2016年 09月 11日
文章を作る覚悟 |
2016年9月11日(日)
「ランケとモーロア」を読む。文章を云々して何故ああいふ拙劣な文章を書くか。あれは十枚で書ける。即ちそれだけ間延びしてゐるわけになる。ああいふ短文ででもカッチリしたものを書かうと心掛けてゐないと文章はいつまで経っても上手にならないものである。考へたり読んだりする時間は沢山あるが、原稿を公表する為に文章を作る時間はさう沢山はないものだ。つまらぬ短文ででも文章を作る覚悟をしてゐなければ、文章上達の機を逸して了ふ。
あのテーマでもつと考へを押し進めて又書いて見給へ
小林秀雄
貞二様
(昭和15年頃)
小林秀雄の従弟に西村貞二という西洋史学者がいる。大正2年生まれだから、小林秀雄よりほぼひと回り年少ということになる。この人の書いた随筆集『小林秀雄とともに』、血縁者が語る文章から小林秀雄の素顔が見える。
昭和三十年前後ではなかったかと思う。上野で何かの美術展をみてから鎌倉へ行った。小林宅を無料宿泊所と心得ていた私は、当夜も横着をきめこんで泊めてもらい、チャイコフスキーを聴かせてくれと頼んだ。昼に美術展をみ、興奮気味だったのであろう。翌日、いっしょに創元社へ行った。故青山二郎氏が来合せて酒になった。飲むほどに突然、小林が癇癪玉を破裂させた。
「黙って聞いていりゃあ、美術だのチャイコフスキーだの、ありゃあ、いったい何んの真似だ」
すると、青山二郎までが私を酒の肴にしてからみ出す。ほうほうの態で引き上げたが、くやし涙がしばらくとまらない。かりに私が利いた風なことをいったのが小林の癇にさわったとしても、初対面で赤の他人の青山二郎までが悪態をつくとは。
ふしぎなことに、そういうくやし涙がとまるのである。いったい、飲んで上機嫌なときに浮かべる小林の笑みは天下一品であって、ほれぼれするほど魅力があった。ところがいったん不機嫌になると、もうとりつく島がない。ドイツ旅行中、何度もそういう目に遭ったか。私も歴史家のはしくれ、歴史学では一応プロだ。小林の議論にそう一々相槌を打っていられない。反論すると、
「お前に歴史がわかるか、もっと勉強しろ」
とくる。問答無用である。部屋に帰って地団駄ふんだ。そのくせ、そういう罵倒をすぐ水に流してしまうのは、小林における「無私の精神」いる。を信じるからだ。叱責は激励なのである。しっかりしろ、と。私は小林によって、蹉跌から立ち直る勇気をえたことは数しれない。長年蒙った恩義を、私はいま深い寂寥感のうちでかみしめている。
井伏鱒二が小林秀雄のことを「興奮すると十倍も声が高くなる」と云った。酔いに任せて大声で話すことはよく知られたところであるが、自分に正直で人間臭いところが小林秀雄の魅力でもある。三島由紀夫が、「独創的な文体を作つた作家」として森鴎外、堀辰雄と共に小林秀雄を挙げている。「文体をもたない批評は文体を批評する資格がなく、文体をもつた批評は芸術作品になつてしまふ。なぜかといふと文体をもつかぎり、批評は創造に無限に近づくからである」と述べ、小林秀雄を芸術家とみなした。
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「ランケとモーロア」を読む。文章を云々して何故ああいふ拙劣な文章を書くか。あれは十枚で書ける。即ちそれだけ間延びしてゐるわけになる。ああいふ短文ででもカッチリしたものを書かうと心掛けてゐないと文章はいつまで経っても上手にならないものである。考へたり読んだりする時間は沢山あるが、原稿を公表する為に文章を作る時間はさう沢山はないものだ。つまらぬ短文ででも文章を作る覚悟をしてゐなければ、文章上達の機を逸して了ふ。
あのテーマでもつと考へを押し進めて又書いて見給へ
小林秀雄
貞二様
(昭和15年頃)
昭和三十年前後ではなかったかと思う。上野で何かの美術展をみてから鎌倉へ行った。小林宅を無料宿泊所と心得ていた私は、当夜も横着をきめこんで泊めてもらい、チャイコフスキーを聴かせてくれと頼んだ。昼に美術展をみ、興奮気味だったのであろう。翌日、いっしょに創元社へ行った。故青山二郎氏が来合せて酒になった。飲むほどに突然、小林が癇癪玉を破裂させた。
「黙って聞いていりゃあ、美術だのチャイコフスキーだの、ありゃあ、いったい何んの真似だ」
すると、青山二郎までが私を酒の肴にしてからみ出す。ほうほうの態で引き上げたが、くやし涙がしばらくとまらない。かりに私が利いた風なことをいったのが小林の癇にさわったとしても、初対面で赤の他人の青山二郎までが悪態をつくとは。
ふしぎなことに、そういうくやし涙がとまるのである。いったい、飲んで上機嫌なときに浮かべる小林の笑みは天下一品であって、ほれぼれするほど魅力があった。ところがいったん不機嫌になると、もうとりつく島がない。ドイツ旅行中、何度もそういう目に遭ったか。私も歴史家のはしくれ、歴史学では一応プロだ。小林の議論にそう一々相槌を打っていられない。反論すると、
「お前に歴史がわかるか、もっと勉強しろ」
とくる。問答無用である。部屋に帰って地団駄ふんだ。そのくせ、そういう罵倒をすぐ水に流してしまうのは、小林における「無私の精神」いる。を信じるからだ。叱責は激励なのである。しっかりしろ、と。私は小林によって、蹉跌から立ち直る勇気をえたことは数しれない。長年蒙った恩義を、私はいま深い寂寥感のうちでかみしめている。
井伏鱒二が小林秀雄のことを「興奮すると十倍も声が高くなる」と云った。酔いに任せて大声で話すことはよく知られたところであるが、自分に正直で人間臭いところが小林秀雄の魅力でもある。三島由紀夫が、「独創的な文体を作つた作家」として森鴎外、堀辰雄と共に小林秀雄を挙げている。「文体をもたない批評は文体を批評する資格がなく、文体をもつた批評は芸術作品になつてしまふ。なぜかといふと文体をもつかぎり、批評は創造に無限に近づくからである」と述べ、小林秀雄を芸術家とみなした。
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by kirakuossan
| 2016-09-11 13:20
| 文芸
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