2012年 11月 05日
歴史は楽しい |
2012年11月5日(月)
堺屋太一著「歴史の使い方」(日経ビジネス文庫)が面白かった。
歴史は楽しい。歴史は役に立つ。歴史は未来をいましめる。だから、歴史は「使える」。歴史は教養であるとともに、実学でもある。と著者は語る。
まず歴史を覚えるのではなく、「知る」ことから入り、歴史を「楽しむ」、そしてあらましが分かれば次に歴史を「練る」、歴史を理論的に推定しながら読んでゆく。次に歴史を「穿つ」、すなわち疑ってみる。真実はどこにあるのか、いろいろ探り、最後には歴史は繰り返すではないが、歴史を過去の出来事と「合わせる」、そして未来に「活かす」。それらの流れを本著は具体例を挙げながら詳しくわかりやすく解きほぐしてくれる。読者はついつい読みふけってゆくといったあんばいだ。
<日本史は、その単純さが楽しい>
日本の歴史は単純で簡潔だ。「縄文-弥生-古墳-飛鳥-奈良-平安-鎌倉-戦国-江戸-明治以降の近代」という変遷の順序を知っておくだけでよい。歴史の大きな流れの中で、時代とその役割が正しく位置づけられる程度の知識があれば十分。没年を覚える必要のあるのは聖徳太子と織田信長ぐらい。あとは活躍した時代がわかればそれでいい。事件でいえば、関ヶ原合戦と明治維新のふたつ、それぐらい日本の歴史は簡潔なのだ。地域の歴史=民族の歴史だからで、他の国では地域と民族が=でないから複雑なのだ。
こう言われると何か肩の荷が下りたようで、リラックスして歴史に接していける気がするから不思議だ。たとえば関ヶ原合戦を境にして1600年の前後から広げてゆくのも興味優先で面白く、頭に入りやすいような気がしてきた。
<織田信長とエリザベス一世は同世代>
日本と世界との同時代史で重要なのは、日本の戦国時代と西洋のルネッサンスの同時同類性だという。織田信長(1534~82)、豊臣秀吉(1537~98)はロシアの雷帝イワン四世(1530~84)や無敵艦隊のスペインのフェリペ二世(1527~98)、イギリスのエリザベス一世(1533~1603)らとほぼ同時代なのだ。こうして関連付けてみると非常に理解しやすいし、興味も倍増する。
僕はよく自分の生年と関連付けて頭に入れようとする。ちょうど100年前の1849年にショパンが亡くなった。その年に日本では 葛飾北斎が亡くなり、西園寺公望と乃木大将が生まれている。また好きな音楽とも関連付ける。たとえば教皇マルチェルスのミサで有名なパレストリーナ(1525~94)は信長と同世代何だと思うと、興味は尽きない。
<東洋史は王朝史の人間ドラマ>
東洋史=中国史=王朝史ということで、流れは、「殷-周(春秋)-戦国-秦-漢-後漢-三国-晋-五胡十六国-南北朝-隋-唐-五代十国-宋-元-明-清-中華民国-中華人民共和国」となる。この王朝史は人間ドラマの宝庫であらゆる類型の人物が登場し、考え得る限りの事件や偉業を成し遂げる。ここで正しく認識しておかないといけないのは、たとえば宋の時代は日本では平安から鎌倉の初期と、随分昔の時代であって、普段我々が口にするのはせいぜい李白や白楽天の唐の時代ぐらいで新しい中国のことはほとんど知らないのと同然なのだ。
こんな言葉があるらしい。「漢文、唐詩、宋詞、元曲、明説」。すなわち、漢の時代は司馬遷などの名分が多く、唐の時代は李白や杜甫らの詩が優れ、宋代は詞がよく、元の時は戯曲が、そして明では「西遊記」や「水滸伝」などの小説が盛んであった。歌謡曲の作詞は宋の詞からきているという。
<理論歴史学の五原則>
