2015年 09月 19日
世界のオーケストラ/第21回 <ボストン交響楽団> ”弦のボストン” |
2015年9月19日(土)
ボストン交響楽団
よく言われることだが、ボストン交響楽団はアメリカのオーケストラのビッグ5の一角を占めると。その5つのオーケストラとは意見の分かれるところであるが、50年前の1960年代、アメリカの華やかし時代のビッグ5という前提条件をつければボストン交響楽団は確実に入るし、他にはシカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、そしてニューヨーク・フィルハーモニックが挙げられる。これらに共通していえることは、その時代の首席指揮者が名実ともに偉大であったということだろう。シカゴは第1期黄金時代を築いたフリッツ・ライナーだったし、クリーヴランドは言わずと知れたジョージ・セルであったし、フィラデルフィアはもちろんユージン・オーマンディ、ニューヨークは弱冠39歳で常任に就いたレナード・バーンスタインであった。そしてボストン交響楽団はシャルル・ミュンシュである。この5人の名前を挙げるだけでゾクゾクしてくるのであるが、いずれも甲乙つけがたい大巨匠ばかりであった。(バーンスタインは後になるが)
そのシャルル・ミュンシュの演奏を録音した「グレート・コンダクターズ - シャルル・ミュンシュ(1960-1961)」というディスクが昨日のNMLの新着タイトルで登場した。シューマンの「春」と「マンフレッド」序曲、それに好きな曲であるサン=サーンスの交響曲第3番ハ短調 「オルガン付き」が収録されていたが、このサン=サーンスの3番を耳にして、即座にこれは名演奏であると悟った。そこですぐに調べてみると、その通りで、ある音楽書物には同曲のBEST1として紹介されていた。評論家小石忠男はこう評する。
ボストン交響楽団は、ミュンシュによって彼らの黄金時代を築いた。いっぽうでアンサンブルの規律が弛緩したというきびしい意見もあるが、ミュンシュの健康で輝かしい、豪壮な力感をもった音楽は、やはり空前絶後の芸術を生み出したといってよい。このサン=サーンスの《オルガン付き》は、そうした彼らの代表的な名盤のひとつである。
サン=サーンス:
交響曲第3番 ハ短調 「オルガン付き」 Op. 78
ベルイ・ザムコヒアン(オルガン)ほか
ボストン交響楽団
シャルル・ミュンシュ(指揮)
(録音: 1960, Boston, United States)
ミュンシュとボストン響には1950年代のハイフェンツとのベートーヴェンとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、或はベルリオーズの「幻想交響曲」が稀代の名盤と誉れ高いが、これもそれに匹敵する演奏ではないかと思う。
ボストン交響楽団は、10代目常任のピエール・モントゥー(1919-1924)のあとを引き継いだ元コントラバス奏者であったセルゲイ・クーセヴィツキー(1924-1949)は指揮はいつまでも素人の域を脱しなかったと評されることもあるが、楽団の弦楽器の水準は大いに高めた。”金管のシカゴ”に対して、ここに”弦のボストン”といわれる伝統を作り上げた。そしてシャルル・ミュンシュ(1949-1962)の13年間常任のあとは長く低迷期が続くことになる。エーリヒ・ラインスドルフ(1962-1969)ウィリアム・スタインバーグ(1969-1972)、そして小澤征爾(1973-2002)その期間40年。
ここでもアンサンブルの乱れを修正すべくドイツ人指揮者ラインスドルフが登用されるわけだが、演奏曲目も含めてあまりにもミュンシュと正反対の動きをするために期待通りの活躍が出来なかった。またここで小澤征爾との30年間という異常な長さをどう判断するかだが、小澤は38歳で就任し、実に幅広いレパートリーを駆使して数多くの録音をこなしたが、正直どれだけの名演を残したか?厳しいようだが、ボストン響にとってはあまりにも長すぎた30年ではなかったか。むしろこの時期、レナード・バーンスタインやコリン・デイヴィスなどの客演指揮者との名盤が光る。バーンスタインとのリスト作曲「ファウスト交響曲」、コリン・デイヴィスのシベリウス交響曲全集などはその代表的なものである。デイヴィスはシベリウスを得意とし、2番などシュターツカペレ・ドレスデンやロンドン響と録音しているが、このボストン響との演奏が最初のものであった。
