2015年 03月 05日
肩の凝らない赤瀬川隼の小説 |
2015年3月5日(木)
BOOKOFF に会員カードが新しくできた。支払カウンターで勧められたが最初断ったが、「このカード、初めて見るね」というと店員は「今日からの発行です」という。それは初物だ、初日とは縁起がいいということで結局入会した。100円で1円の割引特典が付くと云っていた。
赤瀬川隼の小説は肩が凝らなくてよい。文庫本ではまず見かけないが、単行本では時折置いてあって、買うことにしている。短編集の『四人の食卓』という表題はどことなくほのぼのとした感じで、表紙も可愛い。赤瀬川氏は銀行員から脱サラして50歳を過ぎてから執筆活動に入った。そして63歳8か月、『白球残映』で直木賞を受賞した遅咲きの作家である。この著書も同じ1995年に発刊された。
「四人の食卓」は、4年前に妻を亡くした父と息子の二人生活。そこにある日父の仕事の関係先で日頃より好感を持っているの独身女性北野藍嬢、それと息子と息子の恋人との4人がわが家で食事をする。久々の明るい愉しい食事風景が、読者まで嬉しくさせてくれる。息子はその人と結婚することになった。そしてしばらくしてから・・・
北野藍嬢から、結婚披露宴への招待状が届いたのは、それからおよそ半年後だった。相手はわたしの知らないドイツ人だった。
主人公のふっとした落胆とも羨みともとれる心境が最後の「相手はわたしの知らないドイツ人だった」に凝縮されている。ただそれだけの他愛のない短篇だが、どことなくほのぼのとした味がある。
「秋を呼ぶ風」、これは主人公が定年を迎え、皆に送りだされて帰ってくる。わが家に辿りつくや否や未婚の長女が妊娠している話を聞かされる。「定年退職しても、退屈しなくて済むようになっているらしい」と嘆くが・・・これもどうにか上手くおさまりそうだ・・・
赤瀬川隼の小説はどれにも優しさとほのぼのとした温もりがある。これは氏自身の人柄から出てくるものだろう。
赤瀬川隼の小説は肩が凝らなくてよい。文庫本ではまず見かけないが、単行本では時折置いてあって、買うことにしている。短編集の『四人の食卓』という表題はどことなくほのぼのとした感じで、表紙も可愛い。赤瀬川氏は銀行員から脱サラして50歳を過ぎてから執筆活動に入った。そして63歳8か月、『白球残映』で直木賞を受賞した遅咲きの作家である。この著書も同じ1995年に発刊された。
「四人の食卓」は、4年前に妻を亡くした父と息子の二人生活。そこにある日父の仕事の関係先で日頃より好感を持っているの独身女性北野藍嬢、それと息子と息子の恋人との4人がわが家で食事をする。久々の明るい愉しい食事風景が、読者まで嬉しくさせてくれる。息子はその人と結婚することになった。そしてしばらくしてから・・・
北野藍嬢から、結婚披露宴への招待状が届いたのは、それからおよそ半年後だった。相手はわたしの知らないドイツ人だった。
主人公のふっとした落胆とも羨みともとれる心境が最後の「相手はわたしの知らないドイツ人だった」に凝縮されている。ただそれだけの他愛のない短篇だが、どことなくほのぼのとした味がある。
「秋を呼ぶ風」、これは主人公が定年を迎え、皆に送りだされて帰ってくる。わが家に辿りつくや否や未婚の長女が妊娠している話を聞かされる。「定年退職しても、退屈しなくて済むようになっているらしい」と嘆くが・・・これもどうにか上手くおさまりそうだ・・・
赤瀬川隼の小説はどれにも優しさとほのぼのとした温もりがある。これは氏自身の人柄から出てくるものだろう。
by kirakuossan
| 2015-03-05 16:27
| 文芸
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