2013年 05月 25日
偏見版『倶楽シック音楽全集』-30① ブルックナー |
2013年5月25日(土)
【第68巻】魂の音楽
ブルックナー:Ⅰ 1824~1896 (オーストリア)
いよいよヨーゼフ・アントン・ブルックナーの登場だ。最初少し迷った。というのはマーラーとどちらを先にしようかということだ。何度も書くが、僕は、古典派やロマン派の次にマーラーを知った。1番を聴いて驚愕し、4番、5番と進んでいった。2番も9番も感動した。そしてそのころから徐々に熱が醒め、ブルックナーを知った。マーラーを知らなかったらブルックナーにも出逢えなかったという思いが僕の中には強い。でもほぼ年代順に進めて来ているのでここではあえて先輩であるブルックナーから書き出すこととした。
彼の音楽の盛り上がりそうで盛り上がらない、頂点を極めそうになっては沈静してしまうというような、どこか煮え切らないところが理解できなかった。ところがある時、カール・シューリヒトの第7番に出逢った。それは懐の深い、実に堂々とした、まるで魂の山嶺を巡り歩くような心地のする音楽。このとき初めてブルックナー音楽に触れることが出来た。今でも時折聴き返すが、mono録音で決して良い音質ではないが、シュトゥットガルト放送響との53年録音盤。あの信じられないほどの第二楽章のアダージョの美しさ。ところがシューリヒトはさらに評価の高いブルックナーがあるのを知った。ウィーン・フィルとの第8番、第9番(いずれもステレオ)。順番に聴いて行き、すっかりシューリヒトのブルックナーの虜になってしまった。これがもしほかの指揮者の演奏であったなら、多分ブルックナーを知らないままに通り過ぎてしまっただろう。
40歳ごろからワーグナーに傾倒、さらに1866年にウィーンで耳にしたベートーヴェンの交響曲第9番に強い影響を受ける。そして自分も交響曲の作曲を始めるようになり、66年に第1番、72年に第2番、73年に第3番と書きだしてゆくが、敵対視される批評家なんかもいたりして成功には至らなかった。そして1883年、彼が60歳を前にして書きあげたこの第7番で、ようやく世間の評価を得るようになり成功と名声を勝ち取ることになる。第2楽章の執筆中に敬愛してきたワーグナーが亡くなり、このアダージョをワーグナーのための「葬送音楽」と呼んだ。
交響曲第7番 ホ長調 WAB 107
シュトゥットガルト放送交響楽団
カール・シューリヒト(指揮)
ブルクナーの交響曲を指揮することは大指揮者の”証”のように思える。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・シューリヒト、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ゲオルク・ショルティ、セルジュ・チェリビダッケ、、カルロ・マリア・ジュリーニ・・・と錚々たる顔ぶれだ。ほかにいち早くステレオ録音の全集を出したのはオイゲン・ヨッフムであったし、朝比奈隆も好んでブルックナーを演奏した。ここで面白いのはマーラーをよく振ったブルノー・ワルターやレナード・バーンスタインのブルックナーはあまり知らない。逆にカラヤンのマーラーは珍しい。こうしてみると明らかにマーラー派とブルックナー派が存在しそうである。
【第68巻】魂の音楽
ブルックナー:Ⅰ 1824~1896 (オーストリア)
いよいよヨーゼフ・アントン・ブルックナーの登場だ。最初少し迷った。というのはマーラーとどちらを先にしようかということだ。何度も書くが、僕は、古典派やロマン派の次にマーラーを知った。1番を聴いて驚愕し、4番、5番と進んでいった。2番も9番も感動した。そしてそのころから徐々に熱が醒め、ブルックナーを知った。マーラーを知らなかったらブルックナーにも出逢えなかったという思いが僕の中には強い。でもほぼ年代順に進めて来ているのでここではあえて先輩であるブルックナーから書き出すこととした。
彼の音楽の盛り上がりそうで盛り上がらない、頂点を極めそうになっては沈静してしまうというような、どこか煮え切らないところが理解できなかった。ところがある時、カール・シューリヒトの第7番に出逢った。それは懐の深い、実に堂々とした、まるで魂の山嶺を巡り歩くような心地のする音楽。このとき初めてブルックナー音楽に触れることが出来た。今でも時折聴き返すが、mono録音で決して良い音質ではないが、シュトゥットガルト放送響との53年録音盤。あの信じられないほどの第二楽章のアダージョの美しさ。ところがシューリヒトはさらに評価の高いブルックナーがあるのを知った。ウィーン・フィルとの第8番、第9番(いずれもステレオ)。順番に聴いて行き、すっかりシューリヒトのブルックナーの虜になってしまった。これがもしほかの指揮者の演奏であったなら、多分ブルックナーを知らないままに通り過ぎてしまっただろう。
40歳ごろからワーグナーに傾倒、さらに1866年にウィーンで耳にしたベートーヴェンの交響曲第9番に強い影響を受ける。そして自分も交響曲の作曲を始めるようになり、66年に第1番、72年に第2番、73年に第3番と書きだしてゆくが、敵対視される批評家なんかもいたりして成功には至らなかった。そして1883年、彼が60歳を前にして書きあげたこの第7番で、ようやく世間の評価を得るようになり成功と名声を勝ち取ることになる。第2楽章の執筆中に敬愛してきたワーグナーが亡くなり、このアダージョをワーグナーのための「葬送音楽」と呼んだ。
交響曲第7番 ホ長調 WAB 107
シュトゥットガルト放送交響楽団
カール・シューリヒト(指揮)
ブルクナーの交響曲を指揮することは大指揮者の”証”のように思える。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・シューリヒト、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ゲオルク・ショルティ、セルジュ・チェリビダッケ、、カルロ・マリア・ジュリーニ・・・と錚々たる顔ぶれだ。ほかにいち早くステレオ録音の全集を出したのはオイゲン・ヨッフムであったし、朝比奈隆も好んでブルックナーを演奏した。ここで面白いのはマーラーをよく振ったブルノー・ワルターやレナード・バーンスタインのブルックナーはあまり知らない。逆にカラヤンのマーラーは珍しい。こうしてみると明らかにマーラー派とブルックナー派が存在しそうである。
by kirakuossan
| 2013-05-25 14:30
| 偏見版「倶楽シック全集」(完)
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