小澤のあとを継いだ実力指揮者ジェームズ・レヴァイン(2004-2011)は残念ながら体調もすぐれず、期待されたほどの活躍は出来なかった。そして先日ゲバントハウス管弦楽団のカペルマイスター就任を報じたあのアンドリス・ネルソンスを昨年から音楽監督に迎え、ようやく新しい時代を開こうとしている。
ボストン交響楽団
そのシャルル・ミュンシュの演奏を録音した「グレート・コンダクターズ - シャルル・ミュンシュ(1960-1961)」というディスクが昨日のNMLの新着タイトルで登場した。シューマンの「春」と「マンフレッド」序曲、それに好きな曲であるサン=サーンスの交響曲第3番ハ短調 「オルガン付き」が収録されていたが、このサン=サーンスの3番を耳にして、即座にこれは名演奏であると悟った。そこですぐに調べてみると、その通りで、ある音楽書物には同曲のBEST1として紹介されていた。評論家小石忠男はこう評する。
ボストン交響楽団は、ミュンシュによって彼らの黄金時代を築いた。いっぽうでアンサンブルの規律が弛緩したというきびしい意見もあるが、ミュンシュの健康で輝かしい、豪壮な力感をもった音楽は、やはり空前絶後の芸術を生み出したといってよい。このサン=サーンスの《オルガン付き》は、そうした彼らの代表的な名盤のひとつである。
サン=サーンス:
交響曲第3番 ハ短調 「オルガン付き」 Op. 78
ベルイ・ザムコヒアン(オルガン)ほか
ボストン交響楽団
シャルル・ミュンシュ(指揮)
(録音: 1960, Boston, United States)
ミュンシュとボストン響には1950年代のハイフェンツとのベートーヴェンとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、或はベルリオーズの「幻想交響曲」が稀代の名盤と誉れ高いが、これもそれに匹敵する演奏ではないかと思う。
ボストン交響楽団は、10代目常任のピエール・モントゥー(1919-1924)のあとを引き継いだ元コントラバス奏者であったセルゲイ・クーセヴィツキー(1924-1949)は指揮はいつまでも素人の域を脱しなかったと評されることもあるが、楽団の弦楽器の水準は大いに高めた。”金管のシカゴ”に対して、ここに”弦のボストン”といわれる伝統を作り上げた。そしてシャルル・ミュンシュ(1949-1962)の13年間常任のあとは長く低迷期が続くことになる。エーリヒ・ラインスドルフ(1962-1969)ウィリアム・スタインバーグ(1969-1972)、そして小澤征爾(1973-2002)その期間40年。
ここでもアンサンブルの乱れを修正すべくドイツ人指揮者ラインスドルフが登用されるわけだが、演奏曲目も含めてあまりにもミュンシュと正反対の動きをするために期待通りの活躍が出来なかった。またここで小澤征爾との30年間という異常な長さをどう判断するかだが、小澤は38歳で就任し、実に幅広いレパートリーを駆使して数多くの録音をこなしたが、正直どれだけの名演を残したか?厳しいようだが、ボストン響にとってはあまりにも長すぎた30年ではなかったか。むしろこの時期、レナード・バーンスタインやコリン・デイヴィスなどの客演指揮者との名盤が光る。バーンスタインとのリスト作曲「ファウスト交響曲」、コリン・デイヴィスのシベリウス交響曲全集などはその代表的なものである。デイヴィスはシベリウスを得意とし、2番などシュターツカペレ・ドレスデンやロンドン響と録音しているが、このボストン響との演奏が最初のものであった。
小澤のあとを継いだ実力指揮者ジェームズ・レヴァイン(2004-2011)は残念ながら体調もすぐれず、期待されたほどの活躍は出来なかった。そして先日ゲバントハウス管弦楽団のカペルマイスター就任を報じたあのアンドリス・ネルソンスを昨年から音楽監督に迎え、ようやく新しい時代を開こうとしている。
by kirakuossan
| 2015-09-19 06:28
| 世界のオーケストラ
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