2014年 03月 19日
ブラームスで原点回帰するシャイー |
2014年3月19日(水)
毎月20日を楽しみにしている。明日は『レコード芸術』の発売日だ。『音楽の友』は18日に既に発売になっているが、20日に一緒に買いに行く。そこで『音楽の友』が見当たらなければ、それはそれででよし。毎月は買わなくてもよい、ところが『レコード芸術』だけは、何が何でも買わないといけない。そんなことはまずないが、もし本屋になかったら、別の本屋に探し求めて行く。とくに蓼科にいる時は、本屋も限られていて、そういうこともありうる。
それはそうと先月号で見落としていないことはないかと、もう一度3月号を拡げてみると、あるではないか。クラウディオ・アバドが1月に亡くなって、3月号は緊急特集のその記事で頭がいっぱいだった。でもよくみると「ブラームス演奏の真髄を求めて」というたいへん興味深い特集を組んでいる。冒頭に音楽評論家の満津岡信育氏が”ブラームス演奏の新潮流”と題して、貴重な寄稿をしている。
ドイツ3大Bの一角を占めるブラームスの場合、大バッハやベートーヴェンほどではないとはいえ、その演奏スタイルは明らかに変化しつつある。すべての指揮者がその潮流にのっかっているわけではないが、新たな試みが、ディスクで、そしてコンサート・ホールで行われている。
どういうことかと云うと、オーケストラのサイズや配置の見直しに重きが置かれて、基本テンポの設定やテンポの変化、さらに弦楽器と管楽器のバランスにも変化が起き始めているというのだ。
最近発売されたシャイーの「交響曲全集」では、本誌2月号の「先取り!最新盤レヴュー」で相場ひろ氏が触れていたように、指揮者自身が、ワインガルトナーが30年代に録音した演奏スタイルを引き合いに出し、「純粋で、誇張のない、こんにち失われてしまった伝統に根ざした」スタイルこそが作曲者によって愛でられたものだと主張している。そう、若きワインガルトナーは、ブラームスから高く評価されていた。だが、ブラームスは、自分の楽譜にメトロノームの数字を入れるのを好まなかったこともあり、テンポに対する決定的な情報が隠されているうえに、同じ曲が速いテンポで演奏されたときにも、「いいね」と称賛した話が伝えれれている人物だ。とはいえ、シャイーのアプローチが、基本テンポを速めに設定し、楽譜に付されたダイナミックスやテンポ変化を遵守することによって、従来の演奏スタイルの伝統を見事に洗い落としているのは事実である。弦楽セクション偏重のスタイルではなく、弦・木管・金管の各セクションのバランスが均衡に保たれ、結果的に風通しのよい響きを形づくっているのだ。
そこで交響曲について、評論家佐伯茂樹氏は、最近発売されたティーレマン=シュターツカペレ・ドレスデンとシャイー=ゲヴァントハウスのふたつについて比較検証を行い、新しいブラームス演奏像を探っている。ここでは詳しくティーレマンとの比較は記さないが、シャイーの演奏に就いてはこのように述べている。
あきらかに通常の演奏よりもテンポが速い。旧盤と比べても、どの曲も3分近く速くなっており、聴感上もかなり速く感じる。第一番第一楽章冒頭など、ノリントンばりに快速で飛ばしているのだ。
しかし、たんに設定テンポが速くなっただけではない。これは、今回の全集の最大の特徴でもあるのだが、特に、楽譜に指示があるわけではないのに、これまで慣習的に「留めて」演奏することが多かった箇所を、シャイーはあまりにもブレーキをかけずにさらりと流しているのである。~
シャイーがこのような解釈に至った経緯は、ライナー・ノーツでペーター・コルマッハーが記している。シャイーは、ドイツでながらく、ブラームスがスコアに書いていないことが加えられて演奏されてきたことに疑問を感じ、それを排した状態に戻そうと考えるようになったらしい。その際、指針としたのが、ブラームス自身が実演を認めたというフェリックス・ワインガルトナーのディスクだという。確かに、ワインガルトナーがロンドン交響楽団を指揮した録音を聴くと、速めのテンポと留めのない進行具合は、シャイーの演奏とよく似ていることが判る。つまり、ワインガルトナー以降、さまざまなマエストロたちによって色付けされてきたものを排除して原点に帰ろうというのが、今回のシャイーの全集の意図だったことは間違いない。
