2016年 06月 15日
ケンプのピアノ |
2016年6月15日(水)
年明け早々にあの湾岸戦争が勃発した1991年、その年の5月と6月にドイツ系統のピアノの巨匠3人が相次いで世を去った。
5月8日 - ルドルフ・ゼルキン(1903-)
5月23日 - ヴィルヘルム・ケンプ(1895-)
6月9日 - クラウディオ・アラウ(1903-)
ゼルキンとアラウは同い年で、88歳。ケンプは二人より8歳年長であったが、亡くなる数年前に引退したので、最晩年までコンサートを続けたアラウなどと同じようにみな90歳近くの高齢までピアノを弾き続けたことになる。
今でこそ演奏会などでのピアノはスタインウェイだが戦前ではベヒシュタインや今やヤマハの傘下にあるベーゼンドルファーが主流であった。この二つの違いを分かりやすく一言で表せば、スタインウェイが高性能で華麗な音を聞かせるベルリン・フィルのようでであり、ベヒシュタインはくすんだいぶし銀のような音色のシュターツカペレ・ドレスデンに例えられる。アラウはスタインウェイだったし、ケンプはベヒシュタインを愛用した。ただ、ケンプも60年代以降のステレオ録音ではハンブルク・スタインウェイを使うことが多くなった。アラウのスタインウェイはアメリカン・スタインウェイであってこの二つにも音の違いがある。ハンブルクは全体的に重量感があり、低音に特色があるが、ニューヨークは高音域が澄み、明るい印象を与える。前者がベルリン・フィルとすれば後者はフィラデルフィア管の響きを持つといえよう。
ハンブルクは後半のケンプのほかに、ポリーニ、アルゲリッチ、ツィメルマンなどであり、ニューヨークスタイルで有名なのはホロヴィッツ、それにルービンシュタインそしてアラウ、ゼルキンなどである。
ピアノの話に寄り道になったが、ここで言いたかったのは、巨匠と呼ばれるピアニストが多く存在するなか、最近とくに興味を感じ、好きになり、またよく聴くのがヴィルヘルム・ケンプのピアノである。テクニックだけをとらえれば、バックハウスにはかなわないかも知れないが、音楽の心でとらえれば、これは好き嫌いがあるだろうが、断然、ケンプを取る。人間性から見てもホロヴィッツより、ケンプを愛する。ではケンプのピアノはどこが魅了するのか?
それは温かい人間愛に包まれた雰囲気のなか、独創性を持ち合わせ、音楽の自由さや楽しさを聴かせてくれるからにほかならない。そして演奏会で好不調の波が大きかったのも人間ケンプの証であり魅力のひとつともいえよう。
彼はよく”ベートーヴェン弾き”と表現されるが、本来の意味では、それはバックハウスへの言葉であると思う。もしくはリヒテルの方がより近い。ケンプのそれはベートーヴェンらしからぬベートーヴェンなのである。つまり、よく言えば、彼独特の解釈に寄るものである。この独自性からいえば、彼のショパンもそうである。ショパンといえば、フランソワではないが、どこか、こ洒落た気分で、少し肩の力を抜いて、興に任せて弾くようなピアノだが、ケンプはこれを逆に折り目正しく端正に弾くのである。これらのことをとらえて、ケンプはへそ曲がりなピアニストかということになりかねないが、それは決してそうではない。どちらも真剣味を帯びたれっきとした彼なりの解釈なのである。ここに聴くものに新鮮味を与える。彼は元はオルガンを弾き、バッハを得意とした。ゴルトベルク変奏曲 や平均律クラヴィーア曲集を聴くとその俊逸した腕前に納得する。ここでもグールドとは全く違ったバッハなのである。それはごくごく自然な流れに沿ったバッハと言えよう。
彼のピアノの最も得意とするのはシューベルトでなかっただろうか。それにブラームスではなかっただろうか。これまた先日の梅田で手に入れたものだが、シューベルトの4つの即興曲集などはまさにケンプの真の金字塔的演奏であると思う。
ヤフオク!でまた1枚買ってしまった。これはベートーヴェンだが、今日明日にも届く見込みだ。
ケンプのピアノは今後とも永遠に聴き続けるであろう。
シューベルト:
4つの即興曲 Op. 90, D. 899
録音: August 1967, Beethovensaal, Hannover, Germany
4つの即興曲 Op. 142, D. 935
録音: September 1965, Beethovensaal, Hannover, Germany
ヴィルヘルム・ケンプ - Wilhelm Kempff (ピアノ)
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年明け早々にあの湾岸戦争が勃発した1991年、その年の5月と6月にドイツ系統のピアノの巨匠3人が相次いで世を去った。
