2014年 04月 12日
50年前の指揮者名鑑―5 |
2014年4月12日(土)
『レコード名演奏家全集―指揮者篇』(村田武雄編・音楽之友社/昭和37年刊)1962年
ボリス・エマヌイロヴィチ・ハイキン*(ソ連 1904-1978)
彼の最も得意とするのはやはり歌劇とバレエ音楽。
ベルナルド・ハイティンク(オランダ 1929-)
彼の指揮ぶりは、きびきびとして非常に明快だ。リズム感が実にすばらしく、管弦楽に細部まで十分な指示をあたえる。元来オランダ人は、清潔で整頓好きの国民性をもっているが、コンセルトヘボウの合奏にはそれがよく現れている。
小石先生の評は、どうも頭をかしげる節が多い。音楽に整理整頓があるのか?わからんでもないが・・・
ジャン・フランソワ・パイヤール(フランス 1928-2013)
古典音楽を専門にしている指揮者で音楽学者。
ベルンハルト・パウムガルトナー(オーストリア 1887-1971)
指揮レコードはモーツァルトがおもだが、従来は伴奏指揮が多かった。
ジョン・バルビローリ(イギリス 1899-1970)
1926年ビーチャムに代わってロンドン交響楽団を指揮し好評を博して後、イギリスの一流管弦楽団を指揮した。1936年トスカニーニの後を継いで、ニューヨーク・フィルの常任指揮者となり、彼の名声はゆるがぬものとなった。―GW
ゆるがぬものとなった、にしてはどうも扱いが軽いような気がする。これだけの実績を誇るのにこの人はおしなべて軽んじられる傾向にある。もっと再評価すべきと思う。
ポール・パレー(フランス 1886-1979)
パレーはすでに相当の高齢にもかかわらず、非常に精力的な指揮をする。感覚は常にみずみずしく、スケールが大きい。よたよたのデトロイトを短期間のうちに緊密なアンサンブルのオーケストラに仕立てあげたように、オーケストラを統率する力は若手指揮者の追随を許さない。―ES
当時は70歳半ばで、すでに相当の高齢だったんだ。
レナード・バーンステイン(アメリカ 1918-1990)
バーンステインは新しい音楽家にありがちな、いかなる作品をも現代の感覚で割り切ってしまうような新しがりやではない。かれはヨーロッパの音楽をよく知って、その深い理解から古典派とロマン派の作品を演奏する。むしろ現代人のバーンステインのなかにそんなロマンティックな情緒性があったのかと驚くほどに作品によって演奏が異なり、その本質を慎重に表現しようとする。それはかれがゆたかな音楽性と音楽常識とをもった指揮者であるからである。―TM
トーマス・ビーチャム(イギリス 1879-1961)
かれの一生はイギリスに新しい交響楽団を作ることと、イギリス作品を世界に紹介すること、およびイギリスの楽界の向上のために捧げられたのである。非凡な楽才とゆたかな経験と、温雅でユーモラスな人間性とをもってかれは、生涯自分の信ずる道を誰にも妨害されずに歩みつづけた幸福者であった。―TM
ほんと、羨ましいほどの幸福者だ。
ユーリー・フェオドロヴィチ・ファイエル*(ソ連 ?)