ここで交響曲第1番について、この二人と、ほかの主だった指揮者の演奏時間を比較してみるとよくわかる。
ワインガルトナー/ロンドン交響楽団39年盤(11:29 8:55 4:16 14:23 =39:03)
シャイー/ゲヴァントハウス管2012年盤(15:26 8:22 4:25 15:40 =43:53)
シャイーの25年前のコンセルトヘボウとの演奏は =48:39 かかっている。
フルトヴェングラー/ベルリン・フィル47盤(14:14 10:10 5:03 16:32 =45:59)
トスカニーニ/NBC交響楽団41年盤(12:10 8:37 4:25 16:24 =41:36)
ワルター/コロンビア交響楽団59年盤(14:09 8:32 4:48 17:02 =44:31)
カラヤン/ウィーン・フィル60年盤(13:53 9:12 4:57 17:35 =45:37)
ジュリーニ/フィルハーモニア管弦楽団62年盤(14:00 9:54 4:38 18:16 =46:48)
ゲルギエフ/ロンドン交響楽団2012年盤(16:58 9:51 4:53 17:20 =49:02)
ダウスゴー/スウェーデン室内管2011年盤(15:04 8:41 4:34 16:13 =44:32)
あの快速なダウスゴーをも上回る。またさらに快速でならしたシューリヒトには1分しか差異がない。
シューリヒト/シュトゥットガルト放響63年盤(13:38 8:55 5:02 15:20 =42:55)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこでさあいよいよ今週末はシャイーとゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会だ。マーラーの第7番「夜の歌」、いくら聞いても難しくてなじみにくい曲だが、はたしてシャイーはどんな演奏で聴かしてくれるのだろうか。ここにきてベートーヴェン、ブラームスと快足演奏を繰り広げてきてるだけにマーラーではどのような変身シャイーが聴けるのか、楽しみである。
毎月20日を楽しみにしている。明日は『レコード芸術』の発売日だ。『音楽の友』は18日に既に発売になっているが、20日に一緒に買いに行く。そこで『音楽の友』が見当たらなければ、それはそれででよし。毎月は買わなくてもよい、ところが『レコード芸術』だけは、何が何でも買わないといけない。そんなことはまずないが、もし本屋になかったら、別の本屋に探し求めて行く。とくに蓼科にいる時は、本屋も限られていて、そういうこともありうる。
それはそうと先月号で見落としていないことはないかと、もう一度3月号を拡げてみると、あるではないか。クラウディオ・アバドが1月に亡くなって、3月号は緊急特集のその記事で頭がいっぱいだった。でもよくみると「ブラームス演奏の真髄を求めて」というたいへん興味深い特集を組んでいる。冒頭に音楽評論家の満津岡信育氏が”ブラームス演奏の新潮流”と題して、貴重な寄稿をしている。
ドイツ3大Bの一角を占めるブラームスの場合、大バッハやベートーヴェンほどではないとはいえ、その演奏スタイルは明らかに変化しつつある。すべての指揮者がその潮流にのっかっているわけではないが、新たな試みが、ディスクで、そしてコンサート・ホールで行われている。
どういうことかと云うと、オーケストラのサイズや配置の見直しに重きが置かれて、基本テンポの設定やテンポの変化、さらに弦楽器と管楽器のバランスにも変化が起き始めているというのだ。
最近発売されたシャイーの「交響曲全集」では、本誌2月号の「先取り!最新盤レヴュー」で相場ひろ氏が触れていたように、指揮者自身が、ワインガルトナーが30年代に録音した演奏スタイルを引き合いに出し、「純粋で、誇張のない、こんにち失われてしまった伝統に根ざした」スタイルこそが作曲者によって愛でられたものだと主張している。そう、若きワインガルトナーは、ブラームスから高く評価されていた。だが、ブラームスは、自分の楽譜にメトロノームの数字を入れるのを好まなかったこともあり、テンポに対する決定的な情報が隠されているうえに、同じ曲が速いテンポで演奏されたときにも、「いいね」と称賛した話が伝えれれている人物だ。とはいえ、シャイーのアプローチが、基本テンポを速めに設定し、楽譜に付されたダイナミックスやテンポ変化を遵守することによって、従来の演奏スタイルの伝統を見事に洗い落としているのは事実である。弦楽セクション偏重のスタイルではなく、弦・木管・金管の各セクションのバランスが均衡に保たれ、結果的に風通しのよい響きを形づくっているのだ。
