ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

19世紀を生きた6人の音楽家たち

2013年6月4日(火)

フランツ・リスト(1811~1886)
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(1813~1883)
ヨハネス・ブラームス(1833~1897)
ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(1824~1896)
グスタフ・マーラー(1860~1911)
ハンス・フォン・ビューロー(1830~1894)

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ここに上げる6人の音楽家たち、5人の作曲家と1人の指揮者。一人は20世紀にもまたがるが、いずれも19世紀を生き、活躍し、名を後世に残した。6人は同世代を生きたという点でそれぞれに関係を持ち、関心を示し、互いにそれぞれの才能を評価し、ある時は非難した。
ワーグナーとブラームスは時の潮流を二分した。たとえば、ワーグナーは指揮者としても高名で、指揮に対する独自の理論を打ち立て、多くの指揮者を育成した。同じく独自の音楽理論を掲げ、多くの弟子を養成したブラームスとは激しく対立した。ブルックナーとマーラーは、何かと比較される運命にある。そしてリストの弟子であった当代随一の指揮者であるハンス・フォン・ビューローはそれぞれに関係を持った。
そのなかには幾つかの逸話が残される、たとえばこんな風だ。

リスト
・ワーグナーらとともに新ドイツ派と呼ばれ、絶対音楽にこだわるブラームスらとは一線を画した。
・弟子のビューローとワーグナー派につき、ブラームス派についたハンスリックと対立した。

ワーグナー
・ブラームスとは犬猿の仲で、1870年にウィーンで催されたベートーヴェンの生誕100年セレモニーに講演者として招待を受けて快諾したが、土壇場で出席者リストにブラームスの名を見つけて出席を拒否した。
・亡命中、自分を保護してくれたリストを音楽的にも深く尊敬しており、ブラームス派とワーグナー派と二派に別れた際、リストが自分についてきてくれたことに感激し自信を更に深めた。
・自分は音楽史上まれに見る天才で、自分より優れた作曲家はベートーヴェンだけだ、と公言して憚らなかった。
・リストの娘で、ビューローの愛妻コジマを奪うことになる。

ブラームス
・リストのことは認めなかったが、内心ワーグナーは認めた。
・交響曲第4番の初演時には、ブラームスが指揮をし、ビューローが大太鼓を担当した。
・マーラーの指揮に触れ、彼の才能を大いに評価した。

ブルックナー
・「第3番交響曲」をワーグナーに献上するぐらいワーグナーを敬愛した。
・ビューローにミュンヘンでの求職を打診している。このときビューローはコジマをワーグナーに奪われた直後で、それどころではなかった。

マーラー
・大学でブルックナーの講義の聴講生であった。
・ブルックナーよりむしろブラームスを高く評価した。
・第2番『復活』の作曲過程でビューローに聴かせたが反応はいまいちであった。

ビューロー
・ブルックナー1番の「独創性、大胆さ、着想」を評価しワーグナーに紹介した。
・ワーグナー信奉者であったが、やがてブラームス派になる。
・ブラームスの交響曲第1番を「ベートーヴェンの交響曲『第10番』」、交響曲第2番を「ブラームスの『田園』」と呼んだ。
・ピアノの名手としても活躍、リストのピアノソナタロ短調、ハンガリー幻想曲などを初演した。
・コジマとワーグナーの関係を知った後も、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の初演をミュンヘン宮廷歌劇場で指揮している。


さらに、ブラームスとブルックナーについて貴重な逸話がWikipediaで紹介されていた。面白いのでそのまま掲載すると・・・

ヨハネス・ブラームスは、リヒャルト・ワーグナーとは反りが合わなかった。そのワーグナーの影響を受けたアントン・ブルックナーともしばしば衝突した(ブラームスは、ブルックナーの交響曲を「交響的大蛇」と貶している)。ブラームスはオルガニストとしてのブルックナーは高く評価していたが、ブラームスの支持者である評論家のエドゥアルト・ハンスリックとブルックナー支持者との間に論争が起こったので、勢い作曲家としては認めることはできなかった。それでも、同じウィーンに住む者同士の反目は良くないと間に立つ人がいて、両者はブラームス行き付けの「赤いはりねずみ」で会食した。このとき、2人とも肉団子が好物だった事がわかり、打ち解けた雰囲気となった。そのときのブルックナーの言葉は「ブラームス博士! この店の肉団子こそ我々の共通点ですな!」。1896年のブルックナーの葬儀にはブラームスは会場の扉にたたずんでいた。中に入るように促されたが「次はわしが棺桶に入るよ」と寂しそうにつぶやいた。

そしていま、我々は、あーだ、こーだ、と勝手なことをほざきながら、彼らの音楽を、思い思いに存分愉しむ。なんと幸せなことか。
by kirakuossan | 2013-06-04 12:06 | クラシック | Trackback
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信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


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