2013年 09月 12日
指揮者100選☆43 セル |
2013年9月12日(木)
2020年東京五輪が決まったが、2020年から遡ること50年、1970年には大阪で万国博覧会が開催された。国民の半分以上が見に行ったとされた一大イベントだった。月の石を一目見ようとアメリカ館に1600万人が詰めかけた。入場するのに長蛇の列だが、それでも気長に並んで待ったものだ。一番多かったのはソ連館で2800万人、そこへ入ったかどうかは忘れてしまったが、とにかく日本国民がわれもわれもとかけつけた半年間であった。ちょうどこの時、今でも語り草になっているが世界各国から一流のオーケストラが多数やって来て、素晴らしい演奏を繰り広げた。
ベルリン・ドイツ・オペラ/オイゲン・ヨッフム、ロリン・マゼールほか
ワルシャワー・フィルハーモニー/ヴィトルト・ロヴィツキ
パリ管弦楽団/ジョルジュ・プレートル、セルジュ・ボド
ベルリン・フィルハーモニー/ヘルベルト・フォン・カラヤン
クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル、/ピエール・ブーレーズ
モントリオール交響楽団/フランツ・パウル・デッカー
レニングラード・フィルハーモニー/アルヴィド・ヤンソンス、アレクサンドル・ドミトリエフ
フィルハーモニア管弦楽団/ジョン・プリッチャード、エドワード・ダウンズ
ボリショイ歌劇場/ユーリ・シモノフ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ゲンナジ・ロジェストヴェンスキーほか
ニューヨーク・フィルハーモニー/レナード・バーンスタイン、小澤征爾
ドイツ、フランス、ポーランド、アメリカ、カナダ、そしてソ連から・・・夢のような出来事だった。この時はクラシック音楽に魅入られる前夜のことで、演奏会に行ったこともないし、知識もうっすらであった。今から考えれば残念で残念で仕方ない。ベルリンもクルーヴランドもレニングラード、ニューヨークもみんなこの来日から5~6年してから生演奏に触れる機会に出会った。
ここでのヤンソンスはマリス・ヤンソンスのお父さんであるし、現代の巨匠であるロリン・マゼールやピエール・ブーレーズ、小澤征爾が2番手指揮者として来日しているのも感慨深いものがある。
「セル来りて、永遠に去る・・・。伝説として語り継がれるただ一度の来日公演」と今も評されるひとりの大指揮者がこの時初めて日本にやって来た。ジョージ・セル(George Szell 、ハンガリー1897~1970)である。オーケストラのクリーヴランド管弦楽団も初来日であった。
セルは1970年5月15日大阪・フェスティバルホールの公演を皮切りに、翌16日大阪、そして京都で20日に、翌日名古屋へ出向き、22、23日と東京で、そして25日には札幌へ、翌日には東京へとんぼ帰りして最終公演を行った。同じく5月にやって来たカラヤン/ベルリン・フィルが前日の14日まで大阪で6公演行ったが、それよりも人気が高く、極めて高い評価を受けて多くの聴衆に感銘を与えた。そして帰国後、2か月わずかで突然信じられない悲報が入って来る、「セル、急逝する」の知らせであった。
☆演奏スタイルは・・・
1946年、ラインスドルフの後任としてクリーヴランド管弦楽団の常任指揮者に就任し、亡くなる70年まで25年間にわたり君臨した。アルトゥール・ロジンスキが鍛えたものの決して一流とは言えなかったこの楽団をさらに鍛えに鍛え抜いて、全米の「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる第一級のオーケストラのひとつとまでに仕立て上げた。その演奏はひと言、「完璧主義」である。
余談だが、カラヤンはセルを非常に尊敬していた。しかし実際に顔をあわせると身長の差が 10cm以上もあってカラヤンは緊張し、セルがカラヤンに意見を求めてもカラヤンは「はい、マエストロ」と小声で言うのが精一杯だったという。
☆録音は・・・
SONYでの音源は多数に上る。レパートリーは広く、ほぼ全作曲家に及ぶ。「完璧主義」が前面に出て、セルの演奏は完璧だが冷たい、とよくいわれるが彼の演奏をじっくり聴きなおすとそうでないことがよく理解できる。
☆私見・・・
万博公演のときは恐らくセル自身、病が進んでいることを察知していたのだろう。完璧主義者という点でも共通点を持つピエール・ブーレーズが同行し、3回公演を受け持ったが、いざという時は代役も考えていたのだろう。そんな中、彼は、札幌まで飛ぶなどして日本各地で8公演をエネルギッシュにこなした。日本での最初で最後のファンサービスであった(あくまで憶測だが・・・)
☆Myライブラリーより・・・
この万博記念公演での演奏会ライヴが一番好きだ。音質が信じられないぐらい素晴らしいもので臨場感を満喫できる。それに拍手の音がこれほど綺麗に収録されているディスクも珍しい。拍手音が入っていることによって、当時の演奏会の様子がより生々しく聴き取れるものである。それにしても整然とした真面目な礼儀正しい拍手のことよ。
この演奏会のプログラムは、来日初日の大阪、札幌、そしてこの22日の東京公演と3回行われた。とくにシベリウスは恐らくセルにとっても最良の演奏であったことだろう。ディスク表紙の、女の子と仲睦まじく手をつないでいる笑顔が印象的である。
1970年5月22日東京文化会館でのライヴ
ウェーバー:「オベロン」序曲
モーツァルト :交響曲第40番ト短調K550
シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43
ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団
