2013年 10月 04日
室生犀星という人 -2 犀星ⅳ |
2013年10月4日(金)
室生犀星(1889~1962)のふるさと金沢は、二人の先輩文学者も生んだ。ひとりは泉鏡花(1873~1939)であり、もうひとりは徳田秋聲(1871~1943)である。鏡花は浪漫主義文学のリーダーであり、秋聲は私小説や心境小説で名を遺した。
ふたりとも尾崎紅葉の門下であり、正統派といえるが、犀星はまさしく雑草の如くに這いあがって名を世に出した。
小説「性に眼覚める頃」を書きあげたのは1920年、「愛の詩集」や「抒情小曲集」を発刊した2年後のことである。
主人公(犀星)は、同じ文学を志す友人と出会う。才能がある上に色男で、今で言う”女たらし”であるが、性格は優しくそんな彼に魅かれて行く。そして彼との交際時期を同じくして”性”への芽生えが始まる。
表(友人)は女性にたいしては無雑作であるようでいつも深い計画の底まで見貫く力をもっていることは実際であった。かれは決してきむすめ以外には手出しをしなかったし、生娘なればたいがい大丈夫だとも言っていた。
「駄目な時には初めっから駄目なんだ。向うが少しでもいやな顔をしたり、手を握らせなかったりしたら、どんなに焦っても駄目さ。そんな奴はやめてしまうさ。それになるべく美人の方がやりいいね。」
「なおむつかしいじゃないか。」
私は問い返した。
「きれいな女は二、三度引っかかっていなけりゃ、子供の時分から人に可愛がられているから馴れていてやりよいのさ。」
表は真面目な顔をした。
「そんなもんかなあ――僕はその反対だと思っていたんだ。」
私は表の言葉の中に、本当のところがあるような気がした。
17歳の少年は普段は寂しい寺領の奥の院で過ごすが、その寺に毎日やってくる若くて美しい女に魅かれる。ところが実は彼女は賽銭泥棒であった。なぜあのような美しい女性が悪事を働くのか、葛藤の中にも淡い気持ちが湧き徐々に惹き込まれて行く。
まさか、この美しい娘がわずかなものを掠めとるということも考えられなかった。彼女はもう十九か二十歳に見えたほど大柄で、色の白い脂肪質な皮膚には、一種の光沢をもっていた。その澄んだ大きな目は、ときどき、不安の瞬きをしていた。
私はそのとき彼女の左の手が、まるく盛り上った膝がしらへかけて弓なりになった豊かな肉線の上を、しずかに、おずおずと次第に膝がしらに向って辷ってゆくのを見た。指はみな肥り切って、関節ごとに糸で括ったような美しさを見せていて、ことに、そのなまなましい色の白さが、まるで幾疋かの蚕が這うてゆくように気味悪いまで、内陣の明りをうけて、だんだん膝がしらへ向って行った。彼女の手がその膝がしらと畳との二、三寸の宙を這うようにしておろしかかったとき、彼女は鋭い極度に不安な、掏摸のように烈しくあたりの参詣人の目をさぐって、自分に注意しているものがいないということを見極めると、五本の白い蛇のように宙に這うていた指は、その銅貨の上にそっと弱弱しく寧ろだらりと置かれた。と同時にその手はいきなり引かれて、観音の内陣の明るい燭火に向って合掌された。
次第に寺の者たちが彼女のことを怪しむようになるが、彼は真実を言わずにそのことを伏せるようになり、挙句の果て賽銭箱の金が減ると怪しまれると言う事で自らの小遣いで補てんしてやったりする。ついには住職の金にまで手をつけて補てんするようになる。そんなことを知らない女は毎日のようにやって来ては金をさらえて行く。このままでは自分も駄目になってしまうと考え、ついに、賽銭箱の中に手紙を入れることにする。
