2011年 05月 22日
無藝荘 |
2011年5月22日(日)
映画監督小津 安二郎(1903~1963)は東京・深川の下町で生まれ、9歳の時、三重・松坂に移る。受験に失敗し、上京、大正12年松竹に入社。以来、若くして巨匠としての地位を確立したが、国際的に知られる作品を多く撮ったのは戦後である。「晩春」以降数多くの家庭・家族を主題にした映画を撮り続けたが、死後は国内で顧みられる機会は少なかった。しばらくしてから、フランスを中心に評価が高まり、今日のように小津の映画スタイルが見直されるようになった。今では黒沢明と並んで国際的に評価されるようになった。
友人で脚本家の野田高梧とは小津がとても気に入った蓼科高原の山荘「無藝荘」で共同作業に入り、時にはふたりで飲みあかし充実の山荘生活を送った。「無藝荘」は八ヶ岳の北、蓼科山の南方に位置する。今でもこの山荘にちなんで、小津安二郎記念蓼科高原映画祭が毎年開催されている。我が山荘tuttiからも比較的近い。
小津安二郎:戦後の主な作品
「晩春」(1949)「東京物語」(1953)「早春」(1956)「東京暮色」(1957)「彼岸花」(1958)「浮草」(1959)「秋日和」(1960)「小早川家の秋」(1961)「秋刀魚の味」(1962遺作)
映画監督小津 安二郎(1903~1963)は東京・深川の下町で生まれ、9歳の時、三重・松坂に移る。受験に失敗し、上京、大正12年松竹に入社。以来、若くして巨匠としての地位を確立したが、国際的に知られる作品を多く撮ったのは戦後である。「晩春」以降数多くの家庭・家族を主題にした映画を撮り続けたが、死後は国内で顧みられる機会は少なかった。しばらくしてから、フランスを中心に評価が高まり、今日のように小津の映画スタイルが見直されるようになった。今では黒沢明と並んで国際的に評価されるようになった。
友人で脚本家の野田高梧とは小津がとても気に入った蓼科高原の山荘「無藝荘」で共同作業に入り、時にはふたりで飲みあかし充実の山荘生活を送った。「無藝荘」は八ヶ岳の北、蓼科山の南方に位置する。今でもこの山荘にちなんで、小津安二郎記念蓼科高原映画祭が毎年開催されている。我が山荘tuttiからも比較的近い。
小津安二郎:戦後の主な作品
「晩春」(1949)「東京物語」(1953)「早春」(1956)「東京暮色」(1957)「彼岸花」(1958)「浮草」(1959)「秋日和」(1960)「小早川家の秋」(1961)「秋刀魚の味」(1962遺作)
by kirakuossan
| 2011-05-22 16:45
| 人
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