2014年 06月 17日
店主の目利きがきかない範疇の本を見つけあてる |
2014年6月17日(火)
十二歳になったころ、フルトヴェングラーははじめてバッハの《マタイ受難曲》を聴いた。それは彼の心に深い感銘を与え、技術の上でも精神の面でも、彼の音楽に対する見方に新しい展望を与えた。
その後ベートーヴェンから強烈な衝撃を受け、彼はベートーヴェンをすべての作曲家の頂点においた。後になって彼はバッハとベートーヴェンとどちらが優れているというのではなく、いずれも比較を絶する才能をもった巨人であることを理解した。
昨日、また古本屋で掘り出し物を見つけた。ハンス=フーベルト・シェンツェラー 著,喜多尾道冬訳の「フルトヴェングラーの生涯」~偉大な音楽家の肖像(音楽之友社刊)。20年ほど前の発刊だが新品同様で¥450。もとは¥2000もする価値ある本が、この値段だから笑いがとまらない。
ここはポイントのひとつだが、店主がどれほどの知識を持っているかにかかってくる。例えば、専門書や貴重な書籍は手が出ないほどの値段がついているかと思えば、この本のように激安の値段のもある。この本は僕に言わせれば、立派な専門書の部類に入るのだが、店主がどうもフルトヴェングラーを御存じないようだ。いかにこういったものを探しあてるかが、古本屋での掘り出し物を見つける醍醐味で、店主の目利きがきかない範疇の本を見つけあてるのである。その意味でも、店先に100円コーナーを設け、店内には所狭しと本が縦に山積みになったようないわゆる昔からの古本屋にいいものがある。昨日の店は、以前にも例の「音楽事典」を買った店で、JR膳所駅の上手の国道1号線沿いにある。ここは店主が几帳面なのか整理整頓されていて本を探しやすい。1時間近く物色していたら、けっこう客の入りがあった。最近BOOK OFF にはあまり行かないのは、コミック本が多く、魅力ある本がほとんどないからで、せいぜい文庫本を探しに行くときぐらいだ。
父アードルフ・フルトヴェングラーの一九〇〇年から一九〇一年にかけての冬期の日記に目を通せば、ヴィルヘルムについてさらにいろいろと知ることができる。「・・・おどろくべき明快な洞察力。意識的な思考、分析、形式的な原理原則の奥義への到達・・・」。その日記によれば、彼はヴァイオリンを習いはじめ、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタをはじめ、ハイドンの弦楽四重奏曲の第二ヴァイオリンのパートもすでに弾くことができたということだ。また一九〇一年九月に息子をギリシアのアイーナへ連れて行ったときには、ヴィルヘルムはいつもポケットにベートーヴェンの弦楽四重奏曲の楽譜、それにゲーテの詩集や書簡集をしのばせていたと記している。
1901年といえばヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886~1954)はまだ15歳の若き少年時代である。さらに驚くべき事実は、彼がいわゆる音楽学校などへ行ったこともなく、すべて母親や叔母から享受した音楽修業であったということだ。
このころの若きヴィルヘルムにとっては、作曲家として飛び立つ思いでいっぱいで、指揮者になろうという考えはまだ胸中にはなかった。
十二歳になったころ、フルトヴェングラーははじめてバッハの《マタイ受難曲》を聴いた。それは彼の心に深い感銘を与え、技術の上でも精神の面でも、彼の音楽に対する見方に新しい展望を与えた。
その後ベートーヴェンから強烈な衝撃を受け、彼はベートーヴェンをすべての作曲家の頂点においた。後になって彼はバッハとベートーヴェンとどちらが優れているというのではなく、いずれも比較を絶する才能をもった巨人であることを理解した。
昨日、また古本屋で掘り出し物を見つけた。ハンス=フーベルト・シェンツェラー 著,喜多尾道冬訳の「フルトヴェングラーの生涯」~偉大な音楽家の肖像(音楽之友社刊)。20年ほど前の発刊だが新品同様で¥450。もとは¥2000もする価値ある本が、この値段だから笑いがとまらない。
ここはポイントのひとつだが、店主がどれほどの知識を持っているかにかかってくる。例えば、専門書や貴重な書籍は手が出ないほどの値段がついているかと思えば、この本のように激安の値段のもある。この本は僕に言わせれば、立派な専門書の部類に入るのだが、店主がどうもフルトヴェングラーを御存じないようだ。いかにこういったものを探しあてるかが、古本屋での掘り出し物を見つける醍醐味で、店主の目利きがきかない範疇の本を見つけあてるのである。その意味でも、店先に100円コーナーを設け、店内には所狭しと本が縦に山積みになったようないわゆる昔からの古本屋にいいものがある。昨日の店は、以前にも例の「音楽事典」を買った店で、JR膳所駅の上手の国道1号線沿いにある。ここは店主が几帳面なのか整理整頓されていて本を探しやすい。1時間近く物色していたら、けっこう客の入りがあった。最近BOOK OFF にはあまり行かないのは、コミック本が多く、魅力ある本がほとんどないからで、せいぜい文庫本を探しに行くときぐらいだ。
父アードルフ・フルトヴェングラーの一九〇〇年から一九〇一年にかけての冬期の日記に目を通せば、ヴィルヘルムについてさらにいろいろと知ることができる。「・・・おどろくべき明快な洞察力。意識的な思考、分析、形式的な原理原則の奥義への到達・・・」。その日記によれば、彼はヴァイオリンを習いはじめ、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタをはじめ、ハイドンの弦楽四重奏曲の第二ヴァイオリンのパートもすでに弾くことができたということだ。また一九〇一年九月に息子をギリシアのアイーナへ連れて行ったときには、ヴィルヘルムはいつもポケットにベートーヴェンの弦楽四重奏曲の楽譜、それにゲーテの詩集や書簡集をしのばせていたと記している。
1901年といえばヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886~1954)はまだ15歳の若き少年時代である。さらに驚くべき事実は、彼がいわゆる音楽学校などへ行ったこともなく、すべて母親や叔母から享受した音楽修業であったということだ。
このころの若きヴィルヘルムにとっては、作曲家として飛び立つ思いでいっぱいで、指揮者になろうという考えはまだ胸中にはなかった。
by kirakuossan
| 2014-06-17 13:18
| クラシック
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