そこで交響曲について、評論家佐伯茂樹氏は、最近発売されたティーレマン=シュターツカペレ・ドレスデンとシャイー=ゲヴァントハウスのふたつについて比較検証を行い、新しいブラームス演奏像を探っている。ここでは詳しくティーレマンとの比較は記さないが、シャイーの演奏に就いてはこのように述べている。
あきらかに通常の演奏よりもテンポが速い。旧盤と比べても、どの曲も3分近く速くなっており、聴感上もかなり速く感じる。第一番第一楽章冒頭など、ノリントンばりに快速で飛ばしているのだ。
しかし、たんに設定テンポが速くなっただけではない。これは、今回の全集の最大の特徴でもあるのだが、特に、楽譜に指示があるわけではないのに、これまで慣習的に「留めて」演奏することが多かった箇所を、シャイーはあまりにもブレーキをかけずにさらりと流しているのである。~
シャイーがこのような解釈に至った経緯は、ライナー・ノーツでペーター・コルマッハーが記している。シャイーは、ドイツでながらく、ブラームスがスコアに書いていないことが加えられて演奏されてきたことに疑問を感じ、それを排した状態に戻そうと考えるようになったらしい。その際、指針としたのが、ブラームス自身が実演を認めたというフェリックス・ワインガルトナーのディスクだという。確かに、ワインガルトナーがロンドン交響楽団を指揮した録音を聴くと、速めのテンポと留めのない進行具合は、シャイーの演奏とよく似ていることが判る。つまり、ワインガルトナー以降、さまざまなマエストロたちによって色付けされてきたものを排除して原点に帰ろうというのが、今回のシャイーの全集の意図だったことは間違いない。
ここで交響曲第1番について、この二人と、ほかの主だった指揮者の演奏時間を比較してみるとよくわかる。
ワインガルトナー/ロンドン交響楽団39年盤(11:29 8:55 4:16 14:23 =39:03)
シャイー/ゲヴァントハウス管2012年盤(15:26 8:22 4:25 15:40 =43:53)
シャイーの25年前のコンセルトヘボウとの演奏は =48:39 かかっている。
フルトヴェングラー/ベルリン・フィル47盤(14:14 10:10 5:03 16:32 =45:59)
トスカニーニ/NBC交響楽団41年盤(12:10 8:37 4:25 16:24 =41:36)
ワルター/コロンビア交響楽団59年盤(14:09 8:32 4:48 17:02 =44:31)
カラヤン/ウィーン・フィル60年盤(13:53 9:12 4:57 17:35 =45:37)
ジュリーニ/フィルハーモニア管弦楽団62年盤(14:00 9:54 4:38 18:16 =46:48)
ゲルギエフ/ロンドン交響楽団2012年盤(16:58 9:51 4:53 17:20 =49:02)
ダウスゴー/スウェーデン室内管2011年盤(15:04 8:41 4:34 16:13 =44:32)
あの快速なダウスゴーをも上回る。またさらに快速でならしたシューリヒトには1分しか差異がない。
シューリヒト/シュトゥットガルト放響63年盤(13:38 8:55 5:02 15:20 =42:55)
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そこでさあいよいよ今週末はシャイーとゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会だ。マーラーの第7番「夜の歌」、いくら聞いても難しくてなじみにくい曲だが、はたしてシャイーはどんな演奏で聴かしてくれるのだろうか。ここにきてベートーヴェン、ブラームスと快足演奏を繰り広げてきてるだけにマーラーではどのような変身シャイーが聴けるのか、楽しみである。
by kirakuossan
| 2014-03-19 18:26
| クラシック
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