2011年 09月 10日
3人の先駆者親子 |
2011年9月10日(土)
シューベルトや詩人のハイネが誕生した、フランス革命さなかの1797年。その年の今日9月10日にイギリスのひとりの女性が亡くなっている。その人の名はメアリ・ウルストンクラフト(1759~1797)。
社会思想家で、フェミニズムの先駆者といわれた女性で、主著『女性の権利の擁護』などで、男女同権、教育の機会均等を訴えた。
彼女は現実社会の上層階級の特権を否定し、個人の才能こそが、成功の必須条件であると説いた。だが、世間からは当時のイギリス社会の秩序を乱すものと批判、否定された。しかし、彼女はさらに”女性の権利”に踏み込み、論説を展開する。
彼女の主張は、少年と違い少女は従属的で従順な者へとする教育が望ましいとしたジャン・ジャック・ルソーに対する反論であって、「人間の権利」で論じた機会の平等が、無条件で女性に対しても適用されることを主張した。
彼女の人生は波乱万丈の人生。幼い時の父親の暴力、スイス人画家ヨーハン・ハインリヒ・フュースリーとの叶わぬ恋、その後のアメリカ人との結婚と失恋、自殺未遂。そして最後にたどり着いたのが無政府主義の思想家ウィリアム・ゴドウィンとの結婚、そして出産。しかし、不幸にも彼女は娘を出産後、体調を崩し、38歳という若さで亡くなる。
夫ウィリアム・ゴドウィン(1756年3月3日~1836)はイギリスの政治評論家・著作家で、無政府主義の先駆者。著作『政治的正義』で彼は当時の最も有力な社会哲学者として知られるようになり、ミルトンやロック、ルソーに並ぶ地位を与えられた。当時まだ学生だったワーズワースはこの本をむさぼり読み、政治教育の糧とした。
「外的世界の印象が、人間の心を善くも悪くもする。しかし権力と暴力に基づいた政府は、正義や幸福に反するすべての制度を温存させ、自由を阻害する。このような政府は、罪悪であり反自然である。」
よって彼は、”政府のない社会・富の平等な分配”を主張した。
無政府主義(アナキズム)はのちプルードン、バクーニン、クロポトキンらによって進められ、社会主義や共産主義の流れを汲むもの、保守主義の流れを汲むもの、個人主義や自由主義の流れを汲むものなど、様々な流れを汲んでいく。そのため必ずしも「政府を廃止して無政府状態にすべき」という思想でもない。
他の著作に回想『メアリ・ウルストンクラフトの思い出』がある。
ウルストンクラフトとゴドウィンの間に出来たその時の娘がメアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(1797~1851)
イギリスの小説家となって、小説『フランケンシュタイン』で名を残し、SF小説の先駆者と呼ばれた。この有名な小説が生まれた経緯が面白い。
彼女はロマン派詩人のパーシー・シェリーと駆け落ちし、ジョージ・ゴードン・バイロン(詩人)やバイロンの友人ポリドリらとジュネーヴ近郊のレマン湖畔の別荘に滞在していた。あいにく天候不順で長く雨が降り続き、屋内に閉じこめられたままで過ごしていた。その時、バイロンが一人一作ずつ小説を書いてみようと提案。ポリドリが書き上げた小説が『吸血鬼』が生まれ、彼女は、その時に得た着想で一年かけてこの『フランケンシュタイン』を書き上げた、彼女19歳の時だ。
のちに宇宙科学解説書、推理小説でも著名なSF作家アイザック・アシモフが”作家の悪夢”として語っている。
「後世にシェリーの名声が詩人愛好家や知識人階級に留まっているのに対してアマチュア作家の妻メアリーの作品が古典のひとつとなってしまった」
ここに出てくるジョージ・ゴードン・バイロン (1788~1824)は、イギリスの詩人。彼はベルギーの画家が描いた作品「バイロンの死」でも知られる。
バイロンは若くして自己を顧みない放埒な日々を過ごし、成人してからも女性関係は絶えず、自由奔放に生きた人。当時の偽善と偏見を嘲罵し、イギリス・ロマン主義を代表する作風を展開し、ロシアやヨーロッパ諸国の文学に影響を与えた。また他にファッションや芸術、さらにはギリシャの独立運動にも参加した。日本でも比較的よく知られた詩人である。
結婚の格言としておもしろく取り上げられる、
「すべての悲劇というものは死によって終わり、すべての人生劇は結婚をもって終わる」 は彼の言葉である。
