2015年 05月 29日
木曾路はすべて山の中である。 |
2015年5月29日(金)
木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
島崎藤村の長編小説『夜明け前』の書き出しの文章がとても印象的である。とくに最初の「木曾路はすべて山の中である」が圧倒的な力を放つ。15文字の文章の美しさ、簡潔さ、神秘性といったものが読者を誘い、今から読もうとする長編小説へのわくわく感を読者に抱かせる。それはわずか15文字で全あらすじを予告でもしているように、実に巧みである。
どんな小説でもこの書き出し文でおおかたの流れを推測するし、その読み物に読者が心惹かれ、興味を示すか否かの分かれ目にもなる。藤村はその書き出し部がとくに上手ではないだろうか。それは彼が最初、詩人であったことに大きく起因しているであろう。そう、詩的感覚を帯びた文章表現が読者の気持ちをそっと解きほぐし、想像力を湧き立たせるのにうまく作用をしていると考えられる。
おげんはぐっすり寝て、朝の四時頃には自分の娘や小さな甥なぞの側に眼をさました。慣れない床、慣れない枕、慣れない蚊帳の内で、そんなに前後も知らずに深く眠られたというだけでも、おげんに取ってはめずらしかった。気の置けないものばかり――娘のお新に、婆やに、九つになる小さな甥まで入れると、都合四人も同じ蚊帳の内に枕を並べて寝たこともめずらしかった。
これは『ある女の生涯』の冒頭部だが、慣れない枕や蚊帳とともに、これから出てくる”気の置けない人物”をひとまとめにして紹介する、それもだらだら感を持たせずして。
ところで藤村の小説をどれほど知っているかというと、それはノーである。でもよく見ると彼には二語の名のついた小説が多いことに気づく。
「秋草」「朝飯」「刺繍」「出発」「食堂」「新生」「足袋」「突貫」「並木」「芭蕉」「分配」「芽生」「幸福」「力餅」「灯火」「破戒」。
時計屋へ直しに遣つてあつた八角形の柱時計が復た部屋の柱の上に掛つて、元のやうに音がし出した。その柱だけにも六年も掛つて居る時計だ。三年前に叔母さんが産後の出血で急に亡くなつたのも、その時計の下だ。(出発)
「比佐さんも好いけれど、アスが太過ぎる……」
仙台名影町の吉田屋という旅人宿兼下宿の奥二階で、そこからある学校へ通っている年の若い教師の客をつかまえて、頬辺の紅い宿の娘がそんなことを言って笑った。シとスと取違えた訛のある仙台弁で。(足袋)
私は今、ある試みを思ひ立つて居る。もし斯の仕事が思ふやうに捗取(はかど)つたら、いづれそれを持つて山を下りようと思ふ。けれども斯のことは未だ誰にも言はずにある。(突貫)
お三輪が東京の方にいる伜の新七からの便りを受取って、浦和の町からちょっと上京しようと思い立つ頃は、震災後満一年にあたる九月一日がまためぐって来た頃であった。お三輪に、彼女が娵(よめ)のお富に、二人の孫に、子守娘に、この家族は震災の当時東京から焼出されて、浦和まで落ちのびて来たものばかりであった。(食堂)
浅間の麓へも春が近づいた。いよいよ私は住慣れた土地を離れて、山を下りることに決心した。
七年の間、私は田舎教師として小諸に留まって、山の生活を眺め暮した。(芽生)
これらの小説の書き出し文もそれぞれに味わいが違う。その文章から読み取れるのは、ひょっとして著者がその小説の中で一番言いたかったことを、冒頭部で真っ先に簡潔に述べているのではないか。
次の『千曲川のスケッチ』より「山荘」の書き出し部だが、これこそ藤村文学のエキスがすべて凝縮されたものだろう。
浅間の方から落ちて来る細流は竹藪のところで二つに別れて、一つは水車小屋のある窪い浅い谷の方へ私の家の裏を横ぎり、一つは馬場裏の町について流れている。その流に添う家々は私の家の組合だ。私は馬場裏へ移ると直ぐその組合に入れられた。一体、この小諸の町には、平地というものが無い。すこし雨でも降ると、細い川まで砂を押流すくらいの地勢だ。私は本町へ買物に出るにも組合の家の横手からすこし勾配のある道を上らねばならぬ。