ソヴィエトの指揮者。
アナトール・フィストゥラーリ*(ソ連 1907-1995)
フィストゥラーリが日本で一躍有名になったのは、チャイコフスキーの「白鳥の湖」の全曲盤が発売されたからである。今は廃盤になっているがハイライトは依然として多くのファンを持っている。―KU
ロシア管弦楽名曲集
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 (録音: 1956-1958)
「白鳥の湖」は音質がイマイチ、この管弦楽曲集は音質も極めてよく、珍しい曲が揃っていて聞きものである。
アーサー・フィードラー(アメリカ 1894-1979)
ボストン・ポップスはフィードラーの楽器のような存在だとよくいわれているが、たしかにそのとおりで、フィードラーの指揮棒一閃、このオーケストラは魔法の楽器ように実によく動き、よく鳴る。オーケストラが名人たちの集団というせいもあるが、やはりなんといっても30数年来のかたい結束のおかげであろう。老夫婦がお互いの箸のあげおろし、咳ばらいのひとつで感情の動きを感じとるのと同じである。―ES
例え話がおもしろい。いわゆる志鳥節である。
フェレンツ・フリッチャイ(ハンガリー 1914-1963)
1947年ザルツブルクの音楽祭でオットー・クレンペラーがアイネムの「ダントンの死」の初演を指揮することになっていたところ、急に病を得た。クレンペラーはブダペストにいたころフリッチャイの才能を知っていたので、急によびよせてこの初演をフリッチャイに指揮させた。これが大成功で、次の年にもザルツブルクの音楽祭に出た。―MW
ウィルヘルム・フルトヴェングラー(ドイツ 1886-1954)
フルトヴェングラーは、つねにトスカニーニ、ワルターと並称される20世紀最大の巨匠であるが、その役割は、ただ指揮者として偉大であったというばかりでなく、唯物的感覚的な今日の音楽認識世界のなかで、正統的ロマン主義を意義づけ、音楽の思弁的有機的意味を復活した、というような点でも歴史的存在なのである。―TS
さすが、猿田氏独特の表現である。でもこの人の文章は、難しいことが書いてあるのだが、読者はそれが自然と入りこんでしまうことが出来るから不思議だ。この人の文章には無駄な修飾語は不要であって、スッキリしている。そうかと言って、決して無味乾燥な文章ではない、実に滋味深いのである。昨日、急遽、図書館で仕入れて来た猿田氏の書物、「フルトヴェングラー」読むのが楽しみである。
ジャン・フルネ(フランス 1913-2008)
フルーネは1958年の終わりごろ、ドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」を指揮するために来日した。今年(62年)の秋にはふたたび来日する予定と聞くが、このフランスの名指揮者によって「ペレアス」がわが国で初演されたことは、日本の楽壇史を飾るすばらしいできごとであった。
ルイ・フーレスティエ*(フランス 1892-1976)
フランスの作曲家兼指揮者である。
ハリー・ブレック*(イギリス 1910-1999)
ブレックのリズムはわずかながらかけ出したり崩れたりするし・・・―KU
宇野功芳の評はときおり、重箱の隅をつつくようなところがある。まあ、そういうところが読む者からすれば面白いところでもあるのだが・・・
フェリックス・プロハスカ*(オーストリア 1912–1991)
ヘンデル「水上の音楽」が佳演。
ヤーノシュ・フェレンチック(ハンガリー 1907-1984)
彼の表現はなんの誇張もなく、音楽への共感が素朴に表わされて作品の内面性がゆたかに伝えられる。―TK
ハ行は随分と多いな・・・、今から大学野球を見に行くので、ここでいった中断。
つづく・・・
『レコード名演奏家全集―指揮者篇』(村田武雄編・音楽之友社/昭和37年刊)1962年
ボリス・エマヌイロヴィチ・ハイキン*(ソ連 1904-1978)
彼の最も得意とするのはやはり歌劇とバレエ音楽。
ベルナルド・ハイティンク(オランダ 1929-)
彼の指揮ぶりは、きびきびとして非常に明快だ。リズム感が実にすばらしく、管弦楽に細部まで十分な指示をあたえる。元来オランダ人は、清潔で整頓好きの国民性をもっているが、コンセルトヘボウの合奏にはそれがよく現れている。
小石先生の評は、どうも頭をかしげる節が多い。音楽に整理整頓があるのか?わからんでもないが・・・
ジャン・フランソワ・パイヤール(フランス 1928-2013)
古典音楽を専門にしている指揮者で音楽学者。
ベルンハルト・パウムガルトナー(オーストリア 1887-1971)
指揮レコードはモーツァルトがおもだが、従来は伴奏指揮が多かった。
ジョン・バルビローリ(イギリス 1899-1970)
1926年ビーチャムに代わってロンドン交響楽団を指揮し好評を博して後、イギリスの一流管弦楽団を指揮した。1936年トスカニーニの後を継いで、ニューヨーク・フィルの常任指揮者となり、彼の名声はゆるがぬものとなった。―GW
ゆるがぬものとなった、にしてはどうも扱いが軽いような気がする。これだけの実績を誇るのにこの人はおしなべて軽んじられる傾向にある。もっと再評価すべきと思う。
ポール・パレー(フランス 1886-1979)
パレーはすでに相当の高齢にもかかわらず、非常に精力的な指揮をする。感覚は常にみずみずしく、スケールが大きい。よたよたのデトロイトを短期間のうちに緊密なアンサンブルのオーケストラに仕立てあげたように、オーケストラを統率する力は若手指揮者の追随を許さない。―ES
当時は70歳半ばで、すでに相当の高齢だったんだ。
レナード・バーンステイン(アメリカ 1918-1990)
バーンステインは新しい音楽家にありがちな、いかなる作品をも現代の感覚で割り切ってしまうような新しがりやではない。かれはヨーロッパの音楽をよく知って、その深い理解から古典派とロマン派の作品を演奏する。むしろ現代人のバーンステインのなかにそんなロマンティックな情緒性があったのかと驚くほどに作品によって演奏が異なり、その本質を慎重に表現しようとする。それはかれがゆたかな音楽性と音楽常識とをもった指揮者であるからである。―TM
トーマス・ビーチャム(イギリス 1879-1961)
かれの一生はイギリスに新しい交響楽団を作ることと、イギリス作品を世界に紹介すること、およびイギリスの楽界の向上のために捧げられたのである。非凡な楽才とゆたかな経験と、温雅でユーモラスな人間性とをもってかれは、生涯自分の信ずる道を誰にも妨害されずに歩みつづけた幸福者であった。―TM
ほんと、羨ましいほどの幸福者だ。
ユーリー・フェオドロヴィチ・ファイエル*(ソ連 ?)
