2013年 06月 28日
必ずや開花するであろうピアニスト ヤン・リシェツキ |
2013年6月28日(金)
さりげない曲を、いともさりげなく弾くということは案外難しいことと思う。バッハの平均律は特別の意味合いがあるにしても、ショパンの練習曲や特長の少ないメンデルスゾーンのピアノ曲については、少なくとも聞く方の側からすれば”さりげない曲”の部類に入るだろう。今朝BSでやっていたヤン・リシェツキのピアノ・リサイタルを聴いていてまさしくそんな思いがした。
ヤン・リシェツキは1995年カナダ生まれの弱冠18歳の若手ピアニスト。もうすでにパリ管など100を越えるオーケストラとの協演をはたすなど、今世界でもっとも注目を浴びているピアニストの一人である。
最初に驚いたのは、番組のインタヴューでの彼の返答だ。今日のプログラムへのこだわりや思いとは何かと問われて・・・
「僕はクラシック音楽の土台であるバッハの作品からコンサートを始めるのが好きです」
「私たちが親しみ深い作曲家たちもバッハの作品を愛していました」
「作曲家のつながりに注目して選曲するのが好きです。常にそうしたアイデアを持つようにしています」
「今回はバッハから始め、彼を敬愛していたメンデルスゾーン、ショパンの作品を演奏します」
「演奏会を通しての大きな流れや共通の感覚を感じていただけたらと思います」
なかなかこれだけのことは言えない。これだけのことを系統立てて、しかもこの10代の若きピアニストが落ち着いた口調で語るのには唖然とした。このセリフは考えようによれば、老成した大家が話すような言葉に思ったからである。
ところで今日の演奏だが、一言で言って物足りなかった。若手ピアニストの演奏を聴いていると、元気いっぱいはちきれんばかりの演奏をするか、または、内に秘めた若さに似合わぬ憂いを込めた演奏をするか、両方のタイプがある。彼の場合は、インタヴューの時に感じた通りで、完全に後者に属する。内に秘めた演奏が、まだ彼自身の中だけに閉じ込められた、といった印象を受けた。この内包された音楽性が、それこそ聴く者にまで届き、その心を開けさせてくれるようになってきたら本物になるだろう。今日の演奏は確かに物足りないものだったが、必ずやいつか開花するであろうことに期待が持てるピアニストには違いなかった。
(放送の中で演奏終了後に、とにかく何でも、すぐさま「ブラボー!」と叫ぶ人の声も聞えたが・・・?)
いつも吉田秀和氏が執筆していた月刊雑誌「レコード芸術」で、昨年6月号の”之を楽しむ者に如かず”がまさに絶筆であったと思われるが、その中で原稿の最後はこんな記事であった。
さっぱりしていて―おもしろくて―それでいて、空白を感じさせるわけでもない。こういう種類の好感を持てるピアニストとして、何日か前にもヤン・リシェツキというカナダのピアニストをきいた。カナダ人といってもポーランド系の人だそうだ。その人がモーツアルトのピアノ協奏曲の第二〇番二短調と第二一番ハ長調のソロをひいている。これまた癖のない、きれいなピアノ。モーツアルト・ポーランド・カナダ―
で文は終わっている。
まさに絶筆の、終結の文節である。”音楽”から去っていく者からこれからの”音楽”を背負う人へのバトンタッチのような気がした。
BS収録演奏曲目
バッハ:平均律クラヴィール曲集 第2巻から第14番
メンデルスゾーン:厳格な変奏曲二短調op54
ショパン:練習曲集op25
ヤン・リシェツキ(ピアノ)
2011.10.28 東京オペラシティー・コンサートホール
さりげない曲を、いともさりげなく弾くということは案外難しいことと思う。バッハの平均律は特別の意味合いがあるにしても、ショパンの練習曲や特長の少ないメンデルスゾーンのピアノ曲については、少なくとも聞く方の側からすれば”さりげない曲”の部類に入るだろう。今朝BSでやっていたヤン・リシェツキのピアノ・リサイタルを聴いていてまさしくそんな思いがした。
ヤン・リシェツキは1995年カナダ生まれの弱冠18歳の若手ピアニスト。もうすでにパリ管など100を越えるオーケストラとの協演をはたすなど、今世界でもっとも注目を浴びているピアニストの一人である。
最初に驚いたのは、番組のインタヴューでの彼の返答だ。今日のプログラムへのこだわりや思いとは何かと問われて・・・
「僕はクラシック音楽の土台であるバッハの作品からコンサートを始めるのが好きです」
「私たちが親しみ深い作曲家たちもバッハの作品を愛していました」
「作曲家のつながりに注目して選曲するのが好きです。常にそうしたアイデアを持つようにしています」
「今回はバッハから始め、彼を敬愛していたメンデルスゾーン、ショパンの作品を演奏します」
「演奏会を通しての大きな流れや共通の感覚を感じていただけたらと思います」
なかなかこれだけのことは言えない。これだけのことを系統立てて、しかもこの10代の若きピアニストが落ち着いた口調で語るのには唖然とした。このセリフは考えようによれば、老成した大家が話すような言葉に思ったからである。
ところで今日の演奏だが、一言で言って物足りなかった。若手ピアニストの演奏を聴いていると、元気いっぱいはちきれんばかりの演奏をするか、または、内に秘めた若さに似合わぬ憂いを込めた演奏をするか、両方のタイプがある。彼の場合は、インタヴューの時に感じた通りで、完全に後者に属する。内に秘めた演奏が、まだ彼自身の中だけに閉じ込められた、といった印象を受けた。この内包された音楽性が、それこそ聴く者にまで届き、その心を開けさせてくれるようになってきたら本物になるだろう。今日の演奏は確かに物足りないものだったが、必ずやいつか開花するであろうことに期待が持てるピアニストには違いなかった。
(放送の中で演奏終了後に、とにかく何でも、すぐさま「ブラボー!」と叫ぶ人の声も聞えたが・・・?)
いつも吉田秀和氏が執筆していた月刊雑誌「レコード芸術」で、昨年6月号の”之を楽しむ者に如かず”がまさに絶筆であったと思われるが、その中で原稿の最後はこんな記事であった。
さっぱりしていて―おもしろくて―それでいて、空白を感じさせるわけでもない。こういう種類の好感を持てるピアニストとして、何日か前にもヤン・リシェツキというカナダのピアニストをきいた。カナダ人といってもポーランド系の人だそうだ。その人がモーツアルトのピアノ協奏曲の第二〇番二短調と第二一番ハ長調のソロをひいている。これまた癖のない、きれいなピアノ。モーツアルト・ポーランド・カナダ―
で文は終わっている。
まさに絶筆の、終結の文節である。”音楽”から去っていく者からこれからの”音楽”を背負う人へのバトンタッチのような気がした。
BS収録演奏曲目
バッハ:平均律クラヴィール曲集 第2巻から第14番
メンデルスゾーン:厳格な変奏曲二短調op54
ショパン:練習曲集op25
ヤン・リシェツキ(ピアノ)
2011.10.28 東京オペラシティー・コンサートホール
by kirakuossan
| 2013-06-28 07:57
| クラシック
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