2013年 10月 15日
指揮者100選☆44 ドラティ |
2013年10月15日(火)
ハンガリー出身のアンタル・ドラティ(Antal Doráti, ハンガリー 1906~1988)は地味な指揮者である。主にアメリカや北欧、それにイギリスで活躍した。ただ巨匠であることは十分に分っていても、正直どうしてもワンランク下に見る傾向にある。たしかマイライブラリーでもほとんど持っていないだろう。ところが彼の手腕を徐々に知るにつけその偉大さが分ってくる。今朝、KDFCでミネソタ管弦楽団の素晴らしい演奏を知って、色々と調べていると、この楽団を育てたのが実はドラティであることを知った。ミネソタ管弦楽団は当初ミネアポリス交響楽団と呼んだが、1949年から12年間にわたり首席指揮者としてつき、この楽団の基礎を築いた。
彼のオーケストラ・ビルダーとしての功績は大で、ミネソタだけではない。1900年に創立されたダラス交響楽団も半世紀にわたり鳴かず飛ばずであったが、ドラティが1945年に音楽監督になって僅か5年間でドラティ体制下で完全にプロフェッショナルのオーケストラとなった。
また、デトロイト交響楽団についても1977年から5年間で世界的水準を取り戻させたといわれる。他にもある、「ハンガリー動乱」によって多数のハンガリー人音楽家がドイツに亡命したが、そのハンガリー人音楽家を結集させて組織したフィルハーモニア・フンガリカを1957年の創設当初から長きにわたり指導にあたりその名を世界に知らしめた。
今から50年前の1963年4月にロンドン交響楽団が初めて(たぶん?)日本にやって来たが、この時一緒に指揮者として凄いメンバーが来日している。88歳のピエール・モントゥー、51歳のゲオルク・ショルティ、そして57歳のアンタル・ドラティだ。15日間にわたって、フェスティバルホールでの3公演を皮きりに、広島、福岡、大阪に戻り2公演、静岡、名古屋、そして郡山をはさみ、東京文化会館で5公演という超過密スケジュールを3人でこなした。
分る範囲でひろってみると、ドラティは大阪での1公演、広島、福岡、名古屋、そして東京の2公演を受け持った。プログラムはモーツァルト第40番、チャイコフスキー第4番、ヘンデル「水上の音楽」そしてベートーヴェン第5番、東京での最終日はブラームス第2番も披露した。気になるモントゥーは高齢のため大阪の3公演だけで、演目は、シベリウス第2番、ベートーヴェン第8番、ブラームス第2番、シューベルト第8番「グレイト」、Rシュトラウス「ドン・ファン」などであった。さらに一番若いショルティは後半の東京を中心に5公演受け持ち、ベートーヴェン第4番、ベートーヴェン第7番、モーツァルト第39番、そしてブラームス第1番などを振った。
なお、モントゥーは翌春に亡くなり、この公演が日本での最終公演ともなった。
☆演奏スタイルは・・・
レパートリーは広く、ハイドンからメシアンまであらゆる時代の音楽をこなした。とくにバレエ音楽が得意で、ストラヴィンスキーの三大バレエは評価が高い。詳しいことは分らないが、基本に忠実でドラマティックな演奏をする。
☆録音は・・・
チャイコフスキーの祝典序曲「1812年」では本物の大砲の実音を入れて録音した。今でも珍しく語り草になっている。NMLの音源で聴いてみると、全体で15分の曲だが、12分ぐらいに大砲が5連発炸裂する、そして13分ぐらいで多数の鐘が鳴り響き、終局へと突っ走る、それこそ”ど迫力”の祝典序曲に仕上がっている。
☆私見・・・
もう少し早くから知り、この人の演奏を多く聴いておくべきであった。今からでも遅くない・・・。
☆Myライブラリーより・・・
マイ・ディスクを調べてみると次の4枚がある。スメタナ「モルダウ」(コンセルトヘボウ管弦楽団)、ハイドン「オラトリオ四季」(ロイヤルフィル)、ムソルグスキー「展覧会の絵」(ミネアポリス交響楽団)、ワーグナー歌劇「さまよえるオランダ人」(ロイヤル・オペラ・ハウス管)
早速、「展覧会の絵」を聴いてみるが、前半がバイロン・ジャニスによるピアノ演奏版、後半がミネアポリス交響楽団(ミネソタの前身)指揮アンタル・ドラティ。マーキュリーの1959年の録音だがSACDに再編集されており高音質である。演奏はドラマティックな”展覧会の絵”と言える。
