2016年 02月 11日
指揮者100選☆75 メンゲルベルク |
2016年2月11日(木)
現在、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルと並んで世界ビッグ3の一角を占めるオーケストラといえば、オランダのアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団である。この偉大なオーケストラに、若きベルナルト・ハイティンク(1929~)が首席指揮者の任に就いたのは1961年、32歳の時であった。世界はその若さにずいぶんと驚き、同時に後見人として巨匠オイゲン・ヨッフムも同時にその任にあたったことを知り、納得したものだった。ところがもっとずっと昔に、それよりももっと若く、24歳でこの重責に就いた指揮者がいた。その名はウィレム・メンゲルベルク(Willem Mengelberg, オランダ 1871~1951)である。
彼は積極的にバッハの音楽を紹介し世に出した人物としても知られる。「マタイ受難曲」はとくに、1939年の歴史的演奏であるにもかかわらず、いまだもってこの曲の最善の演奏のひとつとされている。彼は母国のコンセルトヘボウ管に1895年から50年の長きにわたり首席指揮者に君臨したが、同時に1922年より8年間、アメリカのニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督の地位にもあった。そしてその後をあのアルトゥーロ・トスカニーニにバトンタッチしたことでもわかるように、まさに欧米をまたにした大指揮者のひとりであった。しかしそんな彼もまたナチの協力者であったとされ、戦後は演奏を禁止され、指揮台に立つことはなくスイスで歿した。
☆演奏スタイルは・・・
徹底して19世紀ロマン派風の、少々大げさに極端に緩急をつけたような、そんな演奏を繰り広げた。どれも濃密で、こってりとした音楽つくりは明らかに前近代的な色合いではあるが、音楽性に関しては核心を突いているので、聴きようによっては現代でも十分に通用するものである。
☆録音は・・・
先の「マタイ受難曲」とチャイコフスキーの「悲愴」交響曲、そしてリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」は彼の三大名盤である。なかでも「悲愴」などの、弦楽器の頻繁にポルタメントを使って表現する甘ったるい音つくりは、これはこれで一つの芸術と思ってしまうほどの説得性がある。好き嫌いは別として・・・
☆私見・・・
1941年録音の交響詩「英雄の生涯」は、テンポといい、感情移入の程度といい、腰の据わった堂々とした音楽で、これも同曲の最高レベルの立派な演奏であると思う。とくに最終のThema der Entsagungの部分は感動する。「悲愴」(1937年録音)も面白くて好きだが、さすがにあくが強すぎて、こちらのリヒャルト・シュトラウスの方がより自然で好きである。
リヒャルト・シュトラウス:
交響詩「英雄の生涯」 Op. 40, TrV 190
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルク(指揮)
☆Myライブラリーより・・・
J.S. バッハ:
マタイ受難曲 BWV 244 (抜粋)
イローナ・ドゥリゴ - Ilona Durigo (アルト)
カール・エルプ - Karl Erb (テノール)
ウィレム・ラヴェッリ - Willem Ravelli (バス)
ヘルマン・シャイ - Herman Schey (バス)
ルイス・ヴァン・トゥルダー - Louis van Tulder (テノール)
ジョー・ヴィンセント - Jo Vincent (ソプラノ)
アムステルダム・トーンクンスト合唱団 - Amsterdam Toonkunst Choir
ツァンクルスト少年合唱団 - Zanglust Boys Choir
コンセルトヘボウ管弦楽団 - Concertgebouw Orchestra
ウィレム・メンゲルベルク - Willem Mengelberg (指揮)
録音: 2 April 1939, Concertgebouw, Amsterdam
現在、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルと並んで世界ビッグ3の一角を占めるオーケストラといえば、オランダのアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団である。この偉大なオーケストラに、若きベルナルト・ハイティンク(1929~)が首席指揮者の任に就いたのは1961年、32歳の時であった。世界はその若さにずいぶんと驚き、同時に後見人として巨匠オイゲン・ヨッフムも同時にその任にあたったことを知り、納得したものだった。ところがもっとずっと昔に、それよりももっと若く、24歳でこの重責に就いた指揮者がいた。その名はウィレム・メンゲルベルク(Willem Mengelberg, オランダ 1871~1951)である。
彼は積極的にバッハの音楽を紹介し世に出した人物としても知られる。「マタイ受難曲」はとくに、1939年の歴史的演奏であるにもかかわらず、いまだもってこの曲の最善の演奏のひとつとされている。彼は母国のコンセルトヘボウ管に1895年から50年の長きにわたり首席指揮者に君臨したが、同時に1922年より8年間、アメリカのニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督の地位にもあった。そしてその後をあのアルトゥーロ・トスカニーニにバトンタッチしたことでもわかるように、まさに欧米をまたにした大指揮者のひとりであった。しかしそんな彼もまたナチの協力者であったとされ、戦後は演奏を禁止され、指揮台に立つことはなくスイスで歿した。
☆演奏スタイルは・・・
徹底して19世紀ロマン派風の、少々大げさに極端に緩急をつけたような、そんな演奏を繰り広げた。どれも濃密で、こってりとした音楽つくりは明らかに前近代的な色合いではあるが、音楽性に関しては核心を突いているので、聴きようによっては現代でも十分に通用するものである。
☆録音は・・・
先の「マタイ受難曲」とチャイコフスキーの「悲愴」交響曲、そしてリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」は彼の三大名盤である。なかでも「悲愴」などの、弦楽器の頻繁にポルタメントを使って表現する甘ったるい音つくりは、これはこれで一つの芸術と思ってしまうほどの説得性がある。好き嫌いは別として・・・
☆私見・・・
1941年録音の交響詩「英雄の生涯」は、テンポといい、感情移入の程度といい、腰の据わった堂々とした音楽で、これも同曲の最高レベルの立派な演奏であると思う。とくに最終のThema der Entsagungの部分は感動する。「悲愴」(1937年録音)も面白くて好きだが、さすがにあくが強すぎて、こちらのリヒャルト・シュトラウスの方がより自然で好きである。
リヒャルト・シュトラウス:
交響詩「英雄の生涯」 Op. 40, TrV 190
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルク(指揮)
☆Myライブラリーより・・・
マタイ受難曲 BWV 244 (抜粋)
イローナ・ドゥリゴ - Ilona Durigo (アルト)
カール・エルプ - Karl Erb (テノール)
ウィレム・ラヴェッリ - Willem Ravelli (バス)
ヘルマン・シャイ - Herman Schey (バス)
ルイス・ヴァン・トゥルダー - Louis van Tulder (テノール)
ジョー・ヴィンセント - Jo Vincent (ソプラノ)
アムステルダム・トーンクンスト合唱団 - Amsterdam Toonkunst Choir
ツァンクルスト少年合唱団 - Zanglust Boys Choir
コンセルトヘボウ管弦楽団 - Concertgebouw Orchestra
ウィレム・メンゲルベルク - Willem Mengelberg (指揮)
録音: 2 April 1939, Concertgebouw, Amsterdam
by kirakuossan
| 2016-02-11 18:43
| 指揮者100選(完)
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