2015年 12月 14日
「沢山得ただけ、それだけ失ったのだ」 |
2015年12月14日(月)
竹久夢二氏は榛名湖畔に別荘を建てるため、その夏やはり伊香保温泉に来ていた。~
伊香保で会う数年前、芥川龍之介氏の弟子のような渡辺庫輔氏に引っぱられて、夢二氏の家を訪れたことがある。夢二氏は不在であった。女の人が鏡の前に坐っていた。その姿が全く夢二氏の絵そのままなので、私は自分の眼を疑った。やがて立ち上がって来て、玄関の障子につかまりながら見送った。その立居振舞、一挙手一投足が、夢二氏の絵から抜け出したとは、このことなので、私は不思議ともなんとも言葉を失ったほどだった。
画家がその恋人が変われば、絵の女の顔なども変るのは、おきまりである。小説家だって同じだ。芸術家でなくとも、夫婦は顔が似て来るばかりでなく、考え方も一つになってしまう。少しも珍しくないが、夢二氏の絵の女は特色がいちじるしいだけそれがあざやかだったのである。あれは絵空事ではなかったのである。夢二氏が女の体に自分の絵を完全に描いたのである。芸術の勝利であろうが、またなにかへの敗北のようにも感じられる。伊香保でもこのことを思い出し、芸術家の個性というものの、そぞろ寂しさを、夢二氏の老いの姿に見たのであった。
川端康成の随筆「末期の眼」の一節である。ここにも榛名や伊香保が出てきた。何かしら偶然が偶然を呼び、ここ近日、榛名や伊香保のことによく出くわす。不思議なことだ。
竹久夢二で思い出したが、自宅の玄関に夢二の版画を掛けている。特段竹久夢二が好きということではない、むしろ、あの独特の古風な女性の絵は敬遠しがちである。ところがこれも不思議なことに30年ほど前に得意先の美術商の店先で夢二の一枚の版画に出くわした。ここに出てくる女性は幾分モダンである。何か一人で寂しそうに・・・いやしかしよく見ると何か愉しかった思い出にひとり耽っている風情だ。頭上にブドウがなっている。すると急にこの絵が欲しくなって、主人に頼んで分割払いでわけてもらったことを思い出す。
神の喜劇を書いたダンテの生涯は悲劇であった。ワルト・ホイットマンはダンテの肖像を訪客に見せて「この世の不潔を脱した人の顔だ。この顔になるには沢山得ただけ、それだけ、失ったのだ」と語ったそうである。話はあまりあらぬ方へ飛ぶが、竹久夢二氏もまたあの個性のいちじるしい絵のために「沢山得ただけ、それだけ失ったのだ」
なんとなくわかるような気がする。なんとなくだけど・・・
夢二をとりまく4人の女性。
たまき、彦乃、お葉、ゆきこ
川端康成が見た”絵から抜け出した”ような女性は誰だったのか?ちょっと推察してみると「末期の眼」の冒頭に書かれた竹久夢二を伊香保温泉で見かけたのは昭和8年(1933)だから、その数年前ということは昭和の初めころか。ということはお葉かゆきこあたりだろう、でも定かではない。
夢二が最も愛したのは若くして亡くした彦乃であった。どこか一番モダンな女性に見える。
もう一つのまた不思議な偶然。
1913年の今日12月14日、日本海軍の戦艦「榛名」が進水した。
竹久夢二氏は榛名湖畔に別荘を建てるため、その夏やはり伊香保温泉に来ていた。~
伊香保で会う数年前、芥川龍之介氏の弟子のような渡辺庫輔氏に引っぱられて、夢二氏の家を訪れたことがある。夢二氏は不在であった。女の人が鏡の前に坐っていた。その姿が全く夢二氏の絵そのままなので、私は自分の眼を疑った。やがて立ち上がって来て、玄関の障子につかまりながら見送った。その立居振舞、一挙手一投足が、夢二氏の絵から抜け出したとは、このことなので、私は不思議ともなんとも言葉を失ったほどだった。
画家がその恋人が変われば、絵の女の顔なども変るのは、おきまりである。小説家だって同じだ。芸術家でなくとも、夫婦は顔が似て来るばかりでなく、考え方も一つになってしまう。少しも珍しくないが、夢二氏の絵の女は特色がいちじるしいだけそれがあざやかだったのである。あれは絵空事ではなかったのである。夢二氏が女の体に自分の絵を完全に描いたのである。芸術の勝利であろうが、またなにかへの敗北のようにも感じられる。伊香保でもこのことを思い出し、芸術家の個性というものの、そぞろ寂しさを、夢二氏の老いの姿に見たのであった。
川端康成の随筆「末期の眼」の一節である。ここにも榛名や伊香保が出てきた。何かしら偶然が偶然を呼び、ここ近日、榛名や伊香保のことによく出くわす。不思議なことだ。
竹久夢二で思い出したが、自宅の玄関に夢二の版画を掛けている。特段竹久夢二が好きということではない、むしろ、あの独特の古風な女性の絵は敬遠しがちである。ところがこれも不思議なことに30年ほど前に得意先の美術商の店先で夢二の一枚の版画に出くわした。ここに出てくる女性は幾分モダンである。何か一人で寂しそうに・・・いやしかしよく見ると何か愉しかった思い出にひとり耽っている風情だ。頭上にブドウがなっている。すると急にこの絵が欲しくなって、主人に頼んで分割払いでわけてもらったことを思い出す。
神の喜劇を書いたダンテの生涯は悲劇であった。ワルト・ホイットマンはダンテの肖像を訪客に見せて「この世の不潔を脱した人の顔だ。この顔になるには沢山得ただけ、それだけ、失ったのだ」と語ったそうである。話はあまりあらぬ方へ飛ぶが、竹久夢二氏もまたあの個性のいちじるしい絵のために「沢山得ただけ、それだけ失ったのだ」
なんとなくわかるような気がする。なんとなくだけど・・・
夢二をとりまく4人の女性。
たまき、彦乃、お葉、ゆきこ
川端康成が見た”絵から抜け出した”ような女性は誰だったのか?ちょっと推察してみると「末期の眼」の冒頭に書かれた竹久夢二を伊香保温泉で見かけたのは昭和8年(1933)だから、その数年前ということは昭和の初めころか。ということはお葉かゆきこあたりだろう、でも定かではない。
夢二が最も愛したのは若くして亡くした彦乃であった。どこか一番モダンな女性に見える。
もう一つのまた不思議な偶然。
1913年の今日12月14日、日本海軍の戦艦「榛名」が進水した。
by kirakuossan
| 2015-12-14 10:24
| 文芸
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