2016年 07月 15日
広津和郎の「久米正雄」評と「チェエホフ」評 |
2016年7月15日(金)
広津和郎の随筆に「久米正雄の成長」というのがある。
久米正雄の「黒蠅」をよんで、大変面白かった。面白いと云う言葉にもいろいろあるが、此作の面白さは、久米正雄は久米正雄の流儀をもって、迂闊には生きて来なかった、と云う事をその作の底に非常にはっきりと示している点にある。この事は非常に平凡な事のようで、実は一番平凡な事ではない。彼大人なるかな、と云う感じをつくづく抱かせる。不思議な柔軟性の表皮の下に、不撓不屈の生きる心、生きる力を、あせらずに、徐ろに育てて来たその成長の跡が、もうすっかり彼自身の味になり切った味でもって、力強く流れているのを感ずる。
ここで広津は「久米正雄は自分の流儀をもって、迂闊には生きて来なかった」と評価する。一方、これと正反対の評を下したのは宇野浩二である。彼は久米正雄をして「一生を殆んど道草をくつて暮らしたやうな生涯」と言った。広津和郎、宇野浩二、それぞれの表現は違うが、どちらもよく性格が現れている。最初は、宇野浩二の言葉の真偽がわからなかったが、今思うに、根底には広津と同じ意味あいの事ではなかったか、とも思うのである。そしてそのこと自身「一生道草・・・」はまさしく宇野そのものではなかったか、それを宇野は婉曲的にいったのではないだろうか。広津・宇野・そして久米、この3人は親しい間柄であった。
また、広津和郎に「チェエホフの強み」という短い随筆がある。翻訳家でもあった彼は、モォパツサンの「女の一生」やドストエフスキーの「貧しき人々」、それにトルストイの作品を手がけたことがある。この「チェホフの強み」では、モォパツサンやトルストイとの比較でチェエホフを浮き彫りにしている。
モオパツサンも彼程に鋭くはなかった。チェエホフから見るとモォパツサンは余程感激家であった。モォパツサンは人生から或物を発見した。そしてその発見に対しても動もすると感激してしまった。感激すると共にその眼がが鈍った。だからモォパツサンには盲断があった。チェエホフも亦人生からいろいろなものを発見した。併し彼には「発見のための発見」は少しもなかった。彼の霊魂は発見の稀らしさのために直ぐ感激したり濁されたりするには、余りにおちつきと聡明とを持っていた。
また、トルストイとの比較では、一つの例を引く。ある金持ちの女がその金をもっていろいろの慈善事業などをして、自分では質素に暮らしている。でも彼女は憂鬱であって、人生が侘しくて物足りなくて苛々している。なぜだか知らないが、どんなに善い行いをしても自分自身は益々つまらなく不幸うになって行くような気がすると彼女は歎いている。チェエホフはそんな彼女に同情し、そして彼女を幸福にしてやりたいと思った。
彼はその女に仕えている老婢の口を藉りて、「あなたは結婚なさい。あなたは大変お金持ちでいらっしゃる。あなたが結婚なさる事は決して道に外れた事ではありません。・・・もし結婚がお厭ならば、兎に角綺麗な男をお持ちなさい。あなたはお金持ちです。決して道に外れた事ではありません。もしその男にお飽きになったならば少しのお金を与えて何時でも別れておしまいなさい。あなたはお金持ちです。決して道に外れた事ではありません。世間の者は決してあなたを非難など致しません。あなたはお金持ちなのですから・・・」と。
これにはチェエホフが如何に人間の虚偽を見逃さないかと云う事と、人を見て道を説く彼の聖者的な風格と、そして彼の人間に対する深い愛と同情とが現れている。
若し、トルストイがこの女を見たらばどんな事をしたろう?彼は直ちに彼女を修道院に入れたに違いない。修道院が彼女を救うべき場処だと思ったに違いない。そして修道院に投げ込んで置いてから慥かに彼女を救ったと思うに違いない。・・・道徳家の愛はこうした形に現れるのが常である・・・
トルストイ的傾向の人間は何時でも群衆に依って英雄視される。且つ自分自身も他に向って自己の偉大を強いている。チェエホフ的傾向の作者は何時でも群衆によって凡人視される。而も自分でもそれに対して何等の不平をも感じていない。けれども群衆によって愛され、且つ群衆を愛している。トルストイ的傾向の人は動もすると凡人を暗示にかける。そして肩をいからかす小トルストイを輩出させる。チェエホフ的傾向の人は凡人を暗示にかけない。彼はしずかに凡人と握手をし、凡人と一緒に仲よく道を歩いて行く。
トルストイは或ものだ。そしてチェエホフは又他の或ものだ・・・
よく見るとここで「トルストイ的傾向の人間は・・・」とあるのに対して「チェエホフ的傾向の作者は・・・」とある。これは広津自身の生き方も示唆しているのだろう。
ところで今日はアントン・チェーホフ(1860~1904年7月15日)の命日である。それとこれは直接には関係ないが、広津和郎の父広津柳浪の生誕日でもある。
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広津和郎の随筆に「久米正雄の成長」というのがある。
