2014年 08月 17日
雷電の生家 |
2014年8月17日(日)
江戸本場所36場所中で、通算黒星が僅か10個、勝率.962という大相撲史上未曾有の最強力士に雷電爲右エ門(1767~1825)がいる。身長197cm、体重172kgの筋肉質な巨漢、ちょうど今でいえば把瑠都の身長・体重がほぼ同じという。あまりの強さに「張り手」「かんぬき」「突っ張り」の三つが禁じ手となった。彼は、信濃国小県郡大石村、現在のここ東御市に生れた。
復元された生家は彼が大関の時に建てたが、土間に土俵があって、二階が桟敷席になっている。彼が今もなお多くの人に慕われるのは相撲取りとしての抜群の資質に加えて、日記である「諸国相撲控帳」を著わすなど学才に富み、また豊かな人間味を持っていたからだとされる。「気は優しくて力持ち」だったのだ。
20年あまりの力士生活での35場所で最高位は西大関、優勝相当成績28回、生涯戦歴254勝10敗2分14預5無41休という記録が残されている。そのなかで唯ひとり雷電に連勝した力士が花頂山五郎吉、寛政3年冬場所から9年間、雷電は彼にしか負けていない。彼への2敗を挟んで雷電は19連勝、43連勝、44連勝を記録しているから、もし彼がいなければ106連勝に達していたことになる。「雷電も雷電なら花頂山も花頂山」である。そんな強かった雷電がなぜ横綱になれなかったのか?
「土俵上で対戦相手を殺してしまったためとする説」「推薦を辞退したとする説」「共に免許を受けるべき実力的に釣り合う相手がいなかったためとする説」等々・・・色々語られるがその真相ははっきりしない。
江戸本場所36場所中で、通算黒星が僅か10個、勝率.962という大相撲史上未曾有の最強力士に雷電爲右エ門(1767~1825)がいる。身長197cm、体重172kgの筋肉質な巨漢、ちょうど今でいえば把瑠都の身長・体重がほぼ同じという。あまりの強さに「張り手」「かんぬき」「突っ張り」の三つが禁じ手となった。彼は、信濃国小県郡大石村、現在のここ東御市に生れた。
復元された生家は彼が大関の時に建てたが、土間に土俵があって、二階が桟敷席になっている。彼が今もなお多くの人に慕われるのは相撲取りとしての抜群の資質に加えて、日記である「諸国相撲控帳」を著わすなど学才に富み、また豊かな人間味を持っていたからだとされる。「気は優しくて力持ち」だったのだ。
20年あまりの力士生活での35場所で最高位は西大関、優勝相当成績28回、生涯戦歴254勝10敗2分14預5無41休という記録が残されている。そのなかで唯ひとり雷電に連勝した力士が花頂山五郎吉、寛政3年冬場所から9年間、雷電は彼にしか負けていない。彼への2敗を挟んで雷電は19連勝、43連勝、44連勝を記録しているから、もし彼がいなければ106連勝に達していたことになる。「雷電も雷電なら花頂山も花頂山」である。そんな強かった雷電がなぜ横綱になれなかったのか?
「土俵上で対戦相手を殺してしまったためとする説」「推薦を辞退したとする説」「共に免許を受けるべき実力的に釣り合う相手がいなかったためとする説」等々・・・色々語られるがその真相ははっきりしない。
by kirakuossan
| 2014-08-17 14:15
| スポーツ
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