2015年 11月 04日
「湯豆腐」 |
2015年11月4日(水)
秋
秋の雲尾上の薄見ゆるなり
鼻紙に山蟻拂ふ墓參かな
木犀の香に染む雨の鴉かな
冬
初冬の狐の聲ときこえたり
川添や酒屋とうふ屋や時雨れつゝ
京に入りて市の鯨を見たりけり
紅葉忌に尾崎紅葉の俳句を知り、昨日図書館で句集が収録されている『紅葉全集』第9巻(岩波書店刊)を借りて来た。紅葉の直弟子の代表は泉鏡花だが、実は今日がその鏡花の生誕日である。師匠と同じく弟子の鏡花も俳句を詠った。江戸文芸の影響を深くうけた鏡花だが俳句においてもどことなく江戸を匂わせるところがある。古さ加減では紅葉の方が斬新かもしれない。泉鏡花(1873~1939)は明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家で『高野聖』『婦系図』『歌行燈』などを残した。近代における幻想文学の先駆者としても評価される。
冬の句にもう一つ
山茶花に此の熱燗の恥かしき
清楚な山茶花を前に熱燗で酔っている自分を恥じている意味か?
熱燗とくれば、湯豆腐だ。
鏡花には「湯豆腐」という短い作品がある。昆布を鍋の底に敷いていてはいけないという例のあの話だ。鏡花が最も愛した食べものは湯どうふであるが、たいへんな潔癖症で、外出から帰ったとき必ず指先をアルコールで消毒し、とうふも漢字では「豆腐」と書くべきものを、「腐」の字を嫌って自己流に「豆府」と書いた。
~洒落れた湯どうふにも可哀なのがある。私の知あひに、御旅館とは表看板、實は安下宿に居るのがあるが、秋のながあめ、陽氣は惡し、いやな病氣が流行ると言ふのに、膳に小鰯しの燒いたのや、生のまゝの豆府をつける。……そんな不料簡なのは冷ひつことは言はせない、生の豆府だ。見てもふるへ上るのだが、食はずには居られない。ブリキの鐵瓶に入いれて、ゴトリ/\と煮て、いや、うでて、そつと醤油でなしくづしに舐めると言ふ。――恁う成つては、湯豆府も慘憺たるものである。……
……などと言ふ、私だつて、湯豆府を本式に味ひ得る意氣なのではない。一體、これには、きざみ葱、たうがらし、大根おろしと言ふ、前栽のつはものの立派な加勢が要るのだけれど、どれも生だから私はこまる。……その上、式の如く、だし昆布を鍋の底へ敷いたのでは、火を強くしても、何うも煮えがおそい。ともすると、ちよろ/\、ちよろ/\と草の清水が湧くやうだから、豆府を下へ、あたまから昆布を被せる。即ち、ぐら/\と煮えて、蝦夷の雪が板昆布をかぶつて踊を踊るやうな處を、ひよいと挾んで、はねを飛ばして、あつゝと慌てて、ふツと吹いて、するりと頬張る。人が見たらをかしからうし、お聞になつても馬鹿々々/\しい。 が、身がつてではない。味はとにかく、ものの生ぬるいよりは此の方が増だ。~
そういうと思い出したが、昔の豆腐屋は大きな水槽の中に豆腐が浮かしてあって、そこへ直に手を入れて店の人が注文の大きさに波型の包丁で切ったりして売っていた。懐かしいのと同時に、鏡花じゃないが、考えてみるに実に不衛生な話であった。
話はそれるが、「湯豆腐」の句だと、思い浮かべるのは久保田万太郎である。次の二つの句、実に味わい深い。長き自分の人生を振り返り、まるで湯豆腐のようだったという句と、もう一つの方は、よくわからないが、どことなく口元がにやりとさせられる句である。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
湯豆腐のまだ煮えてこぬ話かな
秋
秋の雲尾上の薄見ゆるなり
鼻紙に山蟻拂ふ墓參かな
木犀の香に染む雨の鴉かな
冬
初冬の狐の聲ときこえたり
川添や酒屋とうふ屋や時雨れつゝ
京に入りて市の鯨を見たりけり
紅葉忌に尾崎紅葉の俳句を知り、昨日図書館で句集が収録されている『紅葉全集』第9巻(岩波書店刊)を借りて来た。紅葉の直弟子の代表は泉鏡花だが、実は今日がその鏡花の生誕日である。師匠と同じく弟子の鏡花も俳句を詠った。江戸文芸の影響を深くうけた鏡花だが俳句においてもどことなく江戸を匂わせるところがある。古さ加減では紅葉の方が斬新かもしれない。泉鏡花(1873~1939)は明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家で『高野聖』『婦系図』『歌行燈』などを残した。近代における幻想文学の先駆者としても評価される。
冬の句にもう一つ
山茶花に此の熱燗の恥かしき
清楚な山茶花を前に熱燗で酔っている自分を恥じている意味か?
熱燗とくれば、湯豆腐だ。
鏡花には「湯豆腐」という短い作品がある。昆布を鍋の底に敷いていてはいけないという例のあの話だ。鏡花が最も愛した食べものは湯どうふであるが、たいへんな潔癖症で、外出から帰ったとき必ず指先をアルコールで消毒し、とうふも漢字では「豆腐」と書くべきものを、「腐」の字を嫌って自己流に「豆府」と書いた。
~洒落れた湯どうふにも可哀なのがある。私の知あひに、御旅館とは表看板、實は安下宿に居るのがあるが、秋のながあめ、陽氣は惡し、いやな病氣が流行ると言ふのに、膳に小鰯しの燒いたのや、生のまゝの豆府をつける。……そんな不料簡なのは冷ひつことは言はせない、生の豆府だ。見てもふるへ上るのだが、食はずには居られない。ブリキの鐵瓶に入いれて、ゴトリ/\と煮て、いや、うでて、そつと醤油でなしくづしに舐めると言ふ。――恁う成つては、湯豆府も慘憺たるものである。……
……などと言ふ、私だつて、湯豆府を本式に味ひ得る意氣なのではない。一體、これには、きざみ葱、たうがらし、大根おろしと言ふ、前栽のつはものの立派な加勢が要るのだけれど、どれも生だから私はこまる。……その上、式の如く、だし昆布を鍋の底へ敷いたのでは、火を強くしても、何うも煮えがおそい。ともすると、ちよろ/\、ちよろ/\と草の清水が湧くやうだから、豆府を下へ、あたまから昆布を被せる。即ち、ぐら/\と煮えて、蝦夷の雪が板昆布をかぶつて踊を踊るやうな處を、ひよいと挾んで、はねを飛ばして、あつゝと慌てて、ふツと吹いて、するりと頬張る。人が見たらをかしからうし、お聞になつても馬鹿々々/\しい。 が、身がつてではない。味はとにかく、ものの生ぬるいよりは此の方が増だ。~
そういうと思い出したが、昔の豆腐屋は大きな水槽の中に豆腐が浮かしてあって、そこへ直に手を入れて店の人が注文の大きさに波型の包丁で切ったりして売っていた。懐かしいのと同時に、鏡花じゃないが、考えてみるに実に不衛生な話であった。
話はそれるが、「湯豆腐」の句だと、思い浮かべるのは久保田万太郎である。次の二つの句、実に味わい深い。長き自分の人生を振り返り、まるで湯豆腐のようだったという句と、もう一つの方は、よくわからないが、どことなく口元がにやりとさせられる句である。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
湯豆腐のまだ煮えてこぬ話かな
by kirakuossan
| 2015-11-04 07:58
| 文芸
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