2014年 07月 12日
ネイガウスと3人の弟子たち その7 |
2014年7月12日(土)
ロシアが生んだ最大で最強の二人の巨匠、エミール・ギレリス(1916~1985)とスヴャトスラフ・リヒテル(1915~1997)。ネイガウスを同じように恩師に持ち、オデッサという今はウクライナに属する美しい街を故郷に持ち、同世代を生き、ロシア・ピアニズムを貫いたふたりであったが、彼らの突き進んだピアニズムは明らかに違うものだった。
誤解を恐れずに語るならば、ギレリスは単刀直入、ありのままのピアノ音を追求した。リヒテルはペタルを多用し、装飾に彩られたピアノ音を表出した。ギレリスは、時には叩き過ぎるぐらい叩いたが、いつもピアノの原音そのものがして自然な音色を聴かせた。リヒテルは、抒情性に満ち、ピアノ音を幅広くダイナミックに響かせ、華麗にうたった。ギレリスはモノ・ティックなサウンドがしたし、リヒテルはサ・ラウンド的響きを聴かせた。ヴァイオリニストに例えるならば、リヒテルはビブラートを多く効かせたし、ギレリスはあまり効かさなかった。その二人のことを短い言葉で表現した、ギレリスは「鋼鉄のピアニスト」と称され、リヒテルは「ピアノの哲人」と称された。
何か二人のピアノを聴き比べるものがないかと、NML でいろいろ物色した。あった、ちょうどよいのがあった。聴き比べてみよう。
ベートーヴェン:
15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 「エロイカ変奏曲」 Op. 35
エミール・ギレリス - Emil Gilels (ピアノ)
録音: September 1980,
スヴャトスラフ・リヒテル - Sviatoslav Richter (ピアノ)
録音: July 1970,
その違いは、冒頭の Introduzione col Basso del Tema の第一音からして現われるので、思わずニヤリとしてしまう。リヒテルの打音は煌めき、メロディは天上に舞うような華やかさを感じさせる。一方のギレリスはどちらかといえば少しくすんだ音色だが、強弱の輪郭を明確に浮かび上がらせてしっとり聴かせる。
ギレリスはもともとは「鋼鉄のピアニスト」と呼ばれたぐらいで、力強いタッチでぐいぐい弾ききる人だったが、この晩年の演奏などを聴いていると、ある意味達観し、たいそう円熟味が増したように聴かせる。もうここまでくると好みの問題だろうが、僕は今までロシアのピアニストといえばリヒテル一辺倒であったが、実はそうではないのだという心境になっている。
吉田秀和氏が「名曲のたのしみ」でギレリスに関して同じような印象の話をしている。
ギレリスっていう人はやっぱり、ちょっと変わってきたと思うんですよ。はじめて僕がきいたときなんかは本当にそう思ったんですが、ものすごい力でもって、たくましいピアノをひきまくるっていう感じがちょっとありました。ただそれが、きく人には強烈な印象を与えるけど、ひいている本人は、なんていうかなあ、沈着そのものでね、本当に落ち着いて、姿勢もきちーんとして動かないで、それで猛烈な音楽をやる、というところがとても印象的でした。それからまた、音がすごくきれいだった。ところが晩年になってくると、いわゆる円熟っていうんでしょうかねえ、音楽に少し曲線美みたいなものが加わってきました。 (2005年2月27日放送)
一方、リヒテルのピアノについては、1994年9月25日放送の「リヒテルのショパンとリスト」で次のように語っている。
僕なんかこの人の演奏をきいていると、純粋に音楽をたっぷり楽しめるような気がします。そして、プロコフィエフやリスト、ラフマニノフといった難曲、大曲であろうと、あるいはショパン、シューマン、グリーグといったような人たちの抒情的な小品であろうと、いつもいちばん無理のない演奏をする。それだけにどれも凡庸っていうのもおかしいけど、ある限度内で止まっちゃって、その先に行かないっていうような恨みが感じられないわけでもないんだけど、そうはいいながら、実際にはいい演奏もずいぶんありますね。ほかの人たちがちょっとやらないような、広さ、深さ、たくましさ、あるいは微妙さ、やさしさといったような全ての面にわたっての表現がいろんな曲を通じて出てきます。
