2015年 10月 02日
38年の時を過ぎ、大成する人、そうでもなかった人 |
2015年10月2日(金)
「レコード芸術」の別冊本、1977年版『指揮者のすべて』を引っ張り出して久々に懐かしく目を通している。みんな若い、そらそうだろう、もう38年も前のことなのだから。生まれた年代順に主な指揮者がまず紹介され、巻末の名鑑にはおびただしい数の指揮者の名が連なり、それぞれにコメントが添えられている。「レコード芸術」も昔はこんなに緻密に丁寧な編集をしていたのだ、と感心しながら読み進める。
当時でもこれはという指揮者が載っているのでまず未知の人はいない。巻頭はかなりのページを割いてヘルベルト・フォン・カラヤンの記事が掲載され、続いて1900年代生まれ指揮者から紹介は始まる。以下1910年代、20年代へと順に続いてゆく。
☆1900年代の指揮者たち~精神芸術の枠を守りぬこうとする世代
カール・ベーム、エフゲニー・ムラヴィンスキー
☆1910年代の指揮者たち~世界の楽団を牛耳る世代
レナード・バーンスタイン、セルジュ・チェリビダッケ、ゲオルク・ショルティ・・・
☆1920年代の指揮者たち~スーパースターのいない世代
アレクサンダー・ギブソン、ピエール・ブーレーズ、アンドレ・プレヴィン、ベルナルト・ハイティンク、コーリン・デイヴィス・・・
☆1930年代の指揮者たち~広範な活動を求められる世代
ロリン・マゼール、クラウディオ・アバド、ズービン・メータ、小澤征爾、カルロス・クライバー・・・
☆1940年代の指揮者たち~成長しながら追う時代
リッカルド・ムーティ、ジェームズ・レヴァイン、マイケル・ティルソン=トーマス、ダニエル・バレンボイム・・・
という具合に大きな写真と共に解説されている。
こうしてみるとさすがに10年代は亡くなっており、スターのいないとされた20年代はまだ多くが存命だが、逆に30年代がアバドをはじめ、もうすこしいて欲しかった名が並ぶ。次の40年代はというと、今まさに世界の楽団を牛耳っている世代で病弱のレヴァインは別としてもみな鼻息が荒そうだ。ただここで興味深いのは、38年前の雑誌に掲載されていた40年代生まれというのは当時30歳代半ばから40歳代前半の若手であって、将来性については正直まだ未知数の人もいた。ムーティ以下ここに名前を挙げた指揮者は予想通りに大成したわけだが、その影には、本誌に掲載され当時注目されてはいても結局はそれほどでもなかったり、全く埋もれてしまった指揮者もいる。
フランソワ・ハイブレヒツ(1946~ベルギー)
ヤナーチェクの「ラスの踊り」などで鋭い感覚の持ち主であることを実証しており、すでにじゅうぶんな統率力をもっているようだが、旋律を悠容と歌わせて品がよく、叙情的な美しさと劇的迫力の両面を兼ねそなえているのが好ましい。フレーズのひとつひとつに入念な仕上げを感じさせるのはおとなの風格をもつといえるだろう(小石忠男)
と、もうこちらまでが顔が赤らむほどのべた褒めである。そこまでの指揮者を当時は別としてもこの場に及んでも全く存じ上げないというのは、小生の勉強不足かしら。
気になって調べてみたが、第1回カラヤン指揮者コンクールで入賞した後、ジョージ・セルの下で研鑽を深め、ロンドン響やベルリン・フィルなどにも客演した実績が残っている。74年に来日して都響とブルックナーの第4番やフルニエと共演したりもしている。いずれにしてもそのあとの追跡が不明である。フランソワ・ユイブレシュトと発音することもあり調べたが、例のヤナーチェクの比較的珍しい作品を集めたロンドン・フィルとの1枚のディスクのことだけで、他にはどこにも一切名前が出てこない。
次の二人は有名にはならなかったが日本でも活躍した指揮者だ。
ウリ・セガル(1944~イスラエル)ウリエル・セガルともユリー・シーガルとも呼ぶ。
