2015年 07月 02日
「ベストセラーに良書なし」は本当か? |
2015年7月2日(木)
「ベストセラーに良書なし」は本当か?
岡野宏文・豊崎由美共著『百年の誤読』(ぴあ刊)は明治から現代まで、1900年から2000年までの100年間の売れ行きトップ本、いわゆるベストセラーを抽出し、年代順に次々と評価を下していく。希代の本読み二人の対談形式をとっており、互いにボケと突っ込みをやり合いながら言いたい放題、辛辣な批評を随所に加え、良書と悪書を仕分けしていく。そのやり取りが歯に衣を着せずめっぽう面白い。
たとえばこんな具合だ。
阿部次郎『三太郎の日記』を大正教養主義の本山のような本だが、逆エリート意識がおぞましすぎて虫酸が走るとする。
岡野:あのね、「三太郎」というのはさ、「丁稚」「小僧」を指す当時の蔑称だったんだって。おもねって、世間を見下しつつ、自己卑下したふりでエバり返るこんぐらがったタカピー。
豊崎:だからいやらしい逆エリート意識なんですよ。それがまた鼻につくくらい見え見えなの。おぞましすぎです。
岡野:僕は、十三章の「三五郎の詩」ってのが、底抜けにくだらなくって呆れた。<眼を開けば、近眼の眼に、/波立って見える障子の桟>とか、<やい、「重圧の精」め、/どけやい、/どけやい、/どきゃアがれやい。/女王様のお通りだぞ。>とか、あまりにもアホくさくって下手くそで。いやしくも東京帝国大学哲学科卒、漱石の門人かって(笑)
豊崎:わたくしも申し上げましょう。「三太郎の日記 第三 八 二つの途」のとこであう。ここ凄かった。一行に二回ぐらいずつ<よりよく>って言葉が出てくる文章が延々と続くの。一、二ページで四十回近く出てきてる。まるで晩年の武者小路実篤のよう(笑)
また、志賀直哉の『城の崎にて』ってほんとうに巧いの?となげかける。
岡野:この人の文章って、追いかけて言い切るのの連続でしょ。<(考えるのは)沈んだ事が多かった。淋しい考えだった>とか、<(蜂が死んでいる姿は)如何にも静かな感じを与えた。淋しかった>とか。これってほんとうに巧いの?少なくとも僕は好きじゃないんだよね。
豊崎:そうなんです。交流のあった作家の阿川弘之がある解説で「極めてわがままな書き方」って評してたのには、なぁるほどって思ったんですけど、わたしには志賀直哉って構成もなく、ただ思いつくままタラタラタラタラ書いている人のように感じられて仕方ないんですよ。わがままに書いたって名文なんだぞ、と。だからわかりやすく書くとか、芥川みたいに構成を考え抜くとか、その種の配慮をほとんど志賀直哉はしてないでしょ。
ということで、
「ベストセラーの正体って、もしかして、ひょっとして、万が一、・・・ヘナチョコ?」というめっぽう恐ろしい疑惑があったが・・・やはりそうだった、として二人して列挙したヘナチョコ作品群は次の通りだ。
1900~10年
国木田独歩『武蔵野』
小杉天外『魔風恋風』
岩野泡鳴『神秘的半獣主義』
田山花袋『蒲団』
1911~20年
長塚節『土』
阿部次郎『三太郎の日記』
森鷗外『渋江抽斎』
志賀直哉『城の崎にて』
武者小路実篤『友情』
賀川豊彦『死線を越えて』
1921~30年
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
藤森成吉『何が彼女をそうさせたか』
郡司次郎正『侍ニッポン』
林夫美子『放浪記』
小林多喜二『蟹工船』
1931~40年
尾崎士郎『人生劇場』
吉川英治『宮本武蔵』
豊田正子『綴方教室』
火野葦平『麦と兵隊』
川端康成『雪国』
1941~50年
高村光太郎『智恵子抄』
サルトル『嘔吐』
ヴァンデ・ヴェルデ『完全なる結婚』
森正蔵『旋風二十年』
永井隆『この子を残して』
ミッチェル『風と共に去りぬ』
1951~60年
大岡昇平『武蔵野夫人』
石原慎太郎『太陽の季節』
原田康子『挽歌』
謝国権『性生活の知恵』
北杜夫『どくとるマンボウ航海記』
1961~70年
林髞『頭のよくなる本』
松本清張『砂の器』
リチャード・バック『かもめのジョナサン』
五島勉『ノストラダムスの大予言』
山岡荘八『徳川家康』
大島みち子『愛と死をみつめて』
大松博文『俺についてこい』
三浦綾子『氷点』
多胡輝『頭の体操』
曽野綾子『誰のために愛するか』
1971~80年
有吉佐和子『恍惚の人』
糸山英太郎『怪物商法』
渡部昇一『知的生活の方法』
山口百恵『蒼い時』
1981~90年
黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』
田中康夫『なんとなく、クリスタル』
森村誠一『悪魔の飽食』
鈴木健二『気くばりのすすめ』
穂積隆信『積木崩し』
俵万智『サラダ記念日』
キングスレイ・ウォード『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』
二谷友里恵『愛される理由』
1991~2000年
ロバート・ウォラー『マディソン郡の橋』
永六輔『大往生』
松本人志『「松本」の「遺書」』
春山茂雄『脳内革命』
渡辺淳一『失楽園』
五木寛之『大河の一滴』
乙武洋匡『五体不満足』
大平光代『だから、あなたも生きぬいて』
K・ローリング『ハリーポッターと賢者の石』
一方では、堀辰雄の『風立ちぬ』。「いいよねえ、これは。なんだろう、この美しさってのは。流麗な文章といい、描かれている愛情のこまやかさといい、観念のうるわしさといい、何度読んでも溺れそうになります」と言い、さらに村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を挙げ、「リュウの視線の、世界とか現実の上に薄いヴェールが被さっているような感覚って、強烈に新しかったよね。現代人にとっての日常感覚として圧倒的にリアルというか」となる。
とくに現代に近づくほど良書が少なく、1990年代ではわずかさくらももこの『もものかんづめ』一冊に留まった。
岡野:この人は巧いんだ!とにかく文章が巧い!日常的なボキャブラリーを圧倒的に持っていて、しかもそれを抜群の効果で使う。
豊崎:比喩が巧いんですよね。”村上春樹のコメディレベル”ってくらい。
岡野:一つ読んでてわかるのは、書いている対象に溺れていかない。書きぶりが、読者の足元にもぐって掬おうとするような、受け狙いの卑しさがないでしょ。品がいいんだよ。
豊崎:たぶん人品骨柄卑しからぬ人なんだと思う。ときにちょっと女子離れした赤裸々なことを書いてても、ちょっとも下品にならず、逆にその捨身の姿勢が素晴らしいと感じられるのはそのせいなんです。
さくらももこは漫画家・作詞家・脚本家で、自身の少女時代をモデルとした代表作『ちびまる子ちゃん』があまりにも有名。
そこでふたりがこれはベストセラーに相応しいとしたのは次の作品だ。(中には二人して、もう一つよく理解しがたいというのもあるにはあったが・・・)
1900~10年
徳富蘆花『不如帰』
与謝野晶子『みだれ髪』
尾崎紅葉『金色夜叉』
泉鏡花『春昼』
押川春浪『東洋武侠団』
夏目漱石『それから』
1911~20年
中勘助『銀の匙』
芥川龍之介『羅生門』
佐藤春夫『田園の憂鬱』
菊池寛『恩讐の彼方に』
1921~30年
内田百聞『冥途』
小川未明『赤い蝋燭と人魚』
島田清次郎『地上』
井伏鱒二『山椒魚』
レマルク『西部戦線異状なし』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
1931~40年
中原中也『山羊の歌』
堀辰雄『風立ちぬ』
永井荷風『濹東綺譚』
織田作之助『夫婦善哉』
1941~50年
富田常次郎『姿三四郎』
中島敦『山月記』
太宰治『斜陽』
谷崎潤一郎『細雪』
1951~60年
アンネ・フランク『光のほかに アンネの日記』
三島由紀夫『潮騒』
深沢七郎『楢山節考』
石坂洋次郎『陽のあたる坂道』
安本末子『にあんちゃん』
1961~70年
司馬遼太郎『竜馬がゆく』
庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』
1971~80年
イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人とユダヤ人』➡”いざや、便出さん”のもじり。
小松左京『日本沈没』
遠藤周作『ぐうたら人間学』
村上龍『限りなく透明に近いブルー』
1981~90年
村上春樹『ノルウェイの森』
吉本ばなな『TUGUMI』
1991~2000年
さくらももこ『もものかんづめ』
岡野宏文(1955~)
神奈川県生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。演劇雑誌の編集長を経て、現在はフリーライター&エディター。
豊崎由美(1961~:写真)
愛知県生まれ。ライター、書評家。文芸のみならず、演劇、競馬、スポーツ・・・と広範囲に活躍。
「ベストセラーに良書なし」は本当か?