つづく・・・
誤解を恐れずに語るならば、ギレリスは単刀直入、ありのままのピアノ音を追求した。リヒテルはペタルを多用し、装飾に彩られたピアノ音を表出した。ギレリスは、時には叩き過ぎるぐらい叩いたが、いつもピアノの原音そのものがして自然な音色を聴かせた。リヒテルは、抒情性に満ち、ピアノ音を幅広くダイナミックに響かせ、華麗にうたった。ギレリスはモノ・ティックなサウンドがしたし、リヒテルはサ・ラウンド的響きを聴かせた。ヴァイオリニストに例えるならば、リヒテルはビブラートを多く効かせたし、ギレリスはあまり効かさなかった。その二人のことを短い言葉で表現した、ギレリスは「鋼鉄のピアニスト」と称され、リヒテルは「ピアノの哲人」と称された。
何か二人のピアノを聴き比べるものがないかと、NML でいろいろ物色した。あった、ちょうどよいのがあった。聴き比べてみよう。
ベートーヴェン:
15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 「エロイカ変奏曲」 Op. 35
エミール・ギレリス - Emil Gilels (ピアノ)
録音: September 1980,
スヴャトスラフ・リヒテル - Sviatoslav Richter (ピアノ)
録音: July 1970,
その違いは、冒頭の Introduzione col Basso del Tema の第一音からして現われるので、思わずニヤリとしてしまう。リヒテルの打音は煌めき、メロディは天上に舞うような華やかさを感じさせる。一方のギレリスはどちらかといえば少しくすんだ音色だが、強弱の輪郭を明確に浮かび上がらせてしっとり聴かせる。
ギレリスはもともとは「鋼鉄のピアニスト」と呼ばれたぐらいで、力強いタッチでぐいぐい弾ききる人だったが、この晩年の演奏などを聴いていると、ある意味達観し、たいそう円熟味が増したように聴かせる。もうここまでくると好みの問題だろうが、僕は今までロシアのピアニストといえばリヒテル一辺倒であったが、実はそうではないのだという心境になっている。
吉田秀和氏が「名曲のたのしみ」でギレリスに関して同じような印象の話をしている。
ギレリスっていう人はやっぱり、ちょっと変わってきたと思うんですよ。はじめて僕がきいたときなんかは本当にそう思ったんですが、ものすごい力でもって、たくましいピアノをひきまくるっていう感じがちょっとありました。ただそれが、きく人には強烈な印象を与えるけど、ひいている本人は、なんていうかなあ、沈着そのものでね、本当に落ち着いて、姿勢もきちーんとして動かないで、それで猛烈な音楽をやる、というところがとても印象的でした。それからまた、音がすごくきれいだった。ところが晩年になってくると、いわゆる円熟っていうんでしょうかねえ、音楽に少し曲線美みたいなものが加わってきました。 (2005年2月27日放送)
一方、リヒテルのピアノについては、1994年9月25日放送の「リヒテルのショパンとリスト」で次のように語っている。
僕なんかこの人の演奏をきいていると、純粋に音楽をたっぷり楽しめるような気がします。そして、プロコフィエフやリスト、ラフマニノフといった難曲、大曲であろうと、あるいはショパン、シューマン、グリーグといったような人たちの抒情的な小品であろうと、いつもいちばん無理のない演奏をする。それだけにどれも凡庸っていうのもおかしいけど、ある限度内で止まっちゃって、その先に行かないっていうような恨みが感じられないわけでもないんだけど、そうはいいながら、実際にはいい演奏もずいぶんありますね。ほかの人たちがちょっとやらないような、広さ、深さ、たくましさ、あるいは微妙さ、やさしさといったような全ての面にわたっての表現がいろんな曲を通じて出てきます。
つづく・・・
by kirakuossan
| 2014-07-12 08:25
| クラシック
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