2015年 01月 05日
ヘンデルとバッハ ➊ |
2015年1月5日(月)
今から330年前の1685年、同じ年に偶然にも二人の偉大な作曲家が生まれた。
ひとりはドイツ、ブランデンブルク・プロイセン領のハレで生を受け、イタリア各地を巡ったあと、人生の大半をイギリスで過ごし、オペラやオラトリオなどの劇場用音楽で本領を発揮し、華々しい活躍をした。
ひとりはドイツのテューリンゲンのとある小さな村に生れ、終生故国ドイツを離れることはなく、教会のオルガニストの地位にあって膨大な量の作曲を成した。この二人はある意味で好対照の人生を送り、そしてそれぞれに自らの音楽家としての最高の域に達しえたこと、まことに興味深いことである。前者がゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルであり、後者がヨハン・ゼバスティアン・バッハ、その人である。
二人にとってのオペラの存在
ヘンデルが最も多く作曲したのは独唱のアリアで、2000曲以上に及ぶ。それらはオーケストラや器樂アンサンブル、またあるものは通奏低音だけの伴奏が伴い、オペラやオラトリオ、そしてカンタータという形でその姿を見せる。まず彼のアリアの素晴らしさはオペラの中に覗えるが、それは彼の長いオペラとの関わり合いから生まれるものである。ハンブルクのゲンゼルマルクト劇場でのヴァイオリニスト、あるいはハープシコード奏者としての活動に始まり、作曲家としてもその劇場で働いた。18歳の若い頃のこのような体験が、のちの彼の音楽に決定的な影響を及ぼした。
一方のバッハはどうだったかと言うと、オペラとは全く無縁であった。あれほどの広汎な領域の音楽を創造したにもかかわらず、オペラは一曲も作曲していない。彼も18歳でヴァイマルの宮廷楽団に入る。そこで最初ヴァイオリンを担当したが、やがて代役でオルガン演奏もこなした。このことが彼の一生を決定づけることとなった。リューベックにある聖マリア教会のオルガニスト、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニスト、さらにヴァイマルに移って宮廷オルガニスト、そして、32歳でケーテンの宮廷楽長の職に就くこととなる。ヴァイマル時代に多くのオルガン曲を書き、月に一曲の割合でカンタータを作曲、上演した。そして、ケーテンにいたバッハは僅か4マイル(6kmあまり)のハレにいたヘンデルに会うため彼のもとを訪れることとなる。バッハ、ヘンデルが34歳の時である。
ヘンデル:
歌劇「セルセ」 HWV 40 - 第1幕 アリア 「安らぎの木陰」(1738年)
このオンブラ・マイ・フ(ラルゴ)は、”ヘンデルのラルゴ”と親しまれている。
バッハ:
前奏曲とフーガ ニ長調 BWV 532(1708年)
青年バッハがオルガン音楽に新風を吹き込んだ意趣ある作品とされる。
つづく・・・
今から330年前の1685年、同じ年に偶然にも二人の偉大な作曲家が生まれた。
ひとりはドイツ、ブランデンブルク・プロイセン領のハレで生を受け、イタリア各地を巡ったあと、人生の大半をイギリスで過ごし、オペラやオラトリオなどの劇場用音楽で本領を発揮し、華々しい活躍をした。
ひとりはドイツのテューリンゲンのとある小さな村に生れ、終生故国ドイツを離れることはなく、教会のオルガニストの地位にあって膨大な量の作曲を成した。この二人はある意味で好対照の人生を送り、そしてそれぞれに自らの音楽家としての最高の域に達しえたこと、まことに興味深いことである。前者がゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルであり、後者がヨハン・ゼバスティアン・バッハ、その人である。
二人にとってのオペラの存在
ヘンデルが最も多く作曲したのは独唱のアリアで、2000曲以上に及ぶ。それらはオーケストラや器樂アンサンブル、またあるものは通奏低音だけの伴奏が伴い、オペラやオラトリオ、そしてカンタータという形でその姿を見せる。まず彼のアリアの素晴らしさはオペラの中に覗えるが、それは彼の長いオペラとの関わり合いから生まれるものである。ハンブルクのゲンゼルマルクト劇場でのヴァイオリニスト、あるいはハープシコード奏者としての活動に始まり、作曲家としてもその劇場で働いた。18歳の若い頃のこのような体験が、のちの彼の音楽に決定的な影響を及ぼした。
一方のバッハはどうだったかと言うと、オペラとは全く無縁であった。あれほどの広汎な領域の音楽を創造したにもかかわらず、オペラは一曲も作曲していない。彼も18歳でヴァイマルの宮廷楽団に入る。そこで最初ヴァイオリンを担当したが、やがて代役でオルガン演奏もこなした。このことが彼の一生を決定づけることとなった。リューベックにある聖マリア教会のオルガニスト、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニスト、さらにヴァイマルに移って宮廷オルガニスト、そして、32歳でケーテンの宮廷楽長の職に就くこととなる。ヴァイマル時代に多くのオルガン曲を書き、月に一曲の割合でカンタータを作曲、上演した。そして、ケーテンにいたバッハは僅か4マイル(6kmあまり)のハレにいたヘンデルに会うため彼のもとを訪れることとなる。バッハ、ヘンデルが34歳の時である。
ヘンデル:
歌劇「セルセ」 HWV 40 - 第1幕 アリア 「安らぎの木陰」(1738年)
このオンブラ・マイ・フ(ラルゴ)は、”ヘンデルのラルゴ”と親しまれている。
バッハ:
前奏曲とフーガ ニ長調 BWV 532(1708年)
青年バッハがオルガン音楽に新風を吹き込んだ意趣ある作品とされる。
つづく・・・
by kirakuossan
| 2015-01-05 23:19
| クラシック
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