木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
島崎藤村の長編小説『夜明け前』の書き出しの文章がとても印象的である。とくに最初の「木曾路はすべて山の中である」が圧倒的な力を放つ。15文字の文章の美しさ、簡潔さ、神秘性といったものが読者を誘い、今から読もうとする長編小説へのわくわく感を読者に抱かせる。それはわずか15文字で全あらすじを予告でもしているように、実に巧みである。
どんな小説でもこの書き出し文でおおかたの流れを推測するし、その読み物に読者が心惹かれ、興味を示すか否かの分かれ目にもなる。藤村はその書き出し部がとくに上手ではないだろうか。それは彼が最初、詩人であったことに大きく起因しているであろう。そう、詩的感覚を帯びた文章表現が読者の気持ちをそっと解きほぐし、想像力を湧き立たせるのにうまく作用をしていると考えられる。
おげんはぐっすり寝て、朝の四時頃には自分の娘や小さな甥なぞの側に眼をさました。慣れない床、慣れない枕、慣れない蚊帳の内で、そんなに前後も知らずに深く眠られたというだけでも、おげんに取ってはめずらしかった。気の置けないものばかり――娘のお新に、婆やに、九つになる小さな甥まで入れると、都合四人も同じ蚊帳の内に枕を並べて寝たこともめずらしかった。
これは『ある女の生涯』の冒頭部だが、慣れない枕や蚊帳とともに、これから出てくる”気の置けない人物”をひとまとめにして紹介する、それもだらだら感を持たせずして。
ところで藤村の小説をどれほど知っているかというと、それはノーである。でもよく見ると彼には二語の名のついた小説が多いことに気づく。
「秋草」「朝飯」「刺繍」「出発」「食堂」「新生」「足袋」「突貫」「並木」「芭蕉」「分配」「芽生」「幸福」「力餅」「灯火」「破戒」。
時計屋へ直しに遣つてあつた八角形の柱時計が復た部屋の柱の上に掛つて、元のやうに音がし出した。その柱だけにも六年も掛つて居る時計だ。三年前に叔母さんが産後の出血で急に亡くなつたのも、その時計の下だ。(出発)
「比佐さんも好いけれど、アスが太過ぎる……」
仙台名影町の吉田屋という旅人宿兼下宿の奥二階で、そこからある学校へ通っている年の若い教師の客をつかまえて、頬辺の紅い宿の娘がそんなことを言って笑った。シとスと取違えた訛のある仙台弁で。(足袋)
私は今、ある試みを思ひ立つて居る。もし斯の仕事が思ふやうに捗取(はかど)つたら、いづれそれを持つて山を下りようと思ふ。けれども斯のことは未だ誰にも言はずにある。(突貫)
お三輪が東京の方にいる伜の新七からの便りを受取って、浦和の町からちょっと上京しようと思い立つ頃は、震災後満一年にあたる九月一日がまためぐって来た頃であった。お三輪に、彼女が娵(よめ)のお富に、二人の孫に、子守娘に、この家族は震災の当時東京から焼出されて、浦和まで落ちのびて来たものばかりであった。(食堂)
浅間の麓へも春が近づいた。いよいよ私は住慣れた土地を離れて、山を下りることに決心した。
七年の間、私は田舎教師として小諸に留まって、山の生活を眺め暮した。(芽生)
これらの小説の書き出し文もそれぞれに味わいが違う。その文章から読み取れるのは、ひょっとして著者がその小説の中で一番言いたかったことを、冒頭部で真っ先に簡潔に述べているのではないか。
次の『千曲川のスケッチ』より「山荘」の書き出し部だが、これこそ藤村文学のエキスがすべて凝縮されたものだろう。
浅間の方から落ちて来る細流は竹藪のところで二つに別れて、一つは水車小屋のある窪い浅い谷の方へ私の家の裏を横ぎり、一つは馬場裏の町について流れている。その流に添う家々は私の家の組合だ。私は馬場裏へ移ると直ぐその組合に入れられた。一体、この小諸の町には、平地というものが無い。すこし雨でも降ると、細い川まで砂を押流すくらいの地勢だ。私は本町へ買物に出るにも組合の家の横手からすこし勾配のある道を上らねばならぬ。
by kirakuossan
| 2015-05-29 05:38
| 文芸
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