2014年 04月 18日
フルトヴェングラーの芸術② |
2014年4月18日(金)
『レコード名演奏家全集―指揮者篇』(村田武雄編・音楽之友社/昭和37年刊)で猿田悳氏の存在を初めて知る。この書物の中での「フルトヴェングラー」の項目でこう語る。
フルトヴェングラーは、つねにトスカニーニ、ワルターと並称される20世紀最大の巨匠であるが、その役割は、ただ指揮者として偉大であったというばかりでなく、唯物的感覚的な今日の音楽認識世界のなかで、正統的ロマン主義を意義づけ、音楽の思弁的有機的意味を復活した、というような点でも歴史的存在なのである。
これほどまでに簡潔に、しかもすべてを網羅して表現しきるという文章力は、そうはない。そして難しい言葉が出てくるがこの人の素晴らしいところは、実際にその箇所を読んでみると、読者にはやさしく説明を加えたような文章でさりげに語りかける。その文章の向こう側には、この人の持つ人間的な優しさや愛情が常に汲んで取れるのである。
氏の書籍や文章は限られているが、『レコード芸術』~創刊300号記念特別号(昭和50年9月号)の「レコード批評をめぐって」に執筆陣の一人として出稿している。昭和43年4月号に掲載された文章である。この人の正直さ、人間臭さが文章のあちこちにみられて気持がよいものである。
暴力と寛容
指揮者である福永氏は、音楽によって感動したのはいままでに数回にすぎない、という。「血を吐く思いの告白」からはじめて、音楽の聴き方、批評の仕方についての本質的な問題を提出しているが、そこには専門家の切実な姿勢が見られる。自分は音楽を職業にしているから耳が職業的に働いてなかなか音楽を聴いても感動が得にくい。大切なのは専門家の熟練から得られた正確な理解である、ということになる。これは正しい指摘である。わたしは福永氏とは反対の素人の側に立つ人間だが、感動するのがまれであるという経験は実感できるし、熟練から理解が得られるという意見も共鳴できる。<略>
いま「レコード芸術」に寄稿をもとめられ、しかも福永氏が疑問を表明されているこの問題を、素通りするわけには行かないだろう。天に向ってつばきする愚を果たさねばならぬ。
福永氏は「この曲のこの演奏はこのように聴くのが正しい」といったたぐいの教訓風の文章にもっとも嫌悪の情をしめしているようである。これもわたしは同感だが、さらにいえばわたしには、この世界ではそれ以上に、<寛容に過ぎる>批評のあたえる危険が大きいようにおもわれる。つまり評者の主張がどこにも見当たらぬ場合、まったく無関心に紹介し讃美している場合である。今月A盤を絶賛し、来月B盤の同曲を絶賛しているようなものに出会うとき、わたしはなるほど美の相対主義者だが、その物分りの良さにおどろく。相手はどれをとっても世界の巨匠たちであり名盤である。だから本来ならば感動しなければ嘘なのだが、おそらく枚数と日数という物理的条件によって、感動の中で筆をとることはおそらくまれだろうとおもえる。しかもここでは分析や比較という、感動だけではどうしょうもない<醒めた>行為がつづくのである。評者は美の<目あたらしさ>に気付くよりも先に、固定した観念や美の尺度で、あるいは熟練した耳で音楽を分析的に聴きとってしまうだろう。したがって前から用意した小使いでもって期待に胸をふくらませて購入する読者層とは、本質的に異質の次元で聴いているはずである。だからこの世界での仕事にははじめから過重な要求は無理だ、という印象がわたしにはつよい。わたしもやはりしたり顔の分しりでいま発言しているであろうか?一読者としてなおつよく要求すべきだろうか?ここに<音楽批評>のためのいくつかの要請がある。―批評のための倫理が欲しい。感動が必要だ。真贋を見分ける眼力を。文体の錬麿。批評家自身の芸術体験を・・・<略>
『フルトヴェングラー 生涯と芸術』(猿田悳著:音楽之友社刊)(昭和36年発行)
芸術