岡野宏文・豊崎由美共著『百年の誤読』(ぴあ刊)は明治から現代まで、1900年から2000年までの100年間の売れ行きトップ本、いわゆるベストセラーを抽出し、年代順に次々と評価を下していく。希代の本読み二人の対談形式をとっており、互いにボケと突っ込みをやり合いながら言いたい放題、辛辣な批評を随所に加え、良書と悪書を仕分けしていく。そのやり取りが歯に衣を着せずめっぽう面白い。
たとえばこんな具合だ。
阿部次郎『三太郎の日記』を大正教養主義の本山のような本だが、逆エリート意識がおぞましすぎて虫酸が走るとする。
岡野:あのね、「三太郎」というのはさ、「丁稚」「小僧」を指す当時の蔑称だったんだって。おもねって、世間を見下しつつ、自己卑下したふりでエバり返るこんぐらがったタカピー。
豊崎:だからいやらしい逆エリート意識なんですよ。それがまた鼻につくくらい見え見えなの。おぞましすぎです。
岡野:僕は、十三章の「三五郎の詩」ってのが、底抜けにくだらなくって呆れた。<眼を開けば、近眼の眼に、/波立って見える障子の桟>とか、<やい、「重圧の精」め、/どけやい、/どけやい、/どきゃアがれやい。/女王様のお通りだぞ。>とか、あまりにもアホくさくって下手くそで。いやしくも東京帝国大学哲学科卒、漱石の門人かって(笑)
豊崎:わたくしも申し上げましょう。「三太郎の日記 第三 八 二つの途」のとこであう。ここ凄かった。一行に二回ぐらいずつ<よりよく>って言葉が出てくる文章が延々と続くの。一、二ページで四十回近く出てきてる。まるで晩年の武者小路実篤のよう(笑)
また、志賀直哉の『城の崎にて』ってほんとうに巧いの?となげかける。
岡野:この人の文章って、追いかけて言い切るのの連続でしょ。<(考えるのは)沈んだ事が多かった。淋しい考えだった>とか、<(蜂が死んでいる姿は)如何にも静かな感じを与えた。淋しかった>とか。これってほんとうに巧いの?少なくとも僕は好きじゃないんだよね。
豊崎:そうなんです。交流のあった作家の阿川弘之がある解説で「極めてわがままな書き方」って評してたのには、なぁるほどって思ったんですけど、わたしには志賀直哉って構成もなく、ただ思いつくままタラタラタラタラ書いている人のように感じられて仕方ないんですよ。わがままに書いたって名文なんだぞ、と。だからわかりやすく書くとか、芥川みたいに構成を考え抜くとか、その種の配慮をほとんど志賀直哉はしてないでしょ。
ということで、
「ベストセラーの正体って、もしかして、ひょっとして、万が一、・・・ヘナチョコ?」というめっぽう恐ろしい疑惑があったが・・・やはりそうだった、として二人して列挙したヘナチョコ作品群は次の通りだ。
1900~10年
国木田独歩『武蔵野』
小杉天外『魔風恋風』
岩野泡鳴『神秘的半獣主義』
田山花袋『蒲団』
1911~20年
長塚節『土』
阿部次郎『三太郎の日記』
森鷗外『渋江抽斎』
志賀直哉『城の崎にて』
武者小路実篤『友情』
賀川豊彦『死線を越えて』
1921~30年
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
藤森成吉『何が彼女をそうさせたか』
郡司次郎正『侍ニッポン』
林夫美子『放浪記』
小林多喜二『蟹工船』
1931~40年
尾崎士郎『人生劇場』
吉川英治『宮本武蔵』
豊田正子『綴方教室』
火野葦平『麦と兵隊』
川端康成『雪国』
1941~50年
高村光太郎『智恵子抄』
サルトル『嘔吐』
ヴァンデ・ヴェルデ『完全なる結婚』
森正蔵『旋風二十年』
永井隆『この子を残して』
ミッチェル『風と共に去りぬ』
1951~60年
大岡昇平『武蔵野夫人』
石原慎太郎『太陽の季節』
原田康子『挽歌』
謝国権『性生活の知恵』
北杜夫『どくとるマンボウ航海記』
1961~70年
林髞『頭のよくなる本』
松本清張『砂の器』
リチャード・バック『かもめのジョナサン』
五島勉『ノストラダムスの大予言』
山岡荘八『徳川家康』
大島みち子『愛と死をみつめて』
大松博文『俺についてこい』
三浦綾子『氷点』
多胡輝『頭の体操』
曽野綾子『誰のために愛するか』
1971~80年
有吉佐和子『恍惚の人』
糸山英太郎『怪物商法』
渡部昇一『知的生活の方法』
山口百恵『蒼い時』
1981~90年
黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』
田中康夫『なんとなく、クリスタル』
森村誠一『悪魔の飽食』
