2014年 02月 01日
「しょうみしょうまつ」 (i Ca-tyann) |
2014年2月1日(土)
第69題
かみさん、子どもの頃しばらく祖母と暮らしたことがあって、そこで教わったのか、何かと古めかしい言葉やことわざ、みながあまり使わないような言葉を時たま発することがある。
たとえば、「一升の枡は一升」、これは自分を戒める時に使うようで、「いくらうまいこといったからといっても、どこかで必ず帳尻は合うもの」だ。
それとこんなのもよく聞く。「しょうみしょうまつ」(正味正松と書くのか?)、どんなに小さくても、劣っていてもそれはそれで、その中で力いっぱいの最高の成果を生むことを言うようだ。
僕の解釈では、「何も加えない、何も引かない、そのもの正味の力を発揮する」
愛機 ATOLL のような・・・音に色をつけない、低音を効かせたり、高音をだしてみたり、そんなことは一切しない。ただ音源通りの音を正直にありのままに表現する。だからこのアンプを僕は信頼している。下手は下手なりに聴こえるのだ。
第69題
かみさん、子どもの頃しばらく祖母と暮らしたことがあって、そこで教わったのか、何かと古めかしい言葉やことわざ、みながあまり使わないような言葉を時たま発することがある。
たとえば、「一升の枡は一升」、これは自分を戒める時に使うようで、「いくらうまいこといったからといっても、どこかで必ず帳尻は合うもの」だ。
それとこんなのもよく聞く。「しょうみしょうまつ」(正味正松と書くのか?)、どんなに小さくても、劣っていてもそれはそれで、その中で力いっぱいの最高の成果を生むことを言うようだ。
愛機 ATOLL のような・・・音に色をつけない、低音を効かせたり、高音をだしてみたり、そんなことは一切しない。ただ音源通りの音を正直にありのままに表現する。だからこのアンプを僕は信頼している。下手は下手なりに聴こえるのだ。
by kirakuossan
| 2014-02-01 13:02
| i Ca-tyann
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