フルトヴェングラーは、けっしていわゆる古典的人間ではない。「自然」の徒ではなくて「精神」の弟子である。彼が音楽として愛したのは、シンフォニーであり、ロマン的気分の濃厚な作品であって、いわゆる古典派の作品ではなかった。バッハ以前の作品に対して、まことに冷淡であったことをプログラムが何よりも語るが、これは彼が歴史的思惟に対して反撥し、その現実感の希薄さに対して不満をもつためにちがいない。それは演奏の場合はっきりあらわれる。「マタイ」の演奏にあたって、小編成の合唱あるいは器樂編成を嫌った。
フルトヴェングラーはバッハやヘンデルの音楽を劣位に位置付けたのは、ひとつには演奏会でこれらの音楽では聴衆の心を鼓舞し、生命を充溢させるまでには至らないと判断したためだろう、とする。さらに、彼は、「個人主義」が発生した以降の音楽しか、今日の演奏会ではその役割を果たせないと判断していたふしがある。さらに古典派において、モーツァルトも好まなかった。モーツァルト のシンフォニーでレコードに残っているのは、唯一つ「第40番」だけである。これも明らかに異様である。恐らく肌が合わなかったのだろうというのが、おおかたの味方である。
「ハイドンではじめて音楽に持ち込まれ、ベートーヴェンで完全に実現した決定的なことは、主題が曲の内部で発展を体験しているということだ」 彼はハイドンにひそむベートーヴェンの芽ばえを重視したわけで、ハイドンを「民衆的」とか、「激しい情熱」とか、「生の喜び」とかいうが、これは別に珍しくはない。しかし「若さ」と評したのは彼の新鮮な感受性を占っていい。パパ・ハイドンとは、音楽史上根絶できぬ誤謬だ、という意見があるが、たしかに彼は、モーツァルトのように異様な天才ではなかったろうが、小さな精神の持主ではなかったのである。倦むことのない彼の努力が、数十年来巨匠たちが努力してきたソナータという新しい形式を彼の中で実らせたのではなかったか。そのエネルギッシュな、健全で巨大なハイドン像を、彼の「八十八番」の演奏に見ることは少しも困難ではない。
ハイドン:交響曲第88番 ト長調 Hob.I:88
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (録音: 5 December 1951)
そして彼はベートーヴェンに次ぐ作曲としてブラームスを評価した。
ブラームスは北方的、古代ドイツ的であり、オランダの巨匠たち、レンプラント、ヴァン・ダイクの後裔である。その作品は「自然そのままの幻想的な魔神の住む世界」と名づけている。「彼の作品では、誠実さ、幻想性、切迫した力、不可思議な形式感覚が融け合っている。個々の作品、たとえば変奏曲の一群では古代ドイツへの親近性がきわめて明瞭である。彼の形式感は、彼から得たすべての物に現われているが、シンフォニーやリートのなかより、むしろ小さな手紙の表現のなかに多く見られる。これはまさに典型的なゲルマン人の形式であり、けっして形式それ自身のためではなく、常に内容のために存在しているように思われる。密度の濃い簡潔な内容は、均整と明確さに結びついている」
彼が古典派やロマン派の巨匠の作品で見事に名づけた、緊張と解放の法則は、彼自身の芸術においても役割を果たすだろう。彼はビューラー、トスカニーニとは異なって、放棄の、解決の、自己棄却の芸術家に属する。彼は身に心にまつわりつくすべてを捨てて後、手をふり上げる。その動きは時には弛緩とも見えるほどである。彼がプローベでどれほど融通無碍なるものを楽員に伝えようと心をくだくかについての報告があるが、彼は身もだえするがけっして痙攣はしない。なぜか。彼の動きは人の眼を意識したものでなく、忘我の、あの踊りと宗教が一体であった時代のそれだからだ。この根源的なものを伝えようとする動きは彼の見事な即興性と表裏を成すであろう。