最近評判の新進である。なかなかスケールの大きなところがあるが、既発売のレコードをきいた限りでは、まだ音楽に気負いが残っており、拍子を克明に振りすぎてリズムが重い。旋律線を明快につないでゆくのはよいが、流動感が弱く、歌に独特の粘りがあるのは一長一短というべきか。もうすこし将来の活動をみたい感じでもある(小石忠男)
要はまだ未熟だったということか。今は時めくヤニック・ネゼ=セガンならよく知っているが、セガルはもうひとつ聞いたことがあるようなないような・・・
ディミトリ・ミトロプーロス国際指揮者コンクールで1位を獲得し、70年にはバーンスタインのアシスタントとニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者を務めた実績がある。日本では、大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)を設立した一人で、発足時の1989年には常任指揮者を務め、その後は名誉指揮者となっている。ああそうか、それで何となく聞いたことがあったのだ。
アラン・ロンバール(1940~フランス)
ロンバールはわが国にも二度来日して知られているが、たしかに若さと押しでいろいろな作品にあたっており、オペラのみずみずしい発想には人を飽きさせない魅力がある。しかしときに奇妙なほど緊張を欠く場合もあり、考えすぎて造形をゆがめているところがある。~しかし彼の若さなら、その弱点は克服されるとみてよく、むしろ彼のたくましい意欲と誠実さを高く評価したい。(小石忠男)
この人もリヨン国立管弦楽団の指揮者として1961年にデビューした後、渡米してバーンスタインの助手を務めた経歴を持つ。比較的若くから録音も多くしたが、聴く機会は少ない。
日本人指揮者にも触れている。写真入りで大きく採りあげられているのが小泉和裕、他に井上道義、小林研一郎、秋山和慶、尾高忠明、飯守泰次郎、佐藤功太郎(故人)、小泉ひろし、福村芳一。果たしてこのうち何人が大成したのか?
「レコード芸術」の別冊本、1977年版『指揮者のすべて』を引っ張り出して久々に懐かしく目を通している。みんな若い、そらそうだろう、もう38年も前のことなのだから。生まれた年代順に主な指揮者がまず紹介され、巻末の名鑑にはおびただしい数の指揮者の名が連なり、それぞれにコメントが添えられている。「レコード芸術」も昔はこんなに緻密に丁寧な編集をしていたのだ、と感心しながら読み進める。
当時でもこれはという指揮者が載っているのでまず未知の人はいない。巻頭はかなりのページを割いてヘルベルト・フォン・カラヤンの記事が掲載され、続いて1900年代生まれ指揮者から紹介は始まる。以下1910年代、20年代へと順に続いてゆく。
☆1900年代の指揮者たち~精神芸術の枠を守りぬこうとする世代
カール・ベーム、エフゲニー・ムラヴィンスキー
☆1910年代の指揮者たち~世界の楽団を牛耳る世代
レナード・バーンスタイン、セルジュ・チェリビダッケ、ゲオルク・ショルティ・・・
☆1920年代の指揮者たち~スーパースターのいない世代
アレクサンダー・ギブソン、ピエール・ブーレーズ、アンドレ・プレヴィン、ベルナルト・ハイティンク、コーリン・デイヴィス・・・
☆1930年代の指揮者たち~広範な活動を求められる世代
ロリン・マゼール、クラウディオ・アバド、ズービン・メータ、小澤征爾、カルロス・クライバー・・・
☆1940年代の指揮者たち~成長しながら追う時代
リッカルド・ムーティ、ジェームズ・レヴァイン、マイケル・ティルソン=トーマス、ダニエル・バレンボイム・・・
という具合に大きな写真と共に解説されている。
こうしてみるとさすがに10年代は亡くなっており、スターのいないとされた20年代はまだ多くが存命だが、逆に30年代がアバドをはじめ、もうすこしいて欲しかった名が並ぶ。次の40年代はというと、今まさに世界の楽団を牛耳っている世代で病弱のレヴァインは別としてもみな鼻息が荒そうだ。ただここで興味深いのは、38年前の雑誌に掲載されていた40年代生まれというのは当時30歳代半ばから40歳代前半の若手であって、将来性については正直まだ未知数の人もいた。ムーティ以下ここに名前を挙げた指揮者は予想通りに大成したわけだが、その影には、本誌に掲載され当時注目されてはいても結局はそれほどでもなかったり、全く埋もれてしまった指揮者もいる。
