2013年 11月 13日
弘前城にて |
2013年11月13日(水)
今年の春、弘前城を訪れた時、城から町並みを見下し、遠くに岩木山を望んだ一枚である。城内を散策してぐるりと北西方向に目をやると突如として逞しい美山が目の当たりに迫って、ドキッとした。太宰治の『津軽』序編のこんな文に出くわしてつい思い出した次第である。
あれは春の夕暮だったと記憶しているが、弘前高等学校の文科生だった私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立って、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひっそりと展開しているのに気がつき、ぞっとした事がある。私はそれまで、この弘前城を、弘前のまちのはずれに孤立しているものだとばかり思っていたのだ。けれども、見よ、お城のすぐ下に、私のいままで見た事もない古雅な町が、何百年も昔のままの姿で小さい軒を並べ、息をひそめてひっそりうずくまっていたのだ。ああ、こんなところにも町があった。年少の私は夢を見るような気持ちで思わず深い溜息をもらしたのである。万葉集などによく出て来る「隠沼」(こもりぬ)というような感じである。私は、なぜだか、その時、弘前を、津軽を、理解したような気がした。
太宰はこの城から町並みをみて驚き、僕は岩木山をみて感動した。見たものの違いはあるが、そのどちらの光景も恐らく弘前城の同じ場所からみたものであろうことは推察できる。
また、岩木山は実に堂々として秀麗な山である。好きな山には違いないが、山の姿を見やりながら車を運転していて、そのときフッと思ったことも太宰の文章にはちゃんと書いてある。
なるほど弘前市の岩木山は、青森市の八甲田山よりも秀麗である。けれども、津軽出身の小説の名手、葛西善蔵氏は、郷土の後輩にこう言って教えている。「自惚れちゃいけないぜ。岩木山が素晴らしく見えるのは、岩木山の周囲に高い山がないから、あんなに有難く見えるんだ。自惚れちゃいけないぜ」
岩木山は1625m、そう高くはない。しかし、傍を通ると聳え立つように見える。奥羽の街々や山々をドライブしながら思ったが、確かに見渡してもこの辺りにはそう高い山はないのである。蓼科や八ヶ岳の2000~3000mの山並みを見慣れると、余計にそう感じるものである。
また太宰の文章から感じ取れるが、弘前や津軽の事を自分ではあれほどけなすのに、こと青森市の話になると、よりふるさとに近い弘前市を贔屓目で見るところがあって滑稽である。青森の八甲田よりは弘前の岩木山の方があくまでも秀麗なのである。
太宰が、津軽風土記の執筆を依頼されて、ふるさと津軽を旅行した時に生れたこの『津軽』は彼の全作品の中でも特異な位置を占める佳品とされている。友人の亀井勝一郎は、この小説の中に太宰の本来の性格であるユーモアーが滲み出た作品と評価している。
さて、今から本編を読みだすのだが、前書だけでも、自分の思い出と重なり、親しみをもって、身近に感じとれるものである。だから、旅は自己の世界を拡げ、小説は愉しいのである。
あれは春の夕暮だったと記憶しているが、弘前高等学校の文科生だった私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立って、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひっそりと展開しているのに気がつき、ぞっとした事がある。私はそれまで、この弘前城を、弘前のまちのはずれに孤立しているものだとばかり思っていたのだ。けれども、見よ、お城のすぐ下に、私のいままで見た事もない古雅な町が、何百年も昔のままの姿で小さい軒を並べ、息をひそめてひっそりうずくまっていたのだ。ああ、こんなところにも町があった。年少の私は夢を見るような気持ちで思わず深い溜息をもらしたのである。万葉集などによく出て来る「隠沼」(こもりぬ)というような感じである。私は、なぜだか、その時、弘前を、津軽を、理解したような気がした。
太宰はこの城から町並みをみて驚き、僕は岩木山をみて感動した。見たものの違いはあるが、そのどちらの光景も恐らく弘前城の同じ場所からみたものであろうことは推察できる。
また、岩木山は実に堂々として秀麗な山である。好きな山には違いないが、山の姿を見やりながら車を運転していて、そのときフッと思ったことも太宰の文章にはちゃんと書いてある。
なるほど弘前市の岩木山は、青森市の八甲田山よりも秀麗である。けれども、津軽出身の小説の名手、葛西善蔵氏は、郷土の後輩にこう言って教えている。「自惚れちゃいけないぜ。岩木山が素晴らしく見えるのは、岩木山の周囲に高い山がないから、あんなに有難く見えるんだ。自惚れちゃいけないぜ」
岩木山は1625m、そう高くはない。しかし、傍を通ると聳え立つように見える。奥羽の街々や山々をドライブしながら思ったが、確かに見渡してもこの辺りにはそう高い山はないのである。蓼科や八ヶ岳の2000~3000mの山並みを見慣れると、余計にそう感じるものである。
また太宰の文章から感じ取れるが、弘前や津軽の事を自分ではあれほどけなすのに、こと青森市の話になると、よりふるさとに近い弘前市を贔屓目で見るところがあって滑稽である。青森の八甲田よりは弘前の岩木山の方があくまでも秀麗なのである。
太宰が、津軽風土記の執筆を依頼されて、ふるさと津軽を旅行した時に生れたこの『津軽』は彼の全作品の中でも特異な位置を占める佳品とされている。友人の亀井勝一郎は、この小説の中に太宰の本来の性格であるユーモアーが滲み出た作品と評価している。
さて、今から本編を読みだすのだが、前書だけでも、自分の思い出と重なり、親しみをもって、身近に感じとれるものである。だから、旅は自己の世界を拡げ、小説は愉しいのである。
by kirakuossan
| 2013-11-13 15:58
| 文芸
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