彼女はやってきた。そして、もうすっかり馴れた手つきで素早く釘をつっ込むと、錠はあいた。そして箱をしずかにななめに傾けると、一方の錠のあいた方から、銅貨や銀貨がぞろぞろと辷って出た。そのとき、私の入れた手紙が出た。「田中様に」とかいておいたので、彼女は一と目見るなり、さっと顔を赤めた。私はれいの節穴から一心に見詰めていた。恐ろしい好奇心に瞳を燃しながら、彼女の一挙一動を見逃すまいとして――かの女は顔を赤めた瞬間、すぐに稲妻のような迅速な驚愕を目にあらわしながら四辺を見廻した。見るうちに彼女の手や膝頭や、それらの一切の肢体が激しく震えた。彼女はおそるおそる手紙をとると、その瞬間、一種の狡猾な表情と落着きとを現わして、表と裏とを見くらべたりして封を切った。読んだ。その刹那彼女の眼は実に大きく一時にびっくりしたような色をおびた。そして読み終るとすぐさま手紙を懐中へねじ込んで、まるで蹴飛ばされたように急いで雪駄をつっかけると突然駈け出した。寺の門のところでちょっと振りかえって見た。これは本当に二分間もかからなかった間のことである。
私はそのうしろ姿を見ていて、非常に寂しい気がした。私はああするより外仕方がなかったのだ。彼女は驚きと極度の恐怖との中に駈け出したのだ。あれで彼女が正しくなれば私の書いたことはよかったのだ。彼女は怨んでいるにちがいなかろう。これより永く彼女が寺へくることになれば、私も同じ苦しみ盗みの道に踏み迷わなければならないのだ。
私は「なぜああいう美しい顔をして、ああいう汚いことをしなければならないか。」ということを考えたり、また、ああいう手紙をかいたものが私であるということを知っているだろうかなどと考え込んだ。しかし私は自分の持ち物をそっくり棄ててしまったような術ない寂しさに閉されはじめた。
やがて友人の表は掛茶屋の娘お玉と恋愛関係になる。主人公は温かい目で見守るが、二人に考えもしない不幸が訪れる。
ある日、表をたずねると、彼はすこし蒼いむくんだような顔をしていた。
「君、僕はやられたらしい。」と私に言った。
「肺かね。しかし君はからだが丈夫だから何んでもないよ。気のせいだ。」
「そうかなあ――。」
<略>
彼は突然発熱したように上気して、起き直ろうとして言った。
「僕がいけなくなったら君だけは有名になってくれ。僕の分をも二人前活動してくれたまえ。」
私はかれの目をじっと見た。眼は病熱に輝いていた。
「ばかを言え。そのうち快くなったら二人で仕事をしようじゃないか。」
私ははげましたが、友はもう自分を知っていたらしかった。あのような衰えようはこの頑固な友の強い意志をだんだんに挫いた。
しかし彼はまた言った。
「僕が君に力をかしてやるからね。二人分やってくれ。」
「僕は一生懸命にやるよ。君の分もね。十年はやり通しに勉強する。」
私はつい昂奮して叫んだ。
二人は日暮れまでこんな話をしていた。間もなく私はこの友に暇を告げてそとへ出た。そとへ出て私は胸が迫って涙を感じた。秋も半ばすぎにこの友は死んだ。
主人公は、死んだ表がいつか、「お玉さんと交際してくれたまえ。君となら安心できるから。」と言ったことを思い出した。その後、お玉と会うことにした。会うまでには随分に悩んだ。
「わたしこのごろ変な咳をしますの。顔だって随分蒼いでしょう。」
はじめて会ったころよりか、いくらか水気をふくんだような青みを帯びているように思われた。そして私はすぐに表と彼女との関係が目まぐるしいほどの迅さで、二つの脣の結ぼれているさまを目にうかべた。あの美しい詩のような心でながめた二人を、これまでいちども感じなかった或る汚なさを交えて考えるようになって、妬みまでが烈しくずきずきと加わって行った。いま此処にこうした真面目な顔をして話をしていながら、いろいろな形を亡き友に開いて見せたかと思うと、あの執拗な病気がすっかり彼女の胸にくい入っていることも当然のように思えるし、また何かしら可憐な気をも起させてくるのであった。
そして数日後再びお玉さんを訪ねた。
「お玉さんは。」と言うと母親は私のそばへ寄るようにして、
「実は先日からすこし加減をわるくして寝んでいますので……」
私はぎっくりした。
<略>
あの小さい少女らしい可憐な肉体が、しずかに家に横臥えられていることを考えると、やはり表のように、とても永くないような気がした。私はじっと噴水のたえまなく上るのを見ながら沈んだ心になって、公園の坂を下りて行った。
「わたしこのごろ死ぬような気がしますの。」
この間云っていたその言葉が、真実にいま彼女の上に働きかけていることを感じた。
