2013年 10月 10日
民藝運動家の展覧会 |
2013年10月10日(木)
一昨日が寒露だというのに、昨日の糸魚川での猛暑日といい、今日の30℃を越すこの暑さはなんだ。
12日より滋賀県立近代美術館で「柳宗悦展」~暮らしへの眼差し~と題して催される。
柳宗悦(1889~1961)は民藝運動を起こした思想家で、美学者であり、宗教哲学者でもあった。時の影響力のある知識人の一人で幅広い交遊関係はとみに有名である。
彼の著書「民藝とは何か」(講談社学術文庫)で民藝について冒頭の”序”で触れている。
私の信念では、将来造形美の問題は必ずや工藝を中心とするに至ると思うのです。中でも民衆と工藝の関係、言葉を換えれば生活と美との交渉が最も重要な問題となるでしょう。その時民藝が何より重大な意義を齎らすことは疑う余地がないのです。なぜなら人間の日常生活に美を即せしめる道は民藝をおいて他にないのです。その向上と普及とがなくば美の国は決して実現されないでしょう。それに近時地方文化の価値がようやく認識を深めて来ましたが、この場合民藝の意義は一層重要なものとなるでしょう。なぜなら固有の民藝は地方において最もよくその伝統を維持しているからです。日本の独自の国民性を実現するために、民藝はどうあっても繁栄せねばならないのです。<略>
人々は私を訝し気に眺めて問います。「雑器に美しさがあろうか、それは結局粗雑な美しさに過ぎないのだ」、ある者はこう云い棄てるようにさえ見えます。何か私が偏頗な異説を好んでいるようにさえ考えているのです。民藝と云う時、私が何を指しているのかをほとんど了解していないのです。私がその美を力説した時、私は何度次のような愚かな質問を受けたか分りません。「民藝品にだけ美しさがありはしない」と。私が当然払うべき細心な反省は、かつてそんな雑駁な断定を下した場合はないのです。私は実に民藝という字義から筆を起こさねばならない必要に迫られています。民器と云うと「雑なもの」という連想が余りに強いのです。
このことは、今度美術館へ足を運んで、しかと確かめてこようと思う。
柳の母は柔道家で教育者であった嘉納治五郎の姉であり、柳たちは千葉の我孫子に住む。そこで志賀直哉をはじめ、多くの文人が我孫子に終結し、白樺派が興るきっかけともなった。また、外国人陶芸家のバーナード・リーチとの交友も彼にとっては大きな影響を及ぼすこととなる。3人の息子は柳宗理(デザイナー)、柳宗玄(美術史家)、柳宗民(園芸家)といずれも著名で、妻柳兼子は近代日本を代表するアルトの声楽家でもあった。
一昨日が寒露だというのに、昨日の糸魚川での猛暑日といい、今日の30℃を越すこの暑さはなんだ。
12日より滋賀県立近代美術館で「柳宗悦展」~暮らしへの眼差し~と題して催される。
柳宗悦(1889~1961)は民藝運動を起こした思想家で、美学者であり、宗教哲学者でもあった。時の影響力のある知識人の一人で幅広い交遊関係はとみに有名である。
彼の著書「民藝とは何か」(講談社学術文庫)で民藝について冒頭の”序”で触れている。
私の信念では、将来造形美の問題は必ずや工藝を中心とするに至ると思うのです。中でも民衆と工藝の関係、言葉を換えれば生活と美との交渉が最も重要な問題となるでしょう。その時民藝が何より重大な意義を齎らすことは疑う余地がないのです。なぜなら人間の日常生活に美を即せしめる道は民藝をおいて他にないのです。その向上と普及とがなくば美の国は決して実現されないでしょう。それに近時地方文化の価値がようやく認識を深めて来ましたが、この場合民藝の意義は一層重要なものとなるでしょう。なぜなら固有の民藝は地方において最もよくその伝統を維持しているからです。日本の独自の国民性を実現するために、民藝はどうあっても繁栄せねばならないのです。<略>
人々は私を訝し気に眺めて問います。「雑器に美しさがあろうか、それは結局粗雑な美しさに過ぎないのだ」、ある者はこう云い棄てるようにさえ見えます。何か私が偏頗な異説を好んでいるようにさえ考えているのです。民藝と云う時、私が何を指しているのかをほとんど了解していないのです。私がその美を力説した時、私は何度次のような愚かな質問を受けたか分りません。「民藝品にだけ美しさがありはしない」と。私が当然払うべき細心な反省は、かつてそんな雑駁な断定を下した場合はないのです。私は実に民藝という字義から筆を起こさねばならない必要に迫られています。民器と云うと「雑なもの」という連想が余りに強いのです。
このことは、今度美術館へ足を運んで、しかと確かめてこようと思う。
柳の母は柔道家で教育者であった嘉納治五郎の姉であり、柳たちは千葉の我孫子に住む。そこで志賀直哉をはじめ、多くの文人が我孫子に終結し、白樺派が興るきっかけともなった。また、外国人陶芸家のバーナード・リーチとの交友も彼にとっては大きな影響を及ぼすこととなる。3人の息子は柳宗理(デザイナー)、柳宗玄(美術史家)、柳宗民(園芸家)といずれも著名で、妻柳兼子は近代日本を代表するアルトの声楽家でもあった。
by kirakuossan
| 2013-10-10 17:21
| 人
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