2014年 01月 30日
『べルツの日記』 -2 |
2014年1月30日(木)
若きドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツは1876年(明治9年)6月6日に横浜に着いた。母国から2か月の長旅を終えてようやく日本に着いた第一印象は芳しくなかった。
「まず、案に相違して、目指す国への第一歩はあまり愉快なものではありませんでした。」と家族に第一報を送っている。それは日本政府からの迎えも全くなく、入国の手続きにたいそう手間取り、といった事ばかりではなく、想像以上にヨーロッパと比べて日本が遅れていることを直感したことだ。そのことはしばらくしてから次のように理解したようで、家族あての手紙にこう書いた。
日本国民は、十年にもならぬ前まで封建制度や教会、僧院、同業組合などの組織をもつわれわれ中世の騎士時代の文化状態にあったのが、昨日から今日へと一足飛びに、われわれヨーロッパの文化発展に要した五百年たっぷりの期間を飛び越えて、十九世紀の全成果を即座に、しかも一時にわが物にしようとしているのであると。従ってこれは真実、途方もなく大きい文化「革命」です。―何しろ根底からの変革である以上、「発展」とは申せませんから。そしてわたしは、この極めて興味ある実験の立会人たる幸運に恵まれたしだいです。
ところでこの明治9年とは実際どんな時代であったのか・・・
廃刀令が発布される傍らで、東海道線の大阪~京都間が開通し、初の私立銀行である三井銀行が設立され、大阪毎日新聞社が開業。札幌農学校が開校し、東京では上野公園が5月に開園になったばかりで、また1月には未だに東京での最低気温であるマイナス9.2度を記録している。
世界では、 グラハム・ベルが電話機を発明し、フィラデルフィア万国博覧会開幕された。また、 ブラームス交響曲第1番の初演、グリーグの「ペール・ギュント」初演、 ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」全曲初演、さらには チャイコフスキーの「 スラヴ行進曲」が初演されるなど、日本も、世界も、活気に満ちた空気が感じられる。
ベルツ博士の住いには、大学構内の「加賀屋敷」があてがわれた。このことには驚きを示すが、すぐにその環境に魅かれる。
明治九年六月二十六日
~将来わが家となるこの家は坂の上にあって、そのすその大きい「不忍池」には無数のハスの花と、かわいい朱のお宮があります。向うの丘の眺めもすばらしく、そこは古い美しい「上野公園」で、今をさる僅か八年(!)前に維新の役の決戦が行われたところです。
この家の庭は、老樹の木立があって非常に美しいので、これを自分の趣味どおりにしつらえることのできる日を、今から楽しみにして待っています。
要するに、当地を今までよりは居心地よく感じるようになってきました。
彼の偉業は着実に実を結んでいき、多くの門下生を生んだ。一方で、当時の政界や財界の主だった実力者たちの外来診療にも数多く携わったのが日記から知れる。
鍋島伯爵、井上馨、松田東京知事、板垣退助、岩倉具視・・・
つづく・・・
若きドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツは1876年(明治9年)6月6日に横浜に着いた。母国から2か月の長旅を終えてようやく日本に着いた第一印象は芳しくなかった。
「まず、案に相違して、目指す国への第一歩はあまり愉快なものではありませんでした。」と家族に第一報を送っている。それは日本政府からの迎えも全くなく、入国の手続きにたいそう手間取り、といった事ばかりではなく、想像以上にヨーロッパと比べて日本が遅れていることを直感したことだ。そのことはしばらくしてから次のように理解したようで、家族あての手紙にこう書いた。
日本国民は、十年にもならぬ前まで封建制度や教会、僧院、同業組合などの組織をもつわれわれ中世の騎士時代の文化状態にあったのが、昨日から今日へと一足飛びに、われわれヨーロッパの文化発展に要した五百年たっぷりの期間を飛び越えて、十九世紀の全成果を即座に、しかも一時にわが物にしようとしているのであると。従ってこれは真実、途方もなく大きい文化「革命」です。―何しろ根底からの変革である以上、「発展」とは申せませんから。そしてわたしは、この極めて興味ある実験の立会人たる幸運に恵まれたしだいです。
ところでこの明治9年とは実際どんな時代であったのか・・・
廃刀令が発布される傍らで、東海道線の大阪~京都間が開通し、初の私立銀行である三井銀行が設立され、大阪毎日新聞社が開業。札幌農学校が開校し、東京では上野公園が5月に開園になったばかりで、また1月には未だに東京での最低気温であるマイナス9.2度を記録している。
世界では、 グラハム・ベルが電話機を発明し、フィラデルフィア万国博覧会開幕された。また、 ブラームス交響曲第1番の初演、グリーグの「ペール・ギュント」初演、 ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」全曲初演、さらには チャイコフスキーの「 スラヴ行進曲」が初演されるなど、日本も、世界も、活気に満ちた空気が感じられる。
明治九年六月二十六日
~将来わが家となるこの家は坂の上にあって、そのすその大きい「不忍池」には無数のハスの花と、かわいい朱のお宮があります。向うの丘の眺めもすばらしく、そこは古い美しい「上野公園」で、今をさる僅か八年(!)前に維新の役の決戦が行われたところです。
この家の庭は、老樹の木立があって非常に美しいので、これを自分の趣味どおりにしつらえることのできる日を、今から楽しみにして待っています。
要するに、当地を今までよりは居心地よく感じるようになってきました。
彼の偉業は着実に実を結んでいき、多くの門下生を生んだ。一方で、当時の政界や財界の主だった実力者たちの外来診療にも数多く携わったのが日記から知れる。
鍋島伯爵、井上馨、松田東京知事、板垣退助、岩倉具視・・・
つづく・・・
by kirakuossan
| 2014-01-30 22:54
| 人
|
Trackback