フランソワ・ハイブレヒツ(1946~ベルギー)
ヤナーチェクの「ラスの踊り」などで鋭い感覚の持ち主であることを実証しており、すでにじゅうぶんな統率力をもっているようだが、旋律を悠容と歌わせて品がよく、叙情的な美しさと劇的迫力の両面を兼ねそなえているのが好ましい。フレーズのひとつひとつに入念な仕上げを感じさせるのはおとなの風格をもつといえるだろう(小石忠男)
と、もうこちらまでが顔が赤らむほどのべた褒めである。そこまでの指揮者を当時は別としてもこの場に及んでも全く存じ上げないというのは、小生の勉強不足かしら。
気になって調べてみたが、第1回カラヤン指揮者コンクールで入賞した後、ジョージ・セルの下で研鑽を深め、ロンドン響やベルリン・フィルなどにも客演した実績が残っている。74年に来日して都響とブルックナーの第4番やフルニエと共演したりもしている。いずれにしてもそのあとの追跡が不明である。フランソワ・ユイブレシュトと発音することもあり調べたが、例のヤナーチェクの比較的珍しい作品を集めたロンドン・フィルとの1枚のディスクのことだけで、他にはどこにも一切名前が出てこない。
次の二人は有名にはならなかったが日本でも活躍した指揮者だ。
ウリ・セガル(1944~イスラエル)ウリエル・セガルともユリー・シーガルとも呼ぶ。
最近評判の新進である。なかなかスケールの大きなところがあるが、既発売のレコードをきいた限りでは、まだ音楽に気負いが残っており、拍子を克明に振りすぎてリズムが重い。旋律線を明快につないでゆくのはよいが、流動感が弱く、歌に独特の粘りがあるのは一長一短というべきか。もうすこし将来の活動をみたい感じでもある(小石忠男)
要はまだ未熟だったということか。今は時めくヤニック・ネゼ=セガンならよく知っているが、セガルはもうひとつ聞いたことがあるようなないような・・・
ディミトリ・ミトロプーロス国際指揮者コンクールで1位を獲得し、70年にはバーンスタインのアシスタントとニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者を務めた実績がある。日本では、大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)を設立した一人で、発足時の1989年には常任指揮者を務め、その後は名誉指揮者となっている。ああそうか、それで何となく聞いたことがあったのだ。
アラン・ロンバール(1940~フランス)
ロンバールはわが国にも二度来日して知られているが、たしかに若さと押しでいろいろな作品にあたっており、オペラのみずみずしい発想には人を飽きさせない魅力がある。しかしときに奇妙なほど緊張を欠く場合もあり、考えすぎて造形をゆがめているところがある。~しかし彼の若さなら、その弱点は克服されるとみてよく、むしろ彼のたくましい意欲と誠実さを高く評価したい。(小石忠男)
この人もリヨン国立管弦楽団の指揮者として1961年にデビューした後、渡米してバーンスタインの助手を務めた経歴を持つ。比較的若くから録音も多くしたが、聴く機会は少ない。
日本人指揮者にも触れている。写真入りで大きく採りあげられているのが小泉和裕、他に井上道義、小林研一郎、秋山和慶、尾高忠明、飯守泰次郎、佐藤功太郎(故人)、小泉ひろし、福村芳一。果たしてこのうち何人が大成したのか?
by kirakuossan
| 2015-10-02 14:06
| クラシック
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