著者の猿田悳氏は40年ほど前に50歳を迎えずして亡くなっていた。優れた音楽批評、いくつかの翻訳本、その数は決して多くないが、ことあるごとに探し求めていこうと思う。少なくとも滋賀県立図書館にはこの書物一冊しかなかった。今日新たに1972年に発行された『音楽との対話』を amazon で手に入れることができた。届くのが楽しみである。
おしまい。
『レコード名演奏家全集―指揮者篇』(村田武雄編・音楽之友社/昭和37年刊)で猿田悳氏の存在を初めて知る。この書物の中での「フルトヴェングラー」の項目でこう語る。
フルトヴェングラーは、つねにトスカニーニ、ワルターと並称される20世紀最大の巨匠であるが、その役割は、ただ指揮者として偉大であったというばかりでなく、唯物的感覚的な今日の音楽認識世界のなかで、正統的ロマン主義を意義づけ、音楽の思弁的有機的意味を復活した、というような点でも歴史的存在なのである。
これほどまでに簡潔に、しかもすべてを網羅して表現しきるという文章力は、そうはない。そして難しい言葉が出てくるがこの人の素晴らしいところは、実際にその箇所を読んでみると、読者にはやさしく説明を加えたような文章でさりげに語りかける。その文章の向こう側には、この人の持つ人間的な優しさや愛情が常に汲んで取れるのである。
氏の書籍や文章は限られているが、『レコード芸術』~創刊300号記念特別号(昭和50年9月号)の「レコード批評をめぐって」に執筆陣の一人として出稿している。昭和43年4月号に掲載された文章である。この人の正直さ、人間臭さが文章のあちこちにみられて気持がよいものである。
暴力と寛容
指揮者である福永氏は、音楽によって感動したのはいままでに数回にすぎない、という。「血を吐く思いの告白」からはじめて、音楽の聴き方、批評の仕方についての本質的な問題を提出しているが、そこには専門家の切実な姿勢が見られる。自分は音楽を職業にしているから耳が職業的に働いてなかなか音楽を聴いても感動が得にくい。大切なのは専門家の熟練から得られた正確な理解である、ということになる。これは正しい指摘である。わたしは福永氏とは反対の素人の側に立つ人間だが、感動するのがまれであるという経験は実感できるし、熟練から理解が得られるという意見も共鳴できる。<略>
いま「レコード芸術」に寄稿をもとめられ、しかも福永氏が疑問を表明されているこの問題を、素通りするわけには行かないだろう。天に向ってつばきする愚を果たさねばならぬ。
福永氏は「この曲のこの演奏はこのように聴くのが正しい」といったたぐいの教訓風の文章にもっとも嫌悪の情をしめしているようである。これもわたしは同感だが、さらにいえばわたしには、この世界ではそれ以上に、<寛容に過ぎる>批評のあたえる危険が大きいようにおもわれる。つまり評者の主張がどこにも見当たらぬ場合、まったく無関心に紹介し讃美している場合である。今月A盤を絶賛し、来月B盤の同曲を絶賛しているようなものに出会うとき、わたしはなるほど美の相対主義者だが、その物分りの良さにおどろく。相手はどれをとっても世界の巨匠たちであり名盤である。だから本来ならば感動しなければ嘘なのだが、おそらく枚数と日数という物理的条件によって、感動の中で筆をとることはおそらくまれだろうとおもえる。しかもここでは分析や比較という、感動だけではどうしょうもない<醒めた>行為がつづくのである。評者は美の<目あたらしさ>に気付くよりも先に、固定した観念や美の尺度で、あるいは熟練した耳で音楽を分析的に聴きとってしまうだろう。したがって前から用意した小使いでもって期待に胸をふくらませて購入する読者層とは、本質的に異質の次元で聴いているはずである。だからこの世界での仕事にははじめから過重な要求は無理だ、という印象がわたしにはつよい。わたしもやはりしたり顔の分しりでいま発言しているであろうか?一読者としてなおつよく要求すべきだろうか?ここに<音楽批評>のためのいくつかの要請がある。―批評のための倫理が欲しい。感動が必要だ。真贋を見分ける眼力を。文体の錬麿。批評家自身の芸術体験を・・・<略>
