2015年 01月 22日
藤沢周平のエッセイ |
2015年1月22日(木)
松井君から藤沢周平の小説のことを聞き、早速読んでいるが、あれもこれもと他に読みたいものもあってなかなか読み進めない。そこへ先日図書館で藤沢周平全集の中から、エッセイ集なるものを1冊借りてきた。これがなかなか面白くて、こちらの方から先に読んでいる。
僕には時代小説を読む習慣がないために、なかなか一気に読み切るということはできないようだ。その点、エッセイは短く、読みやすく、また作者の人となりが自然な形で文章に現れるので好きである。そういうと同じ時代小説家の池波正太郎でも本来の小説は1冊も知らないのに、彼の書いた食べ物などを中心とした随筆はずいぶんと読んできた。
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冬の散歩道 藤沢周平
雨さえ降らなければ、なるべく朝の間に散歩に出る。私はゴルフもやらずジョギングの出来ず、たいていは机の前に坐って何か書くか本を読むか、またはテープの音楽を聞くかしているので、一日三十分ほどのその散歩が唯一の運動ということになる。
町内を抜けて中学校の横の道をまっすぐ南に歩いて行くと、やがて小公園に着く。雑木林と広場にほんの少し子供のための遊具があるだけの公園で、林の中身はクヌギ、ナラ、マツ、アカシデ、ケヤキ、サクラなどである。奇怪な形をしたニワトコの木もある。
落葉を掃いたあとの冬の公園は、林のずっと奥まで見通せるようになる。そこには寒い風が吹き抜けているのだが、天気のいい日は隈なく日がさしこんで、冬の雑木林は夏にくらべるととても明るい。その明るさにさそわれて雑木林の奥まで入りこむことになる。
公園を抜けたところが高架の関越自動車道で、私はその下をくぐり抜けて日あたりのいい南側に出る。すると自動車道の太いコンクリートの柱に、英語でアナーキーと書いてある。すぐそばには、もっと大きな字でこの附近の暴走族グループの名前も書いてある。完全な社会というものはなく、社会は反社会な心情を掻きたてる要素を抱えながら存在していることを、こういう落書が示している。
関越自動車道に沿って西に歩き、途中でその騒騒しいコンクリートの建築物とわかれてまた住宅地に入り、坂道を上がると小学校の角に出る。運がよければ、そこで元気にあそんでいる休み時間の子供たちが見られる。
小学校の敷地をはなれると広い芝生のある道に出て、芝生のむこうに大きな農家と見事なケヤキの大木が見えて来る。冬の大木は、すべての虚飾をはぎ取られて本来の思想だけで立っているというおもむきがある。
もうちょっと齢取るとああなる。覚悟はいいかと思いながら、道をまた右に曲って変電所わきの小さな坂道をのぼり切ると、また左右が芝生の道に出る。風がある日、ここで正面からつめたい風をうけてはなみずたらすことになる。
二月、三月は猫族の恋の季節である。あるあたたかい日、坂道を上がると芝生の隅にいた三匹の猫のうち二匹が猛烈な勢いで走り出した。追いかける方がみるみる距離をつめて、あわや格闘かと思われたが、追われている方がすばらしいラストスパートできわどく逃げ切り、垣根の裏に姿を消した。しかし追った方はそのまま垣根のこちら側にうずくまって待ち伏せし、なかなかの執念である。三角関係とみた。
歩いて行くと、争いの種になった雌猫と思われる猫が道に出て来た。それが存外に不器量な猫なので、思わずにやりとする。しかし器量がいい女性と魅力のある女性というものは違うだろうから、といった感想がまとまるころには出発点に近いバス道路が見えて来て、私の散歩も終わりに近づいているのである。
『婦人と暮し』昭和六一年五月号より
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藤沢周平(1927~1997)は、山形県鶴岡市出身。山形の師範学校を出て、地元の中学校の教員となるが肺結核を患い、僅か2年で休職となる。退院後は、業界新聞社を転々とする苦労の時代も体験する。何かここで、教員時代や職を転々とするなど、若狭の同じく寒村に生れた作家水上勉のこととだぶったりする。
苦労した人生経験の中にも常にウイットが存在し、人間的魅力を感じさせる藤沢周平、もう少しエッセイ集を読んでみようと思う。
