2016年 01月 23日
セルは”宋代の陶磁器の名品に共通する” |
2016年1月23日(土)
吉田秀和の著書『新・音楽展望』のなかで指揮者ジョージ・セルにふれた一稿がある。
小澤征爾の師匠でもあった指揮者斉藤秀雄が60年代アメリカを訪れたとき、アメリカで大指揮者はセルひとりとだと感じたらしい。セルはまさに”指揮者にとっての指揮者”と呼ばれるにふさわしい人で、最も玄人好みする人、完璧な指揮の技術を身につけた名手だったといい、斉藤氏も指揮の技術の完成を追求し続けた人だったと付け加える。
一九七〇年の五月大阪の万国博に二十何年間手塩にかけたクリーヴランド管弦楽団をつれて公演に来た時、彼は体内に死病を抱えていた。万一を考えて、ピエール・ブレーズが同行した。そうして記者会見の席で記者からセルと彼との関係をきかれた時、ブレーズが「我々二人は完璧に対する熱狂と責任感を共有するが、好みは正反対だ」と答えたのを、私は今もはっきりと覚えている。
至言である。しかし「完璧への熱狂に憑かれた芸術家」はとかく激情にかられて事に処したり、きき手を遠い夢幻境に誘うといった仕事ぶりはしない。だから、とかく情熱がたりず、夢がないといわれる。ベラスケス(画家)も、セルもそうだ。だが、セルの肌ざわりこそたしかにひんやりとしているが、滑らかで底光りする光沢があり、形はあくまで厳しい均整美に徹している点、宋代の陶磁器の名品に共通する。彼が二十年前日本できかせてくれたモーツァルトの三十九番変ホ長調や四十番ト短調の交響曲はその典型。一点のゆがみもゆるみも前のめりの急ぎすぎもなく、端然と進み、朗然と歌うなかで、あんなに気品と雅致にみちた演奏は、以来、二度ときいたことがない。いや、セル自身だって、いつもああはいかなかったのではないかと思う。
ここでの「セルの肌ざわり~宋代の陶磁器の名品に共通する」という言い回し方がたいへん好きなのであえて長々と掲載した。
またセルとグレン・グールドの共演時の逸話も面白いが、セルは独裁者型で癇癪もちだったが、片方で一抹のにがみが混じったユーモアのある人物でもあったと紹介する。
彼はまた完全なヨーロッパ型国際人だったけれど、祖国の音楽家ドヴォルジャークなどをやる時は、ほかでは感じられない哀愁の影が仄かにさしてくる。(第八番交響曲の第三楽章とかスラヴ舞曲の幾つかとか)。
逆に彼のマーラーは、なぜか、あんまり記憶に深く残らず、シューマンその他のロマン派も比較的不向きだったようだ。その中でも、人はあんまりいわないけれど、セルのブルックナーはよかった。第三番ニ短調交響曲など、「こんなにきよらかなブルックナー」はほかにどこにあるのだろうと思う。
(1990年4月17日執筆)
ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 Op. 88, B. 163
III. Allegretto grazioso - Molto vivace
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ジョージ・セル(指揮)
(録音:1962年)
ただ著書では第八番の第三楽章とあるが、もしかしたら第二楽章のAdagioの勘違いではないかとどうも思われるので、Adagioも挙げておく。
II. Adagio
吉田秀和の著書『新・音楽展望』のなかで指揮者ジョージ・セルにふれた一稿がある。
小澤征爾の師匠でもあった指揮者斉藤秀雄が60年代アメリカを訪れたとき、アメリカで大指揮者はセルひとりとだと感じたらしい。セルはまさに”指揮者にとっての指揮者”と呼ばれるにふさわしい人で、最も玄人好みする人、完璧な指揮の技術を身につけた名手だったといい、斉藤氏も指揮の技術の完成を追求し続けた人だったと付け加える。
一九七〇年の五月大阪の万国博に二十何年間手塩にかけたクリーヴランド管弦楽団をつれて公演に来た時、彼は体内に死病を抱えていた。万一を考えて、ピエール・ブレーズが同行した。そうして記者会見の席で記者からセルと彼との関係をきかれた時、ブレーズが「我々二人は完璧に対する熱狂と責任感を共有するが、好みは正反対だ」と答えたのを、私は今もはっきりと覚えている。
至言である。しかし「完璧への熱狂に憑かれた芸術家」はとかく激情にかられて事に処したり、きき手を遠い夢幻境に誘うといった仕事ぶりはしない。だから、とかく情熱がたりず、夢がないといわれる。ベラスケス(画家)も、セルもそうだ。だが、セルの肌ざわりこそたしかにひんやりとしているが、滑らかで底光りする光沢があり、形はあくまで厳しい均整美に徹している点、宋代の陶磁器の名品に共通する。彼が二十年前日本できかせてくれたモーツァルトの三十九番変ホ長調や四十番ト短調の交響曲はその典型。一点のゆがみもゆるみも前のめりの急ぎすぎもなく、端然と進み、朗然と歌うなかで、あんなに気品と雅致にみちた演奏は、以来、二度ときいたことがない。いや、セル自身だって、いつもああはいかなかったのではないかと思う。
ここでの「セルの肌ざわり~宋代の陶磁器の名品に共通する」という言い回し方がたいへん好きなのであえて長々と掲載した。
またセルとグレン・グールドの共演時の逸話も面白いが、セルは独裁者型で癇癪もちだったが、片方で一抹のにがみが混じったユーモアのある人物でもあったと紹介する。
彼はまた完全なヨーロッパ型国際人だったけれど、祖国の音楽家ドヴォルジャークなどをやる時は、ほかでは感じられない哀愁の影が仄かにさしてくる。(第八番交響曲の第三楽章とかスラヴ舞曲の幾つかとか)。
逆に彼のマーラーは、なぜか、あんまり記憶に深く残らず、シューマンその他のロマン派も比較的不向きだったようだ。その中でも、人はあんまりいわないけれど、セルのブルックナーはよかった。第三番ニ短調交響曲など、「こんなにきよらかなブルックナー」はほかにどこにあるのだろうと思う。
(1990年4月17日執筆)
ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 Op. 88, B. 163
III. Allegretto grazioso - Molto vivace
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ジョージ・セル(指揮)
(録音:1962年)
ただ著書では第八番の第三楽章とあるが、もしかしたら第二楽章のAdagioの勘違いではないかとどうも思われるので、Adagioも挙げておく。
II. Adagio
by kirakuossan
| 2016-01-23 20:21
| クラシック
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