2015年 01月 31日
虹の足 |
2015年1月31日(土)
雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田園の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すくっと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
―おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが―。
虹の足 吉野弘
吉野弘の詩は、男の優しさ、大人の優しさ、人間としての優しさがにじみでる。
みそ汁に入れる豆腐は、さっと湯に通して少しまだ早いかな?と思うぐらいに火を止めると、ちょうどころあいの柔らかさに仕上がる。つるんつるんとした豆腐は、そのあと温め直しても、いつまでもつるんつるんのままである。何事も最初が肝心。このことは湯豆腐でも同じである。お湯の中でグツグツ音を立てるようではもう美味しくない。
うちは浄土真宗だが、もう50年以上世話になっているお寺さんの今日は新年会、初めて出席の返事を出してみた。昨夜かみさんと話していた。
「住職のこと、どう呼ぶのか?」
「うちのおばーちゃん、”ごえんさん”とか呼んでいたよ」
調べてみると、正式にはご院家さん(ごいんげさん)、関西地方の浄土真宗ではそれが詰まって御院さん(ごいんさん)、これがなまってごえんさん(ご縁さん)と呼ばれることが多いと書いてある。
きょうは「ご縁さん」でいこうか。 もうそんな年になったんだ。。。
雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田園の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すくっと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
―おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが―。
虹の足 吉野弘
吉野弘の詩は、男の優しさ、大人の優しさ、人間としての優しさがにじみでる。
みそ汁に入れる豆腐は、さっと湯に通して少しまだ早いかな?と思うぐらいに火を止めると、ちょうどころあいの柔らかさに仕上がる。つるんつるんとした豆腐は、そのあと温め直しても、いつまでもつるんつるんのままである。何事も最初が肝心。このことは湯豆腐でも同じである。お湯の中でグツグツ音を立てるようではもう美味しくない。
うちは浄土真宗だが、もう50年以上世話になっているお寺さんの今日は新年会、初めて出席の返事を出してみた。昨夜かみさんと話していた。
「住職のこと、どう呼ぶのか?」
「うちのおばーちゃん、”ごえんさん”とか呼んでいたよ」
調べてみると、正式にはご院家さん(ごいんげさん)、関西地方の浄土真宗ではそれが詰まって御院さん(ごいんさん)、これがなまってごえんさん(ご縁さん)と呼ばれることが多いと書いてある。
きょうは「ご縁さん」でいこうか。 もうそんな年になったんだ。。。
by kirakuossan
| 2015-01-31 08:09
| 文芸
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