2016年 05月 19日
創立日にふと思い出したりして・・・ |
2016年5月19日(木)
立命館
「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以なり」(孟子)
1900年5月19日京都法政学校が創立される。後の立命館大学である。
そして1969年5月20日立命館大学広小路学舎のわだつみ像を破壊された。その翌月24日に文学部20歳の女子学生高野悦子が自ら命を絶った。
僕は1968年立命館に入学と同時に新聞クラブに入部した。その年の暮れ、三億円事件が発生した二日後の12月12日(木)に立命館学園新聞社襲撃事件が惹起した。「立命館学園新聞」を発行する立命館大学新聞社に対して、紙面で批判を受けていた立命館大学学友会(民青系)の学園振興委員長ほか8人の学生が“報道を是正する必要がある”といった名目で新聞社を乗っ取りに来た。当時の立命館は学友会など組織の主だったものは民青系が占めており、唯一、反民青であったのが立命館大学新聞社であった。そして翌13日夜、皆、編集室で取材原稿をまとめていたところを民青系のゲバルトに襲われた。この事件をめぐる対立が立命館における紛争の直接のきっかけとなり、同時に京都地区での学生運動の口火となった。これを機に同志社、京大などでも一斉に火の手が上がった。そしてそれから半年後、全共闘の手によってわだつみ像が破壊された。当時、キャンバス内は地獄、自宅に戻れば平和な生活・・・
僕は、これを機に新聞社を退部した。そしてその夏、1か月にわたる青森までの単独徒歩旅行に出た。旅先で出会う多くの人たち、みな平和で親切で優しかった。
(写真:1967年7月1日付の立命館学園新聞より)
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立命館
「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以なり」(孟子)
1900年5月19日京都法政学校が創立される。後の立命館大学である。
そして1969年5月20日立命館大学広小路学舎のわだつみ像を破壊された。その翌月24日に文学部20歳の女子学生高野悦子が自ら命を絶った。
僕は、これを機に新聞社を退部した。そしてその夏、1か月にわたる青森までの単独徒歩旅行に出た。旅先で出会う多くの人たち、みな平和で親切で優しかった。
(写真:1967年7月1日付の立命館学園新聞より)
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by kirakuossan
| 2016-05-19 22:35
| 偶感
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