2015年 10月 30日
鍋焼の火をとろくして語るかな |
2015年10月30日(金)
こんな秋の句がある。
秋深き燈も憂きに細るげな
深山木や斧に湿ふ秋の雲
秋もはやさらばさらばと落し水
秋を出て夕暮通る舟一つ
鬼燈も紅葉しにけり緋金巾
優しさよ梨なんど剥く手元さへ
そして
十三夜酒なき宿をたゝきけり
旧暦8月15日の夜を十五夜といい、その夜の月を「中秋の名月」と呼ぶが、十三夜とは旧暦9月13日の夜のことで、中秋の名月の次の満月である。今年の十三夜は10月25日であった。
あまり知られていないが(自分だけが知らなかったのか?)尾崎紅葉は俳人としても優れた才能を示した。正岡子規と並んで「秋声会」を興し新派と称された。紅葉と言う名とともになぜか秋の俳句が多いのも理解できるところである。
こんな句もある。
鍋焼の火をとろくして語るかな
これも多分秋の夜長のことだろう。
紅葉忌。十三夜から五日後の今日は『金色夜叉』を未完のまま没した尾崎紅葉の命日である。俳号は十千萬堂。
辞世の句
死なば秋露の干ぬ間ぞおもしろき
「死ぬなら秋がよい 露の乾かない間がよいなぁ」、最後まで秋を愛でた人だったのだろう。
一つだけ秋ではない句が紛れてる。
意味がもうひとつよくわからないが、何か妖艶で気になる句である。
蚊帳の月美人の膝を閑却す
尾崎紅葉(1868~1903)
山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊。幸田露伴と並び称され(紅露時代)明治期の文壇の重きをなした。泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声らは彼の門下生である。
こんな秋の句がある。
秋深き燈も憂きに細るげな
深山木や斧に湿ふ秋の雲
秋もはやさらばさらばと落し水
秋を出て夕暮通る舟一つ
鬼燈も紅葉しにけり緋金巾
優しさよ梨なんど剥く手元さへ
そして
十三夜酒なき宿をたゝきけり
旧暦8月15日の夜を十五夜といい、その夜の月を「中秋の名月」と呼ぶが、十三夜とは旧暦9月13日の夜のことで、中秋の名月の次の満月である。今年の十三夜は10月25日であった。
あまり知られていないが(自分だけが知らなかったのか?)尾崎紅葉は俳人としても優れた才能を示した。正岡子規と並んで「秋声会」を興し新派と称された。紅葉と言う名とともになぜか秋の俳句が多いのも理解できるところである。
こんな句もある。
鍋焼の火をとろくして語るかな
これも多分秋の夜長のことだろう。
紅葉忌。十三夜から五日後の今日は『金色夜叉』を未完のまま没した尾崎紅葉の命日である。俳号は十千萬堂。
辞世の句
死なば秋露の干ぬ間ぞおもしろき
「死ぬなら秋がよい 露の乾かない間がよいなぁ」、最後まで秋を愛でた人だったのだろう。
一つだけ秋ではない句が紛れてる。
意味がもうひとつよくわからないが、何か妖艶で気になる句である。
蚊帳の月美人の膝を閑却す
尾崎紅葉(1868~1903)
山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊。幸田露伴と並び称され(紅露時代)明治期の文壇の重きをなした。泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声らは彼の門下生である。
by kirakuossan
| 2015-10-30 12:30
| 文芸
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