2013年 10月 25日
木喰仏を蘇らせた男 |
2013年10月25日(金)
美学者で宗教哲学家の柳宗悦(1889~1961)は民藝運動を起こした思想家であり、時の影響力を持つ知識人の一人であった。彼は1919年に朝鮮で起きた三・一独立運動を契機として朝鮮に目を向け、一方で朝鮮の陶器にも大いに関心を示すこととなるが、ちょうど甲府市郊外で李朝陶磁器の調査をしていた際、偶然にも旧家に所蔵されていた地蔵菩薩像、無量寿菩薩像、弘法大師像の3体の木喰仏を見出し、木喰仏の芸術性の高さに打たれる。このことが、当時ほとんど忘れ去られていた木喰の存在や木喰仏を見直すきっかけとなる。
木喰(もくじき1718~1810)は遊行僧で、日本全国を旅し、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納した。「木喰仏」は日本各地におびただしい数で残っていると云われる。もうすこし前の時代の円空の仏像もよく知られるが、円空のが野性的な彫りであるのに対して、木喰のは幾分温和なものが多いとされている。
柳宗悦は民藝に限らず、美術品としての焼物、茶、そして木喰仏、さらには朝鮮文化だけでなく沖縄文化についても普及に尽力した。柳という人物は不思議な人である。人は実践思想家と呼ぶが、彼の魅力は、一方では多彩な交友関係にもある。実に幅広い。
文芸活動で行動を共にした白樺派の作家たち、志賀直哉、武者小路実篤、児島喜久雄は学習院とのつながりを持つ。白樺派での仲間である有島武郎、木下利玄、里見弴、郡虎彦、長與善郎、画家の梅原龍三郎、岸田劉生。白樺派以外では、松方三郎、安倍能成、高村光太郎、谷川徹三、大原孫三郎、大原総一郎。陶芸家としての同志に河井寛次郎、浜田庄司 、バーナード・リーチ。芹沢銈介、沖縄研究で知った伊波普猷、棟方志功、浅川伯教、浅川巧。いずれは袂を分かったが、陶芸家の富本憲吉、美術評論家の青山二郎、などである。
まえにも記事で書いたが、彼の展覧会がいま滋賀県立近代美術館で開催されている。行く前に、柳宗悦に関して色々と調べものをしていて、彼が「木喰仏」を蘇らせたということも今日知った。実は今日見に行く予定にしていたが、あいにくの雨で来週になりそうだが、楽しみにしている。
美学者で宗教哲学家の柳宗悦(1889~1961)は民藝運動を起こした思想家であり、時の影響力を持つ知識人の一人であった。彼は1919年に朝鮮で起きた三・一独立運動を契機として朝鮮に目を向け、一方で朝鮮の陶器にも大いに関心を示すこととなるが、ちょうど甲府市郊外で李朝陶磁器の調査をしていた際、偶然にも旧家に所蔵されていた地蔵菩薩像、無量寿菩薩像、弘法大師像の3体の木喰仏を見出し、木喰仏の芸術性の高さに打たれる。このことが、当時ほとんど忘れ去られていた木喰の存在や木喰仏を見直すきっかけとなる。
木喰(もくじき1718~1810)は遊行僧で、日本全国を旅し、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納した。「木喰仏」は日本各地におびただしい数で残っていると云われる。もうすこし前の時代の円空の仏像もよく知られるが、円空のが野性的な彫りであるのに対して、木喰のは幾分温和なものが多いとされている。
柳宗悦は民藝に限らず、美術品としての焼物、茶、そして木喰仏、さらには朝鮮文化だけでなく沖縄文化についても普及に尽力した。柳という人物は不思議な人である。人は実践思想家と呼ぶが、彼の魅力は、一方では多彩な交友関係にもある。実に幅広い。
文芸活動で行動を共にした白樺派の作家たち、志賀直哉、武者小路実篤、児島喜久雄は学習院とのつながりを持つ。白樺派での仲間である有島武郎、木下利玄、里見弴、郡虎彦、長與善郎、画家の梅原龍三郎、岸田劉生。白樺派以外では、松方三郎、安倍能成、高村光太郎、谷川徹三、大原孫三郎、大原総一郎。陶芸家としての同志に河井寛次郎、浜田庄司 、バーナード・リーチ。芹沢銈介、沖縄研究で知った伊波普猷、棟方志功、浅川伯教、浅川巧。いずれは袂を分かったが、陶芸家の富本憲吉、美術評論家の青山二郎、などである。
まえにも記事で書いたが、彼の展覧会がいま滋賀県立近代美術館で開催されている。行く前に、柳宗悦に関して色々と調べものをしていて、彼が「木喰仏」を蘇らせたということも今日知った。実は今日見に行く予定にしていたが、あいにくの雨で来週になりそうだが、楽しみにしている。
by kirakuossan
| 2013-10-25 11:03
| 美術
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