歴史を「練る」際に守らなければならない約束事がある。①証明されている歴史的事実のすべてを説明できる仮説。②空白を埋めるとき、事実としてもっともありそうなことを採用。③その時代の技術や社会環境と完全に合致。④歴史上の有名人も今日のわれわれ凡人と同様に、日常の些細な雑務に追われて生きていたという事実。⑤技術条件を正確に考える、とくに新しいものが出てきたためになくなってしまった古い技術を理解する。⑥「勝者を美化せず、敗者に同情せず」
<実力副社長に企画部長が挑む企て>
関ヶ原合戦の時の力関係を現代の会社組織にたとえて書いている。面白くてわかりやすいので記してみると・・【豊臣政権】秀吉会長兼社長(CEO)-徳川副社長-前田専務-毛利・上杉・宇喜多の3常務-石田三成企画部長、となる。
<幕末の常識の間違い>
歴史を「穿る」と、黒船が出現して世の中が一気に変わったのではない。歴史を正確にみると、実際に「時代がかわった」のは1863年、14代将軍家茂や後見役の慶喜が京都に移住したからである、とされている。
<治安、文化が失われると体制は崩壊する>
体制が崩壊するのは次の2つのケースだ。①その体制で治安が維持できなくなった場合(ベトナム戦争やタリバン)、②文化の破綻。その体制の支配階層の「文化」が信用と尊敬を失った場合、被支配階級を失望させ、支配階級をも退廃させ分裂させる。
読んでみて感じたのは、たとえば日本史ならば、全体の流れの概略を掴んだら、自分の一番好きな時代、好きな人物、事柄を絞って、徹底的に深く掘り下げて知ることから始め、その範囲を徐々に広げていくと興味は尽きることなく、地に着いた教養になる。旅をするとき、どこかを訪れるときの事前勉強はいよいよ欠かせられない。この本を読んで大いに好奇心が湧き、今後歴史を深めていくうえで大いに参考になった。
堺屋太一著「歴史の使い方」(日経ビジネス文庫)が面白かった。
歴史は楽しい。歴史は役に立つ。歴史は未来をいましめる。だから、歴史は「使える」。歴史は教養であるとともに、実学でもある。と著者は語る。
まず歴史を覚えるのではなく、「知る」ことから入り、歴史を「楽しむ」、そしてあらましが分かれば次に歴史を「練る」、歴史を理論的に推定しながら読んでゆく。次に歴史を「穿つ」、すなわち疑ってみる。真実はどこにあるのか、いろいろ探り、最後には歴史は繰り返すではないが、歴史を過去の出来事と「合わせる」、そして未来に「活かす」。それらの流れを本著は具体例を挙げながら詳しくわかりやすく解きほぐしてくれる。読者はついつい読みふけってゆくといったあんばいだ。
<日本史は、その単純さが楽しい>
日本の歴史は単純で簡潔だ。「縄文-弥生-古墳-飛鳥-奈良-平安-鎌倉-戦国-江戸-明治以降の近代」という変遷の順序を知っておくだけでよい。歴史の大きな流れの中で、時代とその役割が正しく位置づけられる程度の知識があれば十分。没年を覚える必要のあるのは聖徳太子と織田信長ぐらい。あとは活躍した時代がわかればそれでいい。事件でいえば、関ヶ原合戦と明治維新のふたつ、それぐらい日本の歴史は簡潔なのだ。地域の歴史=民族の歴史だからで、他の国では地域と民族が=でないから複雑なのだ。
こう言われると何か肩の荷が下りたようで、リラックスして歴史に接していける気がするから不思議だ。たとえば関ヶ原合戦を境にして1600年の前後から広げてゆくのも興味優先で面白く、頭に入りやすいような気がしてきた。
<織田信長とエリザベス一世は同世代>
日本と世界との同時代史で重要なのは、日本の戦国時代と西洋のルネッサンスの同時同類性だという。織田信長(1534~82)、豊臣秀吉(1537~98)はロシアの雷帝イワン四世(1530~84)や無敵艦隊のスペインのフェリペ二世(1527~98)、イギリスのエリザベス一世(1533~1603)らとほぼ同時代なのだ。こうして関連付けてみると非常に理解しやすいし、興味も倍増する。