5月8日 - ルドルフ・ゼルキン(1903-)
5月23日 - ヴィルヘルム・ケンプ(1895-)
6月9日 - クラウディオ・アラウ(1903-)
ゼルキンとアラウは同い年で、88歳。ケンプは二人より8歳年長であったが、亡くなる数年前に引退したので、最晩年までコンサートを続けたアラウなどと同じようにみな90歳近くの高齢までピアノを弾き続けたことになる。
今でこそ演奏会などでのピアノはスタインウェイだが戦前ではベヒシュタインや今やヤマハの傘下にあるベーゼンドルファーが主流であった。この二つの違いを分かりやすく一言で表せば、スタインウェイが高性能で華麗な音を聞かせるベルリン・フィルのようでであり、ベヒシュタインはくすんだいぶし銀のような音色のシュターツカペレ・ドレスデンに例えられる。アラウはスタインウェイだったし、ケンプはベヒシュタインを愛用した。ただ、ケンプも60年代以降のステレオ録音ではハンブルク・スタインウェイを使うことが多くなった。アラウのスタインウェイはアメリカン・スタインウェイであってこの二つにも音の違いがある。ハンブルクは全体的に重量感があり、低音に特色があるが、ニューヨークは高音域が澄み、明るい印象を与える。前者がベルリン・フィルとすれば後者はフィラデルフィア管の響きを持つといえよう。
ハンブルクは後半のケンプのほかに、ポリーニ、アルゲリッチ、ツィメルマンなどであり、ニューヨークスタイルで有名なのはホロヴィッツ、それにルービンシュタインそしてアラウ、ゼルキンなどである。
ピアノの話に寄り道になったが、ここで言いたかったのは、巨匠と呼ばれるピアニストが多く存在するなか、最近とくに興味を感じ、好きになり、またよく聴くのがヴィルヘルム・ケンプのピアノである。テクニックだけをとらえれば、バックハウスにはかなわないかも知れないが、音楽の心でとらえれば、これは好き嫌いがあるだろうが、断然、ケンプを取る。人間性から見てもホロヴィッツより、ケンプを愛する。ではケンプのピアノはどこが魅了するのか?
それは温かい人間愛に包まれた雰囲気のなか、独創性を持ち合わせ、音楽の自由さや楽しさを聴かせてくれるからにほかならない。そして演奏会で好不調の波が大きかったのも人間ケンプの証であり魅力のひとつともいえよう。
彼はよく”ベートーヴェン弾き”と表現されるが、本来の意味では、それはバックハウスへの言葉であると思う。もしくはリヒテルの方がより近い。ケンプのそれはベートーヴェンらしからぬベートーヴェンなのである。つまり、よく言えば、彼独特の解釈に寄るものである。この独自性からいえば、彼のショパンもそうである。ショパンといえば、フランソワではないが、どこか、こ洒落た気分で、少し肩の力を抜いて、興に任せて弾くようなピアノだが、ケンプはこれを逆に折り目正しく端正に弾くのである。これらのことをとらえて、ケンプはへそ曲がりなピアニストかということになりかねないが、それは決してそうではない。どちらも真剣味を帯びたれっきとした彼なりの解釈なのである。ここに聴くものに新鮮味を与える。彼は元はオルガンを弾き、バッハを得意とした。ゴルトベルク変奏曲 や平均律クラヴィーア曲集を聴くとその俊逸した腕前に納得する。ここでもグールドとは全く違ったバッハなのである。それはごくごく自然な流れに沿ったバッハと言えよう。
彼のピアノの最も得意とするのはシューベルトでなかっただろうか。それにブラームスではなかっただろうか。これまた先日の梅田で手に入れたものだが、シューベルトの4つの即興曲集などはまさにケンプの真の金字塔的演奏であると思う。
ヤフオク!でまた1枚買ってしまった。これはベートーヴェンだが、今日明日にも届く見込みだ。
ケンプのピアノは今後とも永遠に聴き続けるであろう。
シューベルト:
4つの即興曲 Op. 90, D. 899
録音: August 1967, Beethovensaal, Hannover, Germany
4つの即興曲 Op. 142, D. 935
録音: September 1965, Beethovensaal, Hannover, Germany
ヴィルヘルム・ケンプ - Wilhelm Kempff (ピアノ)
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by kirakuossan
| 2016-06-15 12:40
| クラシック
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