2020年東京五輪が決まったが、2020年から遡ること50年、1970年には大阪で万国博覧会が開催された。国民の半分以上が見に行ったとされた一大イベントだった。月の石を一目見ようとアメリカ館に1600万人が詰めかけた。入場するのに長蛇の列だが、それでも気長に並んで待ったものだ。一番多かったのはソ連館で2800万人、そこへ入ったかどうかは忘れてしまったが、とにかく日本国民がわれもわれもとかけつけた半年間であった。ちょうどこの時、今でも語り草になっているが世界各国から一流のオーケストラが多数やって来て、素晴らしい演奏を繰り広げた。
ベルリン・ドイツ・オペラ/オイゲン・ヨッフム、ロリン・マゼールほか
ワルシャワー・フィルハーモニー/ヴィトルト・ロヴィツキ
パリ管弦楽団/ジョルジュ・プレートル、セルジュ・ボド
ベルリン・フィルハーモニー/ヘルベルト・フォン・カラヤン
クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル、/ピエール・ブーレーズ
モントリオール交響楽団/フランツ・パウル・デッカー
レニングラード・フィルハーモニー/アルヴィド・ヤンソンス、アレクサンドル・ドミトリエフ
フィルハーモニア管弦楽団/ジョン・プリッチャード、エドワード・ダウンズ
ボリショイ歌劇場/ユーリ・シモノフ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ゲンナジ・ロジェストヴェンスキーほか
ニューヨーク・フィルハーモニー/レナード・バーンスタイン、小澤征爾
ドイツ、フランス、ポーランド、アメリカ、カナダ、そしてソ連から・・・夢のような出来事だった。この時はクラシック音楽に魅入られる前夜のことで、演奏会に行ったこともないし、知識もうっすらであった。今から考えれば残念で残念で仕方ない。ベルリンもクルーヴランドもレニングラード、ニューヨークもみんなこの来日から5~6年してから生演奏に触れる機会に出会った。
ここでのヤンソンスはマリス・ヤンソンスのお父さんであるし、現代の巨匠であるロリン・マゼールやピエール・ブーレーズ、小澤征爾が2番手指揮者として来日しているのも感慨深いものがある。
「セル来りて、永遠に去る・・・。伝説として語り継がれるただ一度の来日公演」と今も評されるひとりの大指揮者がこの時初めて日本にやって来た。ジョージ・セル(George Szell 、ハンガリー1897~1970)である。オーケストラのクリーヴランド管弦楽団も初来日であった。
セルは1970年5月15日大阪・フェスティバルホールの公演を皮切りに、翌16日大阪、そして京都で20日に、翌日名古屋へ出向き、22、23日と東京で、そして25日には札幌へ、翌日には東京へとんぼ帰りして最終公演を行った。同じく5月にやって来たカラヤン/ベルリン・フィルが前日の14日まで大阪で6公演行ったが、それよりも人気が高く、極めて高い評価を受けて多くの聴衆に感銘を与えた。そして帰国後、2か月わずかで突然信じられない悲報が入って来る、「セル、急逝する」の知らせであった。
☆演奏スタイルは・・・
1946年、ラインスドルフの後任としてクリーヴランド管弦楽団の常任指揮者に就任し、亡くなる70年まで25年間にわたり君臨した。アルトゥール・ロジンスキが鍛えたものの決して一流とは言えなかったこの楽団をさらに鍛えに鍛え抜いて、全米の「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる第一級のオーケストラのひとつとまでに仕立て上げた。その演奏はひと言、「完璧主義」である。
余談だが、カラヤンはセルを非常に尊敬していた。しかし実際に顔をあわせると身長の差が 10cm以上もあってカラヤンは緊張し、セルがカラヤンに意見を求めてもカラヤンは「はい、マエストロ」と小声で言うのが精一杯だったという。
☆録音は・・・
SONYでの音源は多数に上る。レパートリーは広く、ほぼ全作曲家に及ぶ。「完璧主義」が前面に出て、セルの演奏は完璧だが冷たい、とよくいわれるが彼の演奏をじっくり聴きなおすとそうでないことがよく理解できる。
☆私見・・・
万博公演のときは恐らくセル自身、病が進んでいることを察知していたのだろう。完璧主義者という点でも共通点を持つピエール・ブーレーズが同行し、3回公演を受け持ったが、いざという時は代役も考えていたのだろう。そんな中、彼は、札幌まで飛ぶなどして日本各地で8公演をエネルギッシュにこなした。日本での最初で最後のファンサービスであった(あくまで憶測だが・・・)
☆Myライブラリーより・・・
この万博記念公演での演奏会ライヴが一番好きだ。音質が信じられないぐらい素晴らしいもので臨場感を満喫できる。それに拍手の音がこれほど綺麗に収録されているディスクも珍しい。拍手音が入っていることによって、当時の演奏会の様子がより生々しく聴き取れるものである。それにしても整然とした真面目な礼儀正しい拍手のことよ。
この演奏会のプログラムは、来日初日の大阪、札幌、そしてこの22日の東京公演と3回行われた。とくにシベリウスは恐らくセルにとっても最良の演奏であったことだろう。ディスク表紙の、女の子と仲睦まじく手をつないでいる笑顔が印象的である。
1970年5月22日東京文化会館でのライヴ
ウェーバー:「オベロン」序曲
モーツァルト :交響曲第40番ト短調K550
シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43
ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団
by kirakuossan
| 2013-09-12 07:07
| 指揮者100選(完)
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