2013年 09月 02日
『三教指帰』 |
2013年9月2日(月)
『梅原猛の授業 仏教』(梅原猛著/朝日文庫)と言う本が楽しめる。もとは京都の真言宗系の洛南中学校での仏教の授業のためにかかれたような本なので、平易な語り口調で読み易い。中身は仏教や宗教のあらましを説明したものであるが、知識の少ない者にとっては結構濃い中身で、しかも要点を掴んだ内容なのでたいへんに勉強になる。
第八時限「空海」の項で、まず仏像の話になり・・・
まず如来。如来というのは仏さま、悟りを開いた人間です。次が菩薩。菩薩というのは、これから悟りをひらく、いわば如来の候補者ですね。それから明王。これは如来や菩薩を守る仏です。最後に天部という仏さまがありますが、これは多くは仏教以前のバラモン教の神様が仏教のなかにはいったものです。
如来から順番に種類ごとに説明して行くが、明王になって・・・
明王は、日本では圧倒的に不動明王の信仰が盛んです。如来や菩薩を守る仏なので、たいへんこわい顔をしています。
<略>
この不動さんが平安時代に崇拝されまして、将門の乱、これは朝廷をひっくり返すような大事件ですが、そのときに高雄の神護寺の不動さんが乱を平定するために関東に行ったんです。そして見事に平定したんだけれども、不動さんは、わしはもう帰るのいやじゃ、関東にいたいとおっしゃった。それで関東に住みついちゃったのが、いまの成田の不動さんです。<略>
関東では、不動信仰が強い。関西はどちらかというと観音さまの信仰のほうが盛んです。観音さんはやさしい、苦しんでいる人を救う仏さんですが、不動さんは外の悪い奴と内の煩悩を退治する厳しい仏さんです。関東人の荒々しい気性が不動さんに合ったんでしょうか。
そして空海の話に入る。
空海の始めた仏教は密教と言いましたけれども、仏教には顕教と密教とがあります。顕教というのは、真理があらわになっている仏教をいいます。しかし本当の真理は深く隠れている。それを明らかにする仏教を密教といいます。それゆえ真言密教以外の仏教をすべて顕教と呼ぶのです。真言宗だけでなく、のちに天台宗まで密教化しまして、天台宗の密教を台密(たいみつ)、真言宗の密教を東寺密教ですから東密(とうみつ)と言います。
空海(774~835)は香川の讃岐・善通寺の出であるが、18歳から勉学に励むが途中10年近く放浪する。そのあと30歳で留学僧として唐に渡る。そのとき最澄も行くが、彼は身分も高く2年で帰ることができる還学生であったが、空海は20年間帰れないこととなっていた。ところが僅か2年で、多くの経典をもち帰って帰国した。長期滞在を破った罪を許してもらおうと空海は「御請来目録」を提出する。ところがこれが実に名文なのだ。肝胆相照らす仲となる嵯峨天皇とは、互いに詩と書に長けたので、天皇は空海を高く買い、都の東西の国家鎮護の寺の東寺を彼に任せることとなる。だから、空海の本拠地は、東寺と高野山の二つとなる。密教の悟りは山で行い、密教を広めるのは都で、ということとなる。
もともと彼は若いときから名文家で通っていて、唐の役人も空海の文章の立派さに敬服したという。
二十三歳ぐらいで書いた『三教指帰(さんごうしいき)』という書物がありますが、これがまたすばらしい文章です。儒教と道教と仏教と三つを対比させまして、やはり仏教がよろしいという論で、なぜ自分が僧になったのかをも弁明した本です。この書物は見事な戯曲的な構成をもっていて、空海の芸術的才能が並みのものではないことを示している。
またひとつ、読むのはかなわなくても、見てみたい書物にぶち当たった。
『梅原猛の授業 仏教』(梅原猛著/朝日文庫)と言う本が楽しめる。もとは京都の真言宗系の洛南中学校での仏教の授業のためにかかれたような本なので、平易な語り口調で読み易い。中身は仏教や宗教のあらましを説明したものであるが、知識の少ない者にとっては結構濃い中身で、しかも要点を掴んだ内容なのでたいへんに勉強になる。
第八時限「空海」の項で、まず仏像の話になり・・・
まず如来。如来というのは仏さま、悟りを開いた人間です。次が菩薩。菩薩というのは、これから悟りをひらく、いわば如来の候補者ですね。それから明王。これは如来や菩薩を守る仏です。最後に天部という仏さまがありますが、これは多くは仏教以前のバラモン教の神様が仏教のなかにはいったものです。
如来から順番に種類ごとに説明して行くが、明王になって・・・
明王は、日本では圧倒的に不動明王の信仰が盛んです。如来や菩薩を守る仏なので、たいへんこわい顔をしています。
<略>
この不動さんが平安時代に崇拝されまして、将門の乱、これは朝廷をひっくり返すような大事件ですが、そのときに高雄の神護寺の不動さんが乱を平定するために関東に行ったんです。そして見事に平定したんだけれども、不動さんは、わしはもう帰るのいやじゃ、関東にいたいとおっしゃった。それで関東に住みついちゃったのが、いまの成田の不動さんです。<略>
関東では、不動信仰が強い。関西はどちらかというと観音さまの信仰のほうが盛んです。観音さんはやさしい、苦しんでいる人を救う仏さんですが、不動さんは外の悪い奴と内の煩悩を退治する厳しい仏さんです。関東人の荒々しい気性が不動さんに合ったんでしょうか。
そして空海の話に入る。
空海の始めた仏教は密教と言いましたけれども、仏教には顕教と密教とがあります。顕教というのは、真理があらわになっている仏教をいいます。しかし本当の真理は深く隠れている。それを明らかにする仏教を密教といいます。それゆえ真言密教以外の仏教をすべて顕教と呼ぶのです。真言宗だけでなく、のちに天台宗まで密教化しまして、天台宗の密教を台密(たいみつ)、真言宗の密教を東寺密教ですから東密(とうみつ)と言います。
空海(774~835)は香川の讃岐・善通寺の出であるが、18歳から勉学に励むが途中10年近く放浪する。そのあと30歳で留学僧として唐に渡る。そのとき最澄も行くが、彼は身分も高く2年で帰ることができる還学生であったが、空海は20年間帰れないこととなっていた。ところが僅か2年で、多くの経典をもち帰って帰国した。長期滞在を破った罪を許してもらおうと空海は「御請来目録」を提出する。ところがこれが実に名文なのだ。肝胆相照らす仲となる嵯峨天皇とは、互いに詩と書に長けたので、天皇は空海を高く買い、都の東西の国家鎮護の寺の東寺を彼に任せることとなる。だから、空海の本拠地は、東寺と高野山の二つとなる。密教の悟りは山で行い、密教を広めるのは都で、ということとなる。
もともと彼は若いときから名文家で通っていて、唐の役人も空海の文章の立派さに敬服したという。
二十三歳ぐらいで書いた『三教指帰(さんごうしいき)』という書物がありますが、これがまたすばらしい文章です。儒教と道教と仏教と三つを対比させまして、やはり仏教がよろしいという論で、なぜ自分が僧になったのかをも弁明した本です。この書物は見事な戯曲的な構成をもっていて、空海の芸術的才能が並みのものではないことを示している。
またひとつ、読むのはかなわなくても、見てみたい書物にぶち当たった。
by kirakuossan
| 2013-09-02 21:54
| 文芸
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