2014年 05月 09日
ボリス・ベレゾフスキーのピアノ |
2014年5月9日(金)
リストの『超絶技巧練習曲』で評判になったピアニストがいる。ボリス・ベレゾフスキー(1969~)その人であるが、彼は現代の実力派ピアニストのなかでも旗手的存在だろう。1990年のチャイコフスキー国際コンクールで諏訪内晶子が優勝したとき、ピアノ部門での優勝者がベレゾフスキーであった。最近彼のピアノを聴く機会が多い。 NML でよく新譜で出て来るということもあるが、雑誌でもよくとりあげられていて、それとなく聴いているうちに彼のピアノの魅力に魅かれてくるのである。なにも特別に華美できらびやかな音を聴かせるかというと、そんなことはない。というより逆に堅実で、誠実で、決して浮つくことのない内から出てくる人間味あふれる音楽を披露してくれる。このピアニストはホンマものである。
これも偶然だが、もう今はこの世にいない優れた音楽評論家でもあったと思う猿田悳氏の『音楽との対話』、これと全く同じ表題の音楽書に粟津則雄著の『音楽との対話』(1999年音楽之友社刊)がある。この著作のなかにボリス・ベレゾフスキーが出てくる。粟津則雄氏(1927~)は、文芸評論家でフランス文学者、音楽の専門家ではないが、この音楽に関する随筆集も面白い。猿田氏もドイツ文学者が本業であったが、好きな音楽を、少し離れたところから冷静に見つめる立場にあって語られる文章はかえって、新鮮であるのかもしれない。
粟津氏もベレゾフスキーがコンクールで優勝した直後に雑誌の対談で知り合い、取りのぼせたところ、身構えたところはいささかもない、終始一貫して謙虚で一途な、そんな彼にすがすがしい思いをもったようだ。自宅に食事に招いて、はにかみ屋の少年がそのまま大人になった彼と個性的な意見を交わすうちに、古くからの親しい友人のようになった、と著述している。
23歳のベレゾフスキーが再来日したときの演奏会の印象を書いている。
彼の演奏の特質は、のびやかだがいささかのあいまいさもないがっしりとした構築感と、細部の繊細で微妙な表情の結びつきにあったのだが、この結びつきにしても、つねに安定を保証されたものではない。細部の表情にこだわりすぎれば、たちまち全体の構造がぎくしゃくとし始めるだろう。一方、大向う受けを狙って、輝かしい音で構築感を打ち出せば、このピアニスト独特の繊細な表情が、あいまいに濁ることになりかねぬ。というわけで、彼の演奏スタイルそのものが肉ばなれの危険をひそませているのだが、彼はいささかもせきこむことなく、ひとつひとつ自分の足どりを確かめながら、確実に成熟の道を辿っているようだ。
昨年、彼と別れたあとで出たショパンの『練習曲集』のレコードにもそういうことがはっきり感じられた。
粟津氏が、もっとも尊敬するピアニストは、と訊ねると、グレン・グールドだと言う。彼の母国ソ連のピアニスト、リヒテルやギレリス、またバックハウスやルービンシュタインでもなくグールドに驚くが、彼がグールドのバッハがとても好きだというのに呼応して、「どうして君はバッハをひかないの?」というと、「好きなのと、自分でひくのとはちがうんです。ぼくにはまだむずかしすぎる」と答えた。そして、レコード棚にあるグールドのザルツブルグでのリサイタルのCDを取り出してしげしげと眺めて言った。「このCDは、どこを探しても見つからなかった」と呟いている彼に「欲しかったらあげるよ」と言ったら、「本当に? もらってもいいの?」と言い、実に嬉しそうに笑った。
リストの『超絶技巧練習曲』で評判になったピアニストがいる。ボリス・ベレゾフスキー(1969~)その人であるが、彼は現代の実力派ピアニストのなかでも旗手的存在だろう。1990年のチャイコフスキー国際コンクールで諏訪内晶子が優勝したとき、ピアノ部門での優勝者がベレゾフスキーであった。最近彼のピアノを聴く機会が多い。 NML でよく新譜で出て来るということもあるが、雑誌でもよくとりあげられていて、それとなく聴いているうちに彼のピアノの魅力に魅かれてくるのである。なにも特別に華美できらびやかな音を聴かせるかというと、そんなことはない。というより逆に堅実で、誠実で、決して浮つくことのない内から出てくる人間味あふれる音楽を披露してくれる。このピアニストはホンマものである。
これも偶然だが、もう今はこの世にいない優れた音楽評論家でもあったと思う猿田悳氏の『音楽との対話』、これと全く同じ表題の音楽書に粟津則雄著の『音楽との対話』(1999年音楽之友社刊)がある。この著作のなかにボリス・ベレゾフスキーが出てくる。粟津則雄氏(1927~)は、文芸評論家でフランス文学者、音楽の専門家ではないが、この音楽に関する随筆集も面白い。猿田氏もドイツ文学者が本業であったが、好きな音楽を、少し離れたところから冷静に見つめる立場にあって語られる文章はかえって、新鮮であるのかもしれない。
粟津氏もベレゾフスキーがコンクールで優勝した直後に雑誌の対談で知り合い、取りのぼせたところ、身構えたところはいささかもない、終始一貫して謙虚で一途な、そんな彼にすがすがしい思いをもったようだ。自宅に食事に招いて、はにかみ屋の少年がそのまま大人になった彼と個性的な意見を交わすうちに、古くからの親しい友人のようになった、と著述している。
23歳のベレゾフスキーが再来日したときの演奏会の印象を書いている。
彼の演奏の特質は、のびやかだがいささかのあいまいさもないがっしりとした構築感と、細部の繊細で微妙な表情の結びつきにあったのだが、この結びつきにしても、つねに安定を保証されたものではない。細部の表情にこだわりすぎれば、たちまち全体の構造がぎくしゃくとし始めるだろう。一方、大向う受けを狙って、輝かしい音で構築感を打ち出せば、このピアニスト独特の繊細な表情が、あいまいに濁ることになりかねぬ。というわけで、彼の演奏スタイルそのものが肉ばなれの危険をひそませているのだが、彼はいささかもせきこむことなく、ひとつひとつ自分の足どりを確かめながら、確実に成熟の道を辿っているようだ。
昨年、彼と別れたあとで出たショパンの『練習曲集』のレコードにもそういうことがはっきり感じられた。
粟津氏が、もっとも尊敬するピアニストは、と訊ねると、グレン・グールドだと言う。彼の母国ソ連のピアニスト、リヒテルやギレリス、またバックハウスやルービンシュタインでもなくグールドに驚くが、彼がグールドのバッハがとても好きだというのに呼応して、「どうして君はバッハをひかないの?」というと、「好きなのと、自分でひくのとはちがうんです。ぼくにはまだむずかしすぎる」と答えた。そして、レコード棚にあるグールドのザルツブルグでのリサイタルのCDを取り出してしげしげと眺めて言った。「このCDは、どこを探しても見つからなかった」と呟いている彼に「欲しかったらあげるよ」と言ったら、「本当に? もらってもいいの?」と言い、実に嬉しそうに笑った。
ショパン:練習曲集 Opp. 10 and 25
ボリス・ベレゾフスキー Boris Berezovsky (ピアノ)
ボリス・ベレゾフスキー Boris Berezovsky (ピアノ)
by kirakuossan
| 2014-05-09 08:42
| クラシック
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