2013年 09月 29日
大磯の旧吉田茂邸宅を訪ねて |
2013年9月29日(日)
運動会の会場から自転車で20分、旧吉田茂邸宅に。
昭和42年89歳で吉田茂が亡くなるまでこの大磯の邸宅で過ごした。2009年の火事で建物は全壊したが、立派な庭園はこうして残り、見学が出来るようになっている。このあたりは国道1号線をはさんで南北に小高い丘があるが、城山公園と言って地元の人たちに開放されている。ちょうどそのあいだのむこう彼方に富士山が顔を出した。(2013年9月28日午後)
入口の「兜門」。日米講和条約を記念して建てられたので、講和条約門ともいう。
明治時代に養父吉田健三が神奈川県大磯町に建てた別荘を、戦後に住宅に建てかえたもの。没後は、大磯プリンスホテル別館として利用されていた。しかし近年、西武は経営難から売却先を探していたが、地元住民から保存運動が広がり、2012年からは神奈川県の管理下、県立公園として一般公開されることが決まった。しかしその矢先の2009年3月22日に漏電が原因とみられる火災で、総ひのき造りの本邸が全焼、数多くの歴史的調度品や家財道具も灰となった。なぜか広い日本庭園で、3本の鮮やかな彼岸花がとても印象的だった。 邸宅内にある「七賢堂」には、岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允、伊藤博文、西園寺公望、吉田茂の7人が祀られている。
旧吉田茂邸宅の庭園は入場無料で一般公開されていて、邸宅は2016年に再建されると言う。
また、大磯駅の方へ戻ってくると、同じ国道1号線沿いに「新島襄の終焉地」の碑が建っている。
運動会の会場から自転車で20分、旧吉田茂邸宅に。
昭和42年89歳で吉田茂が亡くなるまでこの大磯の邸宅で過ごした。2009年の火事で建物は全壊したが、立派な庭園はこうして残り、見学が出来るようになっている。このあたりは国道1号線をはさんで南北に小高い丘があるが、城山公園と言って地元の人たちに開放されている。ちょうどそのあいだのむこう彼方に富士山が顔を出した。(2013年9月28日午後)
旧吉田茂邸宅の庭園は入場無料で一般公開されていて、邸宅は2016年に再建されると言う。
また、大磯駅の方へ戻ってくると、同じ国道1号線沿いに「新島襄の終焉地」の碑が建っている。
by kirakuossan
| 2013-09-29 19:26
| 新日本紀行
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