久米正雄の「黒蠅」をよんで、大変面白かった。面白いと云う言葉にもいろいろあるが、此作の面白さは、久米正雄は久米正雄の流儀をもって、迂闊には生きて来なかった、と云う事をその作の底に非常にはっきりと示している点にある。この事は非常に平凡な事のようで、実は一番平凡な事ではない。彼大人なるかな、と云う感じをつくづく抱かせる。不思議な柔軟性の表皮の下に、不撓不屈の生きる心、生きる力を、あせらずに、徐ろに育てて来たその成長の跡が、もうすっかり彼自身の味になり切った味でもって、力強く流れているのを感ずる。
ここで広津は「久米正雄は自分の流儀をもって、迂闊には生きて来なかった」と評価する。一方、これと正反対の評を下したのは宇野浩二である。彼は久米正雄をして「一生を殆んど道草をくつて暮らしたやうな生涯」と言った。広津和郎、宇野浩二、それぞれの表現は違うが、どちらもよく性格が現れている。最初は、宇野浩二の言葉の真偽がわからなかったが、今思うに、根底には広津と同じ意味あいの事ではなかったか、とも思うのである。そしてそのこと自身「一生道草・・・」はまさしく宇野そのものではなかったか、それを宇野は婉曲的にいったのではないだろうか。広津・宇野・そして久米、この3人は親しい間柄であった。
また、広津和郎に「チェエホフの強み」という短い随筆がある。翻訳家でもあった彼は、モォパツサンの「女の一生」やドストエフスキーの「貧しき人々」、それにトルストイの作品を手がけたことがある。この「チェホフの強み」では、モォパツサンやトルストイとの比較でチェエホフを浮き彫りにしている。
モオパツサンも彼程に鋭くはなかった。チェエホフから見るとモォパツサンは余程感激家であった。モォパツサンは人生から或物を発見した。そしてその発見に対しても動もすると感激してしまった。感激すると共にその眼がが鈍った。だからモォパツサンには盲断があった。チェエホフも亦人生からいろいろなものを発見した。併し彼には「発見のための発見」は少しもなかった。彼の霊魂は発見の稀らしさのために直ぐ感激したり濁されたりするには、余りにおちつきと聡明とを持っていた。
また、トルストイとの比較では、一つの例を引く。ある金持ちの女がその金をもっていろいろの慈善事業などをして、自分では質素に暮らしている。でも彼女は憂鬱であって、人生が侘しくて物足りなくて苛々している。なぜだか知らないが、どんなに善い行いをしても自分自身は益々つまらなく不幸うになって行くような気がすると彼女は歎いている。チェエホフはそんな彼女に同情し、そして彼女を幸福にしてやりたいと思った。
彼はその女に仕えている老婢の口を藉りて、「あなたは結婚なさい。あなたは大変お金持ちでいらっしゃる。あなたが結婚なさる事は決して道に外れた事ではありません。・・・もし結婚がお厭ならば、兎に角綺麗な男をお持ちなさい。あなたはお金持ちです。決して道に外れた事ではありません。もしその男にお飽きになったならば少しのお金を与えて何時でも別れておしまいなさい。あなたはお金持ちです。決して道に外れた事ではありません。世間の者は決してあなたを非難など致しません。あなたはお金持ちなのですから・・・」と。
これにはチェエホフが如何に人間の虚偽を見逃さないかと云う事と、人を見て道を説く彼の聖者的な風格と、そして彼の人間に対する深い愛と同情とが現れている。
若し、トルストイがこの女を見たらばどんな事をしたろう?彼は直ちに彼女を修道院に入れたに違いない。修道院が彼女を救うべき場処だと思ったに違いない。そして修道院に投げ込んで置いてから慥かに彼女を救ったと思うに違いない。・・・道徳家の愛はこうした形に現れるのが常である・・・
トルストイ的傾向の人間は何時でも群衆に依って英雄視される。且つ自分自身も他に向って自己の偉大を強いている。チェエホフ的傾向の作者は何時でも群衆によって凡人視される。而も自分でもそれに対して何等の不平をも感じていない。けれども群衆によって愛され、且つ群衆を愛している。トルストイ的傾向の人は動もすると凡人を暗示にかける。そして肩をいからかす小トルストイを輩出させる。チェエホフ的傾向の人は凡人を暗示にかけない。彼はしずかに凡人と握手をし、凡人と一緒に仲よく道を歩いて行く。
トルストイは或ものだ。そしてチェエホフは又他の或ものだ・・・
よく見るとここで「トルストイ的傾向の人間は・・・」とあるのに対して「チェエホフ的傾向の作者は・・・」とある。これは広津自身の生き方も示唆しているのだろう。
ところで今日はアントン・チェーホフ(1860~1904年7月15日)の命日である。それとこれは直接には関係ないが、広津和郎の父広津柳浪の生誕日でもある。
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by kirakuossan
| 2016-07-15 13:27
| 文芸
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