鈴木健二『気くばりのすすめ』
穂積隆信『積木崩し』
俵万智『サラダ記念日』
キングスレイ・ウォード『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』
二谷友里恵『愛される理由』
1991~2000年
ロバート・ウォラー『マディソン郡の橋』
永六輔『大往生』
松本人志『「松本」の「遺書」』
春山茂雄『脳内革命』
渡辺淳一『失楽園』
五木寛之『大河の一滴』
乙武洋匡『五体不満足』
大平光代『だから、あなたも生きぬいて』
K・ローリング『ハリーポッターと賢者の石』
一方では、堀辰雄の『風立ちぬ』。「いいよねえ、これは。なんだろう、この美しさってのは。流麗な文章といい、描かれている愛情のこまやかさといい、観念のうるわしさといい、何度読んでも溺れそうになります」と言い、さらに村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を挙げ、「リュウの視線の、世界とか現実の上に薄いヴェールが被さっているような感覚って、強烈に新しかったよね。現代人にとっての日常感覚として圧倒的にリアルというか」となる。
とくに現代に近づくほど良書が少なく、1990年代ではわずかさくらももこの『もものかんづめ』一冊に留まった。
岡野:この人は巧いんだ!とにかく文章が巧い!日常的なボキャブラリーを圧倒的に持っていて、しかもそれを抜群の効果で使う。
豊崎:比喩が巧いんですよね。”村上春樹のコメディレベル”ってくらい。
岡野:一つ読んでてわかるのは、書いている対象に溺れていかない。書きぶりが、読者の足元にもぐって掬おうとするような、受け狙いの卑しさがないでしょ。品がいいんだよ。
豊崎:たぶん人品骨柄卑しからぬ人なんだと思う。ときにちょっと女子離れした赤裸々なことを書いてても、ちょっとも下品にならず、逆にその捨身の姿勢が素晴らしいと感じられるのはそのせいなんです。
さくらももこは漫画家・作詞家・脚本家で、自身の少女時代をモデルとした代表作『ちびまる子ちゃん』があまりにも有名。
そこでふたりがこれはベストセラーに相応しいとしたのは次の作品だ。(中には二人して、もう一つよく理解しがたいというのもあるにはあったが・・・)
1900~10年
徳富蘆花『不如帰』
与謝野晶子『みだれ髪』
尾崎紅葉『金色夜叉』
泉鏡花『春昼』
押川春浪『東洋武侠団』
夏目漱石『それから』
1911~20年
中勘助『銀の匙』
芥川龍之介『羅生門』
佐藤春夫『田園の憂鬱』
菊池寛『恩讐の彼方に』
1921~30年
内田百聞『冥途』
小川未明『赤い蝋燭と人魚』
島田清次郎『地上』
井伏鱒二『山椒魚』
レマルク『西部戦線異状なし』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
1931~40年
中原中也『山羊の歌』
堀辰雄『風立ちぬ』
永井荷風『濹東綺譚』
織田作之助『夫婦善哉』
1941~50年
富田常次郎『姿三四郎』
中島敦『山月記』
太宰治『斜陽』
谷崎潤一郎『細雪』
1951~60年
アンネ・フランク『光のほかに アンネの日記』
三島由紀夫『潮騒』
深沢七郎『楢山節考』
石坂洋次郎『陽のあたる坂道』
安本末子『にあんちゃん』
1961~70年
司馬遼太郎『竜馬がゆく』
庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』
1971~80年
イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人とユダヤ人』➡”いざや、便出さん”のもじり。
小松左京『日本沈没』
遠藤周作『ぐうたら人間学』
村上龍『限りなく透明に近いブルー』
1981~90年
村上春樹『ノルウェイの森』
吉本ばなな『TUGUMI』
1991~2000年
さくらももこ『もものかんづめ』
岡野宏文(1955~)
神奈川県生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。演劇雑誌の編集長を経て、現在はフリーライター&エディター。
豊崎由美(1961~:写真)
愛知県生まれ。ライター、書評家。文芸のみならず、演劇、競馬、スポーツ・・・と広範囲に活躍。
by kirakuossan
| 2015-07-02 22:25
| 文芸
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