ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

保田與重郎という人 その1

2013年6月8日(土)

保田與重郎とはじめて会ったのは、阿佐谷の桑畠の中の、中谷孝雄氏の仮住居ではなかったろうか。おそらく、昭和九年の春である。一見して、容易ならぬ大才であることを直覚した。彼は教唆者であると同時にまた、天威の知慧を持った指導者である。一世を教導するにふさわしい指導者であって、この一点でも、おそらく、芭蕉に比肩出来ると私は堅く信じている。
~壇一雄(作家)天稟の藝術家


d0170835_1639342.jpg終戦後は、保田さんの著書も見られなくなり、寂しかったが最近保田さんの書かれたものを読めるようになったのは歴史の流れと年月の厚みであろう。「保田與重郎君によって、僕は初めて文学の高貴性といふものを教はった。小説は勿論のこと、評論家とか思想家とかいふ連中も、日本のそれは実に態度が卑俗で、文学する精神の調子が低いのである。真の文学的評論家、即ちエッセイストたるものは、何よりも先ず詩人でなければならない。そして詩人とは遥かに俗界を超越して、精神の高邁な山頂に立つ人を言ふのである」と、父は書いている。
時代に迎合することなく、一貫した主義を貫いている保田さんの立派さが、今日の私はようやく分る思いである。~萩原葉子(作家)保田與重郎さんの思い出
(萩原朔太郎の娘で小説家、ここでの父は朔太郎)


日本人なら青春の日に一度は日本浪漫派を通ってほしい。保田先生の著作を読んでおいてほしい。この願望ばかりは日ましに熱いものがある。「日本の橋」「戴冠詩人の御一人者」が今の若い人たちの読書力に難解にすぎるようなら、「セント・ヘレナ」「民族と文藝」は読んでほしい。ここには最も良質な日本語で綴られた詩人の明察と、庶民に土着する挿話や伝説への、愛情溢れる解明がある。それは又、保田先生の志向された藝文がどんなものであったかを、比較的平易に、教えてくれる。
「セント・ヘレナ」は言うまでもなくナポレオンの最期を叙述されたものだが、私の知る限り、これはベートーヴェンの交響曲第3番(英雄)第二楽章に比肩する藝術である。”葬送行進曲”を文章で―英雄ナポレオンへの哀悼を音楽ではなく、言葉で―これほどあざやかに描破された作品を私は他に知らない。
~五味康祐(作家)青春の日本浪漫派体験


d0170835_1634021.jpg『私の保田與重郎』(著者:谷崎昭男ほか/新学社刊)
保田與重郎との思い出を195人の執筆者が語る。超人・保田與重郎の生きた姿が見えてくる、見えてくる。


つづく・・・
by kirakuossan | 2013-06-08 13:06 | | Trackback
トラックバックURL : https://kirakuossa.exblog.jp/tb/18922346
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


by kirakuossan

プロフィールを見る

日経
信濃毎日
京都
中日
産経
ITmedia
JP
47NEWS
WORLD CLOCK
radiko



exciteCounter

カテゴリ

タグ

記事ランキング

以前の記事

フォロー中のブログ

ブログジャンル