2016年 07月 21日
ピアニスト列伝―26 ラザール・ベルマン |
2016年7月21日(木)
ラザール・ベルマン(Lazar' Berman1930~2005)
ステージでアリス=紗良・オットのラ・カンパネラは何度かアンコールで聴いたことがあるが、先日の読響の演奏会で小菅優のピアノで珍しいリストのピアノ協奏曲第2番を聴いた。ドラマ性があってなかなか好いコンチェルトだった。リストといえば交響詩作曲家ということもあってもともとその楽曲は詩的ではある。当代のリスト弾きといえば誰か、クラウディオ・アラウであり、ジョルジュ・シフラであり、あるいは同郷のスヴャトスラフ・リヒテルを挙げるかもしれない。でも意外と知られていないのがベルマンのリストである。彼のピアニズムがリストの音楽によく合う。まさに硬軟織り交ぜて、なりふり構わず腕力で弾きまくるかと思えば一転、道端の野草を見つけては心落ち着けて愛でるようなピアノを聴かせたりもする。
「巡礼の年」第1年スイスでの、唐突な主題に終始する”ウィリアム・テルの聖堂”や”夕立”で腕力を見せれば、”ワレンシュタインの湖”や”田園曲”、”オーベルマンの谷”あるいは”ノスタルジア”などでは惚れ惚れするようなピアニシモを聴かせてくれる。そこがベルマンの凄いところだ。
幼少時からギレリスをして神童と呼ばせた彼は、1951年のベルリン国際青少年音楽祭と1956年のブダペスト国際音楽コンクールにおいて優勝し、ソ連以外に東欧で、時にはロンドンなどで演奏会を開くなど活発な活動に入った。ハンガリーでは「フランツ・リストの再来」と絶賛された。1975年アメリカデビュー後、活発なレコーディングを行ったが、なぜか日本ではリヒテルやギレリスと比してあまりに知られてこなかった。ごたぶんにもれずソ連当局は断続的にベルマンの海外での演奏旅行を制したが、1990年60歳になって、ついにイタリア入りし、やがてフィレンツェに定住した。イタリアでもミケランジェリと人気を二分するくらいであった。
面白い逸話がある。彼はショパンだけは弾かなかった。その原因は幾度か挑戦したショパン国際ピアノコンクールに入選しなかったことにあった。
日本にも何度か訪れ、愛用したファツィオリ社のピアノで演奏会を催した。またマスタークラスを主宰して日本人のピアニストを教えた。一昨年春、松本でリサイタルを聴いた山岸ルツ子は彼の最後の弟子の一人である。
リスト:
巡礼の年 第1年 スイス S160/R10
No. 5. Orage(夕立)
No. 6. Vallee d'Obermann
チャイコフスキー:
ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op. 23
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
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ラザール・ベルマン(Lazar' Berman1930~2005)
ステージでアリス=紗良・オットのラ・カンパネラは何度かアンコールで聴いたことがあるが、先日の読響の演奏会で小菅優のピアノで珍しいリストのピアノ協奏曲第2番を聴いた。ドラマ性があってなかなか好いコンチェルトだった。リストといえば交響詩作曲家ということもあってもともとその楽曲は詩的ではある。当代のリスト弾きといえば誰か、クラウディオ・アラウであり、ジョルジュ・シフラであり、あるいは同郷のスヴャトスラフ・リヒテルを挙げるかもしれない。でも意外と知られていないのがベルマンのリストである。彼のピアニズムがリストの音楽によく合う。まさに硬軟織り交ぜて、なりふり構わず腕力で弾きまくるかと思えば一転、道端の野草を見つけては心落ち着けて愛でるようなピアノを聴かせたりもする。
「巡礼の年」第1年スイスでの、唐突な主題に終始する”ウィリアム・テルの聖堂”や”夕立”で腕力を見せれば、”ワレンシュタインの湖”や”田園曲”、”オーベルマンの谷”あるいは”ノスタルジア”などでは惚れ惚れするようなピアニシモを聴かせてくれる。そこがベルマンの凄いところだ。
幼少時からギレリスをして神童と呼ばせた彼は、1951年のベルリン国際青少年音楽祭と1956年のブダペスト国際音楽コンクールにおいて優勝し、ソ連以外に東欧で、時にはロンドンなどで演奏会を開くなど活発な活動に入った。ハンガリーでは「フランツ・リストの再来」と絶賛された。1975年アメリカデビュー後、活発なレコーディングを行ったが、なぜか日本ではリヒテルやギレリスと比してあまりに知られてこなかった。ごたぶんにもれずソ連当局は断続的にベルマンの海外での演奏旅行を制したが、1990年60歳になって、ついにイタリア入りし、やがてフィレンツェに定住した。イタリアでもミケランジェリと人気を二分するくらいであった。
面白い逸話がある。彼はショパンだけは弾かなかった。その原因は幾度か挑戦したショパン国際ピアノコンクールに入選しなかったことにあった。
日本にも何度か訪れ、愛用したファツィオリ社のピアノで演奏会を催した。またマスタークラスを主宰して日本人のピアニストを教えた。一昨年春、松本でリサイタルを聴いた山岸ルツ子は彼の最後の弟子の一人である。
リスト:
巡礼の年 第1年 スイス S160/R10
No. 5. Orage(夕立)
No. 6. Vallee d'Obermann
チャイコフスキー:
ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op. 23
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
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by kirakuossan
| 2016-07-21 06:03
| ピアニスト列伝
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