ハンガリー出身のアンタル・ドラティ(Antal Doráti, ハンガリー 1906~1988)は地味な指揮者である。主にアメリカや北欧、それにイギリスで活躍した。ただ巨匠であることは十分に分っていても、正直どうしてもワンランク下に見る傾向にある。たしかマイライブラリーでもほとんど持っていないだろう。ところが彼の手腕を徐々に知るにつけその偉大さが分ってくる。今朝、KDFCでミネソタ管弦楽団の素晴らしい演奏を知って、色々と調べていると、この楽団を育てたのが実はドラティであることを知った。ミネソタ管弦楽団は当初ミネアポリス交響楽団と呼んだが、1949年から12年間にわたり首席指揮者としてつき、この楽団の基礎を築いた。
彼のオーケストラ・ビルダーとしての功績は大で、ミネソタだけではない。1900年に創立されたダラス交響楽団も半世紀にわたり鳴かず飛ばずであったが、ドラティが1945年に音楽監督になって僅か5年間でドラティ体制下で完全にプロフェッショナルのオーケストラとなった。
また、デトロイト交響楽団についても1977年から5年間で世界的水準を取り戻させたといわれる。他にもある、「ハンガリー動乱」によって多数のハンガリー人音楽家がドイツに亡命したが、そのハンガリー人音楽家を結集させて組織したフィルハーモニア・フンガリカを1957年の創設当初から長きにわたり指導にあたりその名を世界に知らしめた。
今から50年前の1963年4月にロンドン交響楽団が初めて(たぶん?)日本にやって来たが、この時一緒に指揮者として凄いメンバーが来日している。88歳のピエール・モントゥー、51歳のゲオルク・ショルティ、そして57歳のアンタル・ドラティだ。15日間にわたって、フェスティバルホールでの3公演を皮きりに、広島、福岡、大阪に戻り2公演、静岡、名古屋、そして郡山をはさみ、東京文化会館で5公演という超過密スケジュールを3人でこなした。
分る範囲でひろってみると、ドラティは大阪での1公演、広島、福岡、名古屋、そして東京の2公演を受け持った。プログラムはモーツァルト第40番、チャイコフスキー第4番、ヘンデル「水上の音楽」そしてベートーヴェン第5番、東京での最終日はブラームス第2番も披露した。気になるモントゥーは高齢のため大阪の3公演だけで、演目は、シベリウス第2番、ベートーヴェン第8番、ブラームス第2番、シューベルト第8番「グレイト」、Rシュトラウス「ドン・ファン」などであった。さらに一番若いショルティは後半の東京を中心に5公演受け持ち、ベートーヴェン第4番、ベートーヴェン第7番、モーツァルト第39番、そしてブラームス第1番などを振った。
なお、モントゥーは翌春に亡くなり、この公演が日本での最終公演ともなった。
☆演奏スタイルは・・・
レパートリーは広く、ハイドンからメシアンまであらゆる時代の音楽をこなした。とくにバレエ音楽が得意で、ストラヴィンスキーの三大バレエは評価が高い。詳しいことは分らないが、基本に忠実でドラマティックな演奏をする。
☆録音は・・・
チャイコフスキーの祝典序曲「1812年」では本物の大砲の実音を入れて録音した。今でも珍しく語り草になっている。NMLの音源で聴いてみると、全体で15分の曲だが、12分ぐらいに大砲が5連発炸裂する、そして13分ぐらいで多数の鐘が鳴り響き、終局へと突っ走る、それこそ”ど迫力”の祝典序曲に仕上がっている。
☆私見・・・
もう少し早くから知り、この人の演奏を多く聴いておくべきであった。今からでも遅くない・・・。
☆Myライブラリーより・・・
マイ・ディスクを調べてみると次の4枚がある。スメタナ「モルダウ」(コンセルトヘボウ管弦楽団)、ハイドン「オラトリオ四季」(ロイヤルフィル)、ムソルグスキー「展覧会の絵」(ミネアポリス交響楽団)、ワーグナー歌劇「さまよえるオランダ人」(ロイヤル・オペラ・ハウス管)
早速、「展覧会の絵」を聴いてみるが、前半がバイロン・ジャニスによるピアノ演奏版、後半がミネアポリス交響楽団(ミネソタの前身)指揮アンタル・ドラティ。マーキュリーの1959年の録音だがSACDに再編集されており高音質である。演奏はドラマティックな”展覧会の絵”と言える。
by kirakuossan
| 2013-10-15 16:20
| 指揮者100選(完)
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