2014年 02月 27日
名盤◎銘盤 NO11 フリッチャイの「悲愴」 |
2014年2月27日(木)
生誕100年を迎える指揮者でラファエル・クーベリックのことを書いたが、1914年生まれには偶然にも著名な指揮者が多く生れた年でもあった。他にキリル・コンドラシン(~81)、カルロ・マリア・ジュリーニ(~05)、アルヴィド・ヤンソンス
(~84)、そしてフェレンツ・フリッチャイ(~63)がいる。
ひょんなことから、チャイコフスキーの「悲愴」の話になって、かみさんと何人かの演奏の聴き比べをした。第一楽章のさわりの、例の暗闇から出て来るような沈着なフレーズでの比較だ。チェリビダッケに始まり、マルティノン、ショルティ、もちろんムラヴィンスキーも、最近の指揮者ではパッパーノ、そして徐に、フリッチャイが指揮するベルリン放送交響楽団のディスクもかけてみた。「悲愴」の出だしだけの聴き比べは、初めてだが、二人の意見は全く一致した。ムラヴィンスキーもいいが、フリッチャイの指揮に魅かれるという結論だ。
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」
ベルリン放送交響楽団
この演奏は1959年9月のものだが、彼が長い闘病生活から奇跡の復帰を果たした直後の録音である。だからなにか鬼気迫るものがあるかと思えば、その印象は正反対で、人間愛に満ちた、絶品の仕上がりになっている。
実はこのディスクの発売時の事はよく覚えている。演奏から37年もたった1996年に突如として、このCDが発売された。当時、「レコード芸術」をはじめ、業界ではちょっとした衝撃として語られた。こんな凄い「悲愴」があったなんて信じられない、といった賞賛の嵐で、それは「寂しく厭世的で,病的なまでに繊細」といったような内容が多かったように記憶している。ところがいざこのディスクを手にして聴いてみた印象が不思議と残っていない。何故だろうか? そして何年振りかでまた今聴いてみて、これは凄い演奏だ!ということを実感した。「厭世的で,病的」とは全く違う。単なるイメージからだけとらえたキャッチコピーほどいい加減なものはない。これこそ全てを悟りきった、人間愛に満ちた最上の「悲愴」ではないか。最後まで50分の演奏を聴き終え、そう確信した。
フリッチャイは志半ばにして病に倒れたが、時代を先取りした近代的な指揮者であった。彼がもう少し長く生きていたら、大巨匠になっていたことは疑いないことである。
生誕100年を迎える指揮者でラファエル・クーベリックのことを書いたが、1914年生まれには偶然にも著名な指揮者が多く生れた年でもあった。他にキリル・コンドラシン(~81)、カルロ・マリア・ジュリーニ(~05)、アルヴィド・ヤンソンス
(~84)、そしてフェレンツ・フリッチャイ(~63)がいる。
ひょんなことから、チャイコフスキーの「悲愴」の話になって、かみさんと何人かの演奏の聴き比べをした。第一楽章のさわりの、例の暗闇から出て来るような沈着なフレーズでの比較だ。チェリビダッケに始まり、マルティノン、ショルティ、もちろんムラヴィンスキーも、最近の指揮者ではパッパーノ、そして徐に、フリッチャイが指揮するベルリン放送交響楽団のディスクもかけてみた。「悲愴」の出だしだけの聴き比べは、初めてだが、二人の意見は全く一致した。ムラヴィンスキーもいいが、フリッチャイの指揮に魅かれるという結論だ。
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」
ベルリン放送交響楽団
この演奏は1959年9月のものだが、彼が長い闘病生活から奇跡の復帰を果たした直後の録音である。だからなにか鬼気迫るものがあるかと思えば、その印象は正反対で、人間愛に満ちた、絶品の仕上がりになっている。
実はこのディスクの発売時の事はよく覚えている。演奏から37年もたった1996年に突如として、このCDが発売された。当時、「レコード芸術」をはじめ、業界ではちょっとした衝撃として語られた。こんな凄い「悲愴」があったなんて信じられない、といった賞賛の嵐で、それは「寂しく厭世的で,病的なまでに繊細」といったような内容が多かったように記憶している。ところがいざこのディスクを手にして聴いてみた印象が不思議と残っていない。何故だろうか? そして何年振りかでまた今聴いてみて、これは凄い演奏だ!ということを実感した。「厭世的で,病的」とは全く違う。単なるイメージからだけとらえたキャッチコピーほどいい加減なものはない。これこそ全てを悟りきった、人間愛に満ちた最上の「悲愴」ではないか。最後まで50分の演奏を聴き終え、そう確信した。
フリッチャイは志半ばにして病に倒れたが、時代を先取りした近代的な指揮者であった。彼がもう少し長く生きていたら、大巨匠になっていたことは疑いないことである。
by kirakuossan
| 2014-02-27 22:32
| 注目盤◎
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