室生犀星(1889~1962)のふるさと金沢は、二人の先輩文学者も生んだ。ひとりは泉鏡花(1873~1939)であり、もうひとりは徳田秋聲(1871~1943)である。鏡花は浪漫主義文学のリーダーであり、秋聲は私小説や心境小説で名を遺した。
ふたりとも尾崎紅葉の門下であり、正統派といえるが、犀星はまさしく雑草の如くに這いあがって名を世に出した。
小説「性に眼覚める頃」を書きあげたのは1920年、「愛の詩集」や「抒情小曲集」を発刊した2年後のことである。
主人公(犀星)は、同じ文学を志す友人と出会う。才能がある上に色男で、今で言う”女たらし”であるが、性格は優しくそんな彼に魅かれて行く。そして彼との交際時期を同じくして”性”への芽生えが始まる。
表(友人)は女性にたいしては無雑作であるようでいつも深い計画の底まで見貫く力をもっていることは実際であった。かれは決してきむすめ以外には手出しをしなかったし、生娘なればたいがい大丈夫だとも言っていた。
「駄目な時には初めっから駄目なんだ。向うが少しでもいやな顔をしたり、手を握らせなかったりしたら、どんなに焦っても駄目さ。そんな奴はやめてしまうさ。それになるべく美人の方がやりいいね。」
「なおむつかしいじゃないか。」
私は問い返した。
「きれいな女は二、三度引っかかっていなけりゃ、子供の時分から人に可愛がられているから馴れていてやりよいのさ。」
表は真面目な顔をした。
「そんなもんかなあ――僕はその反対だと思っていたんだ。」
私は表の言葉の中に、本当のところがあるような気がした。
17歳の少年は普段は寂しい寺領の奥の院で過ごすが、その寺に毎日やってくる若くて美しい女に魅かれる。ところが実は彼女は賽銭泥棒であった。なぜあのような美しい女性が悪事を働くのか、葛藤の中にも淡い気持ちが湧き徐々に惹き込まれて行く。
まさか、この美しい娘がわずかなものを掠めとるということも考えられなかった。彼女はもう十九か二十歳に見えたほど大柄で、色の白い脂肪質な皮膚には、一種の光沢をもっていた。その澄んだ大きな目は、ときどき、不安の瞬きをしていた。
私はそのとき彼女の左の手が、まるく盛り上った膝がしらへかけて弓なりになった豊かな肉線の上を、しずかに、おずおずと次第に膝がしらに向って辷ってゆくのを見た。指はみな肥り切って、関節ごとに糸で括ったような美しさを見せていて、ことに、そのなまなましい色の白さが、まるで幾疋かの蚕が這うてゆくように気味悪いまで、内陣の明りをうけて、だんだん膝がしらへ向って行った。彼女の手がその膝がしらと畳との二、三寸の宙を這うようにしておろしかかったとき、彼女は鋭い極度に不安な、掏摸のように烈しくあたりの参詣人の目をさぐって、自分に注意しているものがいないということを見極めると、五本の白い蛇のように宙に這うていた指は、その銅貨の上にそっと弱弱しく寧ろだらりと置かれた。と同時にその手はいきなり引かれて、観音の内陣の明るい燭火に向って合掌された。
次第に寺の者たちが彼女のことを怪しむようになるが、彼は真実を言わずにそのことを伏せるようになり、挙句の果て賽銭箱の金が減ると怪しまれると言う事で自らの小遣いで補てんしてやったりする。ついには住職の金にまで手をつけて補てんするようになる。そんなことを知らない女は毎日のようにやって来ては金をさらえて行く。このままでは自分も駄目になってしまうと考え、ついに、賽銭箱の中に手紙を入れることにする。
彼女はやってきた。そして、もうすっかり馴れた手つきで素早く釘をつっ込むと、錠はあいた。そして箱をしずかにななめに傾けると、一方の錠のあいた方から、銅貨や銀貨がぞろぞろと辷って出た。そのとき、私の入れた手紙が出た。「田中様に」とかいておいたので、彼女は一と目見るなり、さっと顔を赤めた。私はれいの節穴から一心に見詰めていた。恐ろしい好奇心に瞳を燃しながら、彼女の一挙一動を見逃すまいとして――かの女は顔を赤めた瞬間、すぐに稲妻のような迅速な驚愕を目にあらわしながら四辺を見廻した。見るうちに彼女の手や膝頭や、それらの一切の肢体が激しく震えた。彼女はおそるおそる手紙をとると、その瞬間、一種の狡猾な表情と落着きとを現わして、表と裏とを見くらべたりして封を切った。読んだ。その刹那彼女の眼は実に大きく一時にびっくりしたような色をおびた。そして読み終るとすぐさま手紙を懐中へねじ込んで、まるで蹴飛ばされたように急いで雪駄をつっかけると突然駈け出した。寺の門のところでちょっと振りかえって見た。これは本当に二分間もかからなかった間のことである。