『フルトヴェングラー 生涯と芸術』(猿田悳著:音楽之友社刊)(昭和36年発行)
芸術
フルトヴェングラーは、けっしていわゆる古典的人間ではない。「自然」の徒ではなくて「精神」の弟子である。彼が音楽として愛したのは、シンフォニーであり、ロマン的気分の濃厚な作品であって、いわゆる古典派の作品ではなかった。バッハ以前の作品に対して、まことに冷淡であったことをプログラムが何よりも語るが、これは彼が歴史的思惟に対して反撥し、その現実感の希薄さに対して不満をもつためにちがいない。それは演奏の場合はっきりあらわれる。「マタイ」の演奏にあたって、小編成の合唱あるいは器樂編成を嫌った。
フルトヴェングラーはバッハやヘンデルの音楽を劣位に位置付けたのは、ひとつには演奏会でこれらの音楽では聴衆の心を鼓舞し、生命を充溢させるまでには至らないと判断したためだろう、とする。さらに、彼は、「個人主義」が発生した以降の音楽しか、今日の演奏会ではその役割を果たせないと判断していたふしがある。さらに古典派において、モーツァルトも好まなかった。モーツァルト のシンフォニーでレコードに残っているのは、唯一つ「第40番」だけである。これも明らかに異様である。恐らく肌が合わなかったのだろうというのが、おおかたの味方である。
「ハイドンではじめて音楽に持ち込まれ、ベートーヴェンで完全に実現した決定的なことは、主題が曲の内部で発展を体験しているということだ」 彼はハイドンにひそむベートーヴェンの芽ばえを重視したわけで、ハイドンを「民衆的」とか、「激しい情熱」とか、「生の喜び」とかいうが、これは別に珍しくはない。しかし「若さ」と評したのは彼の新鮮な感受性を占っていい。パパ・ハイドンとは、音楽史上根絶できぬ誤謬だ、という意見があるが、たしかに彼は、モーツァルトのように異様な天才ではなかったろうが、小さな精神の持主ではなかったのである。倦むことのない彼の努力が、数十年来巨匠たちが努力してきたソナータという新しい形式を彼の中で実らせたのではなかったか。そのエネルギッシュな、健全で巨大なハイドン像を、彼の「八十八番」の演奏に見ることは少しも困難ではない。
ハイドン:交響曲第88番 ト長調 Hob.I:88
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (録音: 5 December 1951)
そして彼はベートーヴェンに次ぐ作曲としてブラームスを評価した。
ブラームスは北方的、古代ドイツ的であり、オランダの巨匠たち、レンプラント、ヴァン・ダイクの後裔である。その作品は「自然そのままの幻想的な魔神の住む世界」と名づけている。「彼の作品では、誠実さ、幻想性、切迫した力、不可思議な形式感覚が融け合っている。個々の作品、たとえば変奏曲の一群では古代ドイツへの親近性がきわめて明瞭である。彼の形式感は、彼から得たすべての物に現われているが、シンフォニーやリートのなかより、むしろ小さな手紙の表現のなかに多く見られる。これはまさに典型的なゲルマン人の形式であり、けっして形式それ自身のためではなく、常に内容のために存在しているように思われる。密度の濃い簡潔な内容は、均整と明確さに結びついている」
著者の猿田悳氏は40年ほど前に50歳を迎えずして亡くなっていた。優れた音楽批評、いくつかの翻訳本、その数は決して多くないが、ことあるごとに探し求めていこうと思う。少なくとも滋賀県立図書館にはこの書物一冊しかなかった。今日新たに1972年に発行された『音楽との対話』を amazon で手に入れることができた。届くのが楽しみである。
おしまい。
by kirakuossan
| 2014-04-18 12:19
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