ソヴィエトの指揮者。
アナトール・フィストゥラーリ*(ソ連 1907-1995)
フィストゥラーリが日本で一躍有名になったのは、チャイコフスキーの「白鳥の湖」の全曲盤が発売されたからである。今は廃盤になっているがハイライトは依然として多くのファンを持っている。―KU
ロシア管弦楽名曲集
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 (録音: 1956-1958)
「白鳥の湖」は音質がイマイチ、この管弦楽曲集は音質も極めてよく、珍しい曲が揃っていて聞きものである。
アーサー・フィードラー(アメリカ 1894-1979)
ボストン・ポップスはフィードラーの楽器のような存在だとよくいわれているが、たしかにそのとおりで、フィードラーの指揮棒一閃、このオーケストラは魔法の楽器ように実によく動き、よく鳴る。オーケストラが名人たちの集団というせいもあるが、やはりなんといっても30数年来のかたい結束のおかげであろう。老夫婦がお互いの箸のあげおろし、咳ばらいのひとつで感情の動きを感じとるのと同じである。―ES
例え話がおもしろい。いわゆる志鳥節である。
フェレンツ・フリッチャイ(ハンガリー 1914-1963)
1947年ザルツブルクの音楽祭でオットー・クレンペラーがアイネムの「ダントンの死」の初演を指揮することになっていたところ、急に病を得た。クレンペラーはブダペストにいたころフリッチャイの才能を知っていたので、急によびよせてこの初演をフリッチャイに指揮させた。これが大成功で、次の年にもザルツブルクの音楽祭に出た。―MW
ウィルヘルム・フルトヴェングラー(ドイツ 1886-1954)
フルトヴェングラーは、つねにトスカニーニ、ワルターと並称される20世紀最大の巨匠であるが、その役割は、ただ指揮者として偉大であったというばかりでなく、唯物的感覚的な今日の音楽認識世界のなかで、正統的ロマン主義を意義づけ、音楽の思弁的有機的意味を復活した、というような点でも歴史的存在なのである。―TS
さすが、猿田氏独特の表現である。でもこの人の文章は、難しいことが書いてあるのだが、読者はそれが自然と入りこんでしまうことが出来るから不思議だ。この人の文章には無駄な修飾語は不要であって、スッキリしている。そうかと言って、決して無味乾燥な文章ではない、実に滋味深いのである。昨日、急遽、図書館で仕入れて来た猿田氏の書物、「フルトヴェングラー」読むのが楽しみである。
ジャン・フルネ(フランス 1913-2008)
フルーネは1958年の終わりごろ、ドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」を指揮するために来日した。今年(62年)の秋にはふたたび来日する予定と聞くが、このフランスの名指揮者によって「ペレアス」がわが国で初演されたことは、日本の楽壇史を飾るすばらしいできごとであった。
ルイ・フーレスティエ*(フランス 1892-1976)
フランスの作曲家兼指揮者である。
ハリー・ブレック*(イギリス 1910-1999)
ブレックのリズムはわずかながらかけ出したり崩れたりするし・・・―KU
宇野功芳の評はときおり、重箱の隅をつつくようなところがある。まあ、そういうところが読む者からすれば面白いところでもあるのだが・・・
フェリックス・プロハスカ*(オーストリア 1912–1991)
ヘンデル「水上の音楽」が佳演。
ヤーノシュ・フェレンチック(ハンガリー 1907-1984)
彼の表現はなんの誇張もなく、音楽への共感が素朴に表わされて作品の内面性がゆたかに伝えられる。―TK
ハ行は随分と多いな・・・、今から大学野球を見に行くので、ここでいった中断。
つづく・・・
by kirakuossan
| 2014-04-12 09:13
| クラシック
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