私はそのうしろ姿を見ていて、非常に寂しい気がした。私はああするより外仕方がなかったのだ。彼女は驚きと極度の恐怖との中に駈け出したのだ。あれで彼女が正しくなれば私の書いたことはよかったのだ。彼女は怨んでいるにちがいなかろう。これより永く彼女が寺へくることになれば、私も同じ苦しみ盗みの道に踏み迷わなければならないのだ。
私は「なぜああいう美しい顔をして、ああいう汚いことをしなければならないか。」ということを考えたり、また、ああいう手紙をかいたものが私であるということを知っているだろうかなどと考え込んだ。しかし私は自分の持ち物をそっくり棄ててしまったような術ない寂しさに閉されはじめた。
やがて友人の表は掛茶屋の娘お玉と恋愛関係になる。主人公は温かい目で見守るが、二人に考えもしない不幸が訪れる。
ある日、表をたずねると、彼はすこし蒼いむくんだような顔をしていた。
「君、僕はやられたらしい。」と私に言った。
「肺かね。しかし君はからだが丈夫だから何んでもないよ。気のせいだ。」
「そうかなあ――。」
<略>
彼は突然発熱したように上気して、起き直ろうとして言った。
「僕がいけなくなったら君だけは有名になってくれ。僕の分をも二人前活動してくれたまえ。」
私はかれの目をじっと見た。眼は病熱に輝いていた。
「ばかを言え。そのうち快くなったら二人で仕事をしようじゃないか。」
私ははげましたが、友はもう自分を知っていたらしかった。あのような衰えようはこの頑固な友の強い意志をだんだんに挫いた。
しかし彼はまた言った。
「僕が君に力をかしてやるからね。二人分やってくれ。」
「僕は一生懸命にやるよ。君の分もね。十年はやり通しに勉強する。」
私はつい昂奮して叫んだ。
二人は日暮れまでこんな話をしていた。間もなく私はこの友に暇を告げてそとへ出た。そとへ出て私は胸が迫って涙を感じた。秋も半ばすぎにこの友は死んだ。
主人公は、死んだ表がいつか、「お玉さんと交際してくれたまえ。君となら安心できるから。」と言ったことを思い出した。その後、お玉と会うことにした。会うまでには随分に悩んだ。
「わたしこのごろ変な咳をしますの。顔だって随分蒼いでしょう。」
はじめて会ったころよりか、いくらか水気をふくんだような青みを帯びているように思われた。そして私はすぐに表と彼女との関係が目まぐるしいほどの迅さで、二つの脣の結ぼれているさまを目にうかべた。あの美しい詩のような心でながめた二人を、これまでいちども感じなかった或る汚なさを交えて考えるようになって、妬みまでが烈しくずきずきと加わって行った。いま此処にこうした真面目な顔をして話をしていながら、いろいろな形を亡き友に開いて見せたかと思うと、あの執拗な病気がすっかり彼女の胸にくい入っていることも当然のように思えるし、また何かしら可憐な気をも起させてくるのであった。
そして数日後再びお玉さんを訪ねた。
「お玉さんは。」と言うと母親は私のそばへ寄るようにして、
「実は先日からすこし加減をわるくして寝んでいますので……」
私はぎっくりした。
<略>
あの小さい少女らしい可憐な肉体が、しずかに家に横臥えられていることを考えると、やはり表のように、とても永くないような気がした。私はじっと噴水のたえまなく上るのを見ながら沈んだ心になって、公園の坂を下りて行った。
「わたしこのごろ死ぬような気がしますの。」
この間云っていたその言葉が、真実にいま彼女の上に働きかけていることを感じた。
by kirakuossan
| 2013-10-04 13:37
| 文芸
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