僕はよく自分の生年と関連付けて頭に入れようとする。ちょうど100年前の1849年にショパンが亡くなった。その年に日本では 葛飾北斎が亡くなり、西園寺公望と乃木大将が生まれている。また好きな音楽とも関連付ける。たとえば教皇マルチェルスのミサで有名なパレストリーナ(1525~94)は信長と同世代何だと思うと、興味は尽きない。
<東洋史は王朝史の人間ドラマ>
東洋史=中国史=王朝史ということで、流れは、「殷-周(春秋)-戦国-秦-漢-後漢-三国-晋-五胡十六国-南北朝-隋-唐-五代十国-宋-元-明-清-中華民国-中華人民共和国」となる。この王朝史は人間ドラマの宝庫であらゆる類型の人物が登場し、考え得る限りの事件や偉業を成し遂げる。ここで正しく認識しておかないといけないのは、たとえば宋の時代は日本では平安から鎌倉の初期と、随分昔の時代であって、普段我々が口にするのはせいぜい李白や白楽天の唐の時代ぐらいで新しい中国のことはほとんど知らないのと同然なのだ。
こんな言葉があるらしい。「漢文、唐詩、宋詞、元曲、明説」。すなわち、漢の時代は司馬遷などの名分が多く、唐の時代は李白や杜甫らの詩が優れ、宋代は詞がよく、元の時は戯曲が、そして明では「西遊記」や「水滸伝」などの小説が盛んであった。歌謡曲の作詞は宋の詞からきているという。
<理論歴史学の五原則>
歴史を「練る」際に守らなければならない約束事がある。①証明されている歴史的事実のすべてを説明できる仮説。②空白を埋めるとき、事実としてもっともありそうなことを採用。③その時代の技術や社会環境と完全に合致。④歴史上の有名人も今日のわれわれ凡人と同様に、日常の些細な雑務に追われて生きていたという事実。⑤技術条件を正確に考える、とくに新しいものが出てきたためになくなってしまった古い技術を理解する。⑥「勝者を美化せず、敗者に同情せず」
<実力副社長に企画部長が挑む企て>
関ヶ原合戦の時の力関係を現代の会社組織にたとえて書いている。面白くてわかりやすいので記してみると・・【豊臣政権】秀吉会長兼社長(CEO)-徳川副社長-前田専務-毛利・上杉・宇喜多の3常務-石田三成企画部長、となる。
<幕末の常識の間違い>
歴史を「穿る」と、黒船が出現して世の中が一気に変わったのではない。歴史を正確にみると、実際に「時代がかわった」のは1863年、14代将軍家茂や後見役の慶喜が京都に移住したからである、とされている。
<治安、文化が失われると体制は崩壊する>
体制が崩壊するのは次の2つのケースだ。①その体制で治安が維持できなくなった場合(ベトナム戦争やタリバン)、②文化の破綻。その体制の支配階層の「文化」が信用と尊敬を失った場合、被支配階級を失望させ、支配階級をも退廃させ分裂させる。
読んでみて感じたのは、たとえば日本史ならば、全体の流れの概略を掴んだら、自分の一番好きな時代、好きな人物、事柄を絞って、徹底的に深く掘り下げて知ることから始め、その範囲を徐々に広げていくと興味は尽きることなく、地に着いた教養になる。旅をするとき、どこかを訪れるときの事前勉強はいよいよ欠かせられない。この本を読んで大いに好奇心が湧き、今後歴史を深めていくうえで大いに参考になった。
by kirakuossan
| 2012-11-05 22:32
| 文芸
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