信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。 当ブログ名は2018年7月1日をもって「のんきなとうさんの蓼科偶感」に変更いたしました。


by kirakuossan
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高校野球の思い出

2011年7月23日(土)
今年も高校野球の熱い季節がやって来た。気になるのは、地元の滋賀県大会、京都大会、そして昨年から長野大会の結果だ。我が母校は今年も早々と敗退してしまった。
過去の大会で強烈な思い出に今も残っている試合がいくつかある。
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①1000km徒歩旅行の年(1969年)、51回大会の三沢高と松山商高の試合。
再試合を含めて27イニングの決勝戦。

      1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 11 12 13 14 15 16 17 18  R
松山商 0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0 
三沢   0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  0 
太田幸司と井上明の投げ合い、お互い譲らず、再試合に。
 
      1  2  3  4  5  6  7  8  9  R
松山商 2  0  0  0  0  2  0  0  0  4
三沢   1  0  0  0  0  0  1  0  0  2
疲労の目立つ太田は初回樋野に2点本塁打を打たれた。松山商は疲れのある井上を休ませ中村哲を救援させ、松山商の優勝。

延長18回の死闘は1969年8月18日に行われ、決勝戦初の引き分け再試合となった。実に4時間16分におよび、延長15回裏の三沢の猛攻に対し、サヨナラ負けの大ピンチを松山商が紙一重でしのいでゼロに抑えた。全国の視聴者を釘づけにした熱戦だったが、自分は京都市内のどこかの店先(確か氷屋)のTVで見ていた記憶がある。

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②1979年8月16日の第61回全国高等学校野球選手権大会3回戦。箕島高対星稜高の試合。
先行の星稜が1点とれば簑島がすぐさま1点を取り返す。”2度あることは3度ある”を実践したような試合。
とくに延長16回の簑島は2死まで追い込まれたが、星稜野手のファールフライの落球のあと本塁打でまたもや追いつくといった奇跡が起きた。そして、延長18回、簑島の劇的なサヨナラ勝ち。試合時間は3時間50分の熱戦だった。当日、なぜか実家にいた。NHK教育放送のナイター中継を観戦、家中、ハラハラドキドキの連続であったことを覚えている。このあと簑島が見事優勝を果たした。

      1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 11 12 13 14 15 16 17 18  R

星稜   0  0  0  1  0  0  0  0  0  0  0  1  0  0  0  1  0  0  3 
簑島   0  0  0  1  0  0  0  0  0  0  0  1  0  0  0  1  0  1  4 

簑島の尾藤監督が昨年死去。その少し前、星稜・簑島の当時の選手たちが集まって親善試合が行われたことは記憶に新しい。

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③初めて甲子園に出て来た地元報徳学園の初試合が奇跡の大逆転試合。1961年第43回大会の1回戦報徳学園対倉敷工戦。

ちょうど学校から帰ってきてTVを付けたらこの試合をやっていた。それまでゼロ行進の両校、突如延長11回に倉敷工が6点を獲得、ここで万事休す、と思いきや、その裏、報徳が粘って6点を返して追いついた。これには唖然とした。2点を返したあと、2死3塁から4点をもぎ取ってついに同点、次の回報徳が得点してサヨナラ勝ち。信じられないような試合だった。この初試合を契機に「逆転の報徳」が始まった。

倉敷工    0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  6  0    6 (延長12回)
報徳     0  0  0  0  0  0  0  0  0  0  6  1    7


      
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by kirakuossan | 2011-07-23 11:06 | スポーツ | Trackback