2013年 03月 07日
未舗装の湖岸道路 |
2013年3月7日(木)
大津歴史博物館へ大津百町大博覧会の企画展『大津百町-マチから始まるモノがたり』
江戸時代から昭和にかけての絵地図や屏風絵、巻物、古写真、鳥瞰図など、いずれも貴重なものばかりが多数展示されていている。子供時分に大津市の中心街で生活を送っただけに、懐かしい古写真にすっかりくぎ付けになった。
「湖岸道路」(昭和35年)、「京阪電車浜大津駅」(昭和42年)、「菱屋町と石山の商店街」(昭和30年代)、「東京オリンピックの聖火リレー」(昭和39年)、「膳所団地」(昭和40年代)
湖岸道路が出来るまでは、京阪電車石坂線のすぐ近くまで琵琶湖岸が迫っていた。中学生のころ、よく友達と自転車を飛ばして、この湖岸までやってきては日が暮れるまで語り合ったものだ。(湖岸道路がまだ舗装されていない、53年前の光景)
「膳所団地」は県下初の公団住宅。初めて自分たちの住まいが持てるようになり親父以下家族5人がこの真新しい3Kへ引っ越した。大学の4年間はここに住んだ。
大津宿「札の辻」<常設展>
「札の辻」は江戸時代、東海道五十三次の宿場町としてにぎわった。東海道と北国海道の分岐点にあたり、多くの旅人や荷物を運ぶ馬などが行き来する賑やかな場所であった。町並み模型が当時の様子を生き生きと再現している。
大津歴史博物館へ大津百町大博覧会の企画展『大津百町-マチから始まるモノがたり』
江戸時代から昭和にかけての絵地図や屏風絵、巻物、古写真、鳥瞰図など、いずれも貴重なものばかりが多数展示されていている。子供時分に大津市の中心街で生活を送っただけに、懐かしい古写真にすっかりくぎ付けになった。
「湖岸道路」(昭和35年)、「京阪電車浜大津駅」(昭和42年)、「菱屋町と石山の商店街」(昭和30年代)、「東京オリンピックの聖火リレー」(昭和39年)、「膳所団地」(昭和40年代)
湖岸道路が出来るまでは、京阪電車石坂線のすぐ近くまで琵琶湖岸が迫っていた。中学生のころ、よく友達と自転車を飛ばして、この湖岸までやってきては日が暮れるまで語り合ったものだ。(湖岸道路がまだ舗装されていない、53年前の光景)
「膳所団地」は県下初の公団住宅。初めて自分たちの住まいが持てるようになり親父以下家族5人がこの真新しい3Kへ引っ越した。大学の4年間はここに住んだ。
大津宿「札の辻」<常設展>
「札の辻」は江戸時代、東海道五十三次の宿場町としてにぎわった。東海道と北国海道の分岐点にあたり、多くの旅人や荷物を運ぶ馬などが行き来する賑やかな場所であった。町並み模型が当時の様子を生き生きと再現している。
by kirakuossan
| 2013-03-07 21:05
| 近江抄
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