松井君から藤沢周平の小説のことを聞き、早速読んでいるが、あれもこれもと他に読みたいものもあってなかなか読み進めない。そこへ先日図書館で藤沢周平全集の中から、エッセイ集なるものを1冊借りてきた。これがなかなか面白くて、こちらの方から先に読んでいる。
僕には時代小説を読む習慣がないために、なかなか一気に読み切るということはできないようだ。その点、エッセイは短く、読みやすく、また作者の人となりが自然な形で文章に現れるので好きである。そういうと同じ時代小説家の池波正太郎でも本来の小説は1冊も知らないのに、彼の書いた食べ物などを中心とした随筆はずいぶんと読んできた。
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冬の散歩道 藤沢周平
雨さえ降らなければ、なるべく朝の間に散歩に出る。私はゴルフもやらずジョギングの出来ず、たいていは机の前に坐って何か書くか本を読むか、またはテープの音楽を聞くかしているので、一日三十分ほどのその散歩が唯一の運動ということになる。
町内を抜けて中学校の横の道をまっすぐ南に歩いて行くと、やがて小公園に着く。雑木林と広場にほんの少し子供のための遊具があるだけの公園で、林の中身はクヌギ、ナラ、マツ、アカシデ、ケヤキ、サクラなどである。奇怪な形をしたニワトコの木もある。
落葉を掃いたあとの冬の公園は、林のずっと奥まで見通せるようになる。そこには寒い風が吹き抜けているのだが、天気のいい日は隈なく日がさしこんで、冬の雑木林は夏にくらべるととても明るい。その明るさにさそわれて雑木林の奥まで入りこむことになる。
公園を抜けたところが高架の関越自動車道で、私はその下をくぐり抜けて日あたりのいい南側に出る。すると自動車道の太いコンクリートの柱に、英語でアナーキーと書いてある。すぐそばには、もっと大きな字でこの附近の暴走族グループの名前も書いてある。完全な社会というものはなく、社会は反社会な心情を掻きたてる要素を抱えながら存在していることを、こういう落書が示している。
関越自動車道に沿って西に歩き、途中でその騒騒しいコンクリートの建築物とわかれてまた住宅地に入り、坂道を上がると小学校の角に出る。運がよければ、そこで元気にあそんでいる休み時間の子供たちが見られる。
小学校の敷地をはなれると広い芝生のある道に出て、芝生のむこうに大きな農家と見事なケヤキの大木が見えて来る。冬の大木は、すべての虚飾をはぎ取られて本来の思想だけで立っているというおもむきがある。
もうちょっと齢取るとああなる。覚悟はいいかと思いながら、道をまた右に曲って変電所わきの小さな坂道をのぼり切ると、また左右が芝生の道に出る。風がある日、ここで正面からつめたい風をうけてはなみずたらすことになる。
二月、三月は猫族の恋の季節である。あるあたたかい日、坂道を上がると芝生の隅にいた三匹の猫のうち二匹が猛烈な勢いで走り出した。追いかける方がみるみる距離をつめて、あわや格闘かと思われたが、追われている方がすばらしいラストスパートできわどく逃げ切り、垣根の裏に姿を消した。しかし追った方はそのまま垣根のこちら側にうずくまって待ち伏せし、なかなかの執念である。三角関係とみた。
歩いて行くと、争いの種になった雌猫と思われる猫が道に出て来た。それが存外に不器量な猫なので、思わずにやりとする。しかし器量がいい女性と魅力のある女性というものは違うだろうから、といった感想がまとまるころには出発点に近いバス道路が見えて来て、私の散歩も終わりに近づいているのである。
『婦人と暮し』昭和六一年五月号より
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藤沢周平(1927~1997)は、山形県鶴岡市出身。山形の師範学校を出て、地元の中学校の教員となるが肺結核を患い、僅か2年で休職となる。退院後は、業界新聞社を転々とする苦労の時代も体験する。何かここで、教員時代や職を転々とするなど、若狭の同じく寒村に生れた作家水上勉のこととだぶったりする。
苦労した人生経験の中にも常にウイットが存在し、人間的魅力を感じさせる藤沢周平、もう少しエッセイ集を読んでみようと思う。
by kirakuossan
| 2015-01-22 14:52
| 文芸
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