シューベルトや詩人のハイネが誕生した、フランス革命さなかの1797年。その年の今日9月10日にイギリスのひとりの女性が亡くなっている。その人の名はメアリ・ウルストンクラフト(1759~1797)。
社会思想家で、フェミニズムの先駆者といわれた女性で、主著『女性の権利の擁護』などで、男女同権、教育の機会均等を訴えた。
彼女は現実社会の上層階級の特権を否定し、個人の才能こそが、成功の必須条件であると説いた。だが、世間からは当時のイギリス社会の秩序を乱すものと批判、否定された。しかし、彼女はさらに”女性の権利”に踏み込み、論説を展開する。
彼女の主張は、少年と違い少女は従属的で従順な者へとする教育が望ましいとしたジャン・ジャック・ルソーに対する反論であって、「人間の権利」で論じた機会の平等が、無条件で女性に対しても適用されることを主張した。
彼女の人生は波乱万丈の人生。幼い時の父親の暴力、スイス人画家ヨーハン・ハインリヒ・フュースリーとの叶わぬ恋、その後のアメリカ人との結婚と失恋、自殺未遂。そして最後にたどり着いたのが無政府主義の思想家ウィリアム・ゴドウィンとの結婚、そして出産。しかし、不幸にも彼女は娘を出産後、体調を崩し、38歳という若さで亡くなる。
夫ウィリアム・ゴドウィン(1756年3月3日~1836)はイギリスの政治評論家・著作家で、無政府主義の先駆者。著作『政治的正義』で彼は当時の最も有力な社会哲学者として知られるようになり、ミルトンやロック、ルソーに並ぶ地位を与えられた。当時まだ学生だったワーズワースはこの本をむさぼり読み、政治教育の糧とした。
「外的世界の印象が、人間の心を善くも悪くもする。しかし権力と暴力に基づいた政府は、正義や幸福に反するすべての制度を温存させ、自由を阻害する。このような政府は、罪悪であり反自然である。」
よって彼は、”政府のない社会・富の平等な分配”を主張した。
無政府主義(アナキズム)はのちプルードン、バクーニン、クロポトキンらによって進められ、社会主義や共産主義の流れを汲むもの、保守主義の流れを汲むもの、個人主義や自由主義の流れを汲むものなど、様々な流れを汲んでいく。そのため必ずしも「政府を廃止して無政府状態にすべき」という思想でもない。
他の著作に回想『メアリ・ウルストンクラフトの思い出』がある。
ウルストンクラフトとゴドウィンの間に出来たその時の娘がメアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(1797~1851)
イギリスの小説家となって、小説『フランケンシュタイン』で名を残し、SF小説の先駆者と呼ばれた。この有名な小説が生まれた経緯が面白い。
彼女はロマン派詩人のパーシー・シェリーと駆け落ちし、ジョージ・ゴードン・バイロン(詩人)やバイロンの友人ポリドリらとジュネーヴ近郊のレマン湖畔の別荘に滞在していた。あいにく天候不順で長く雨が降り続き、屋内に閉じこめられたままで過ごしていた。その時、バイロンが一人一作ずつ小説を書いてみようと提案。ポリドリが書き上げた小説が『吸血鬼』が生まれ、彼女は、その時に得た着想で一年かけてこの『フランケンシュタイン』を書き上げた、彼女19歳の時だ。
のちに宇宙科学解説書、推理小説でも著名なSF作家アイザック・アシモフが”作家の悪夢”として語っている。
「後世にシェリーの名声が詩人愛好家や知識人階級に留まっているのに対してアマチュア作家の妻メアリーの作品が古典のひとつとなってしまった」
ここに出てくるジョージ・ゴードン・バイロン (1788~1824)は、イギリスの詩人。彼はベルギーの画家が描いた作品「バイロンの死」でも知られる。
バイロンは若くして自己を顧みない放埒な日々を過ごし、成人してからも女性関係は絶えず、自由奔放に生きた人。当時の偽善と偏見を嘲罵し、イギリス・ロマン主義を代表する作風を展開し、ロシアやヨーロッパ諸国の文学に影響を与えた。また他にファッションや芸術、さらにはギリシャの独立運動にも参加した。日本でも比較的よく知られた詩人である。
結婚の格言としておもしろく取り上げられる、
「すべての悲劇というものは死によって終わり、すべての人生劇は結婚をもって終わる」 は彼の言葉である。
by kirakuossan
| 2011-09-10 08:38
| 文芸
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