々に興味を持つようになり、いずれは連れられて演奏会にも出向くようになる。そこで漱石は何を耳にしたのか?
漱石の1913年(大正2)12月6日の日記に記されている。「演奏会に行く」とあって、誰と行ったかはわからないが、この日も演奏会は東京音楽学校の奏楽堂で催され、クローンの就任披露演奏会でもあった。当時の残された記録からして、ベートーヴェンの「エグモント」序曲、それに同じくベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲であった。独奏者はクローンが務めたが、このクローン教授は日本での功績は大であって、ベートーヴェンの交響曲の6曲を本邦初演したとされている。漱石はこの日の演奏会を聴いてどんな印象を持ったのだろうか?
漱石はこの演奏会から3年後の1916年12月9日に49歳で世を去った。今日から遡ってちょうど100年前のことである。
ベートーヴェン:
劇音楽「エグモント」Op.84序曲
ロンドン交響楽団
アルトゥール・ニキシュ(指揮)
(25 June 1913, London)
ただ一つつけ加えておこう。漱石の長男夏目純一はヴァイオリニストであった。
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by kirakuossan
| 2016-12-09 00:10
| 文芸
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