2011年 04月 03日
指揮者100選☆14 C・クライバー |
2011年4月3日(日)
カルロス・クライバー(Carlos Kleiber, ドイツ 1930/7/3~ 2004/7/13)
20世紀を代表するカリスマ的指揮者。
クライバーは日本を愛した。1974年にバイエルン国立歌劇場とともに初来日。続いて、1981年、1986年、1988年、そして1994年が最後の来日となった。 1992年にもウィーン・フィルと来日の予定だったがこのときは病気のためキャンセルとなった(シノーポリが代役)
1974年◆バイエルン国立歌劇場/リヒャルト・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」
1981年◆ミラノスカラ座/ヴェルディ 歌劇「オテロ」、プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」
1988年◆ミラノスカラ座/プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」
1994年◆ウィーン国立歌劇場/リヒャルト・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」
といずれもオペラでの来日公演。
とくに94年の最終公演はクライバーをして「生涯最高の“ばらの騎士”の演奏ができた。」と公言しており、またこの日の公演がクライバー生涯最後のオペラ公演ともなった。
結局、オーケストラ・コンサートは1986年の3回目の来日時だけとなった。
1986年公演スケジュールの詳細は・・・
5月9日(東京文化会館)・5月13日(名古屋市民会館)・5月17日(昭和女子大人見記念講堂)
ウェーバー/魔弾の射手、序曲
モーツァルト/交響曲第33番
プラームス/交響曲第2番
5月10日(東京文化会館)・5月11日(神奈川県民ホール)・5月15日(フェスティバルホール)
5月18日(昭和女子大人見記念講堂)・5月19日(昭和女子大人見記念講堂)
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベートーヴェン/交響曲第7番
BSプレミアムで放映された5月19日の公演は実は追加公演であった。この日の演奏会は’86年演奏会の最終公演とあって、演奏会終了後、舞台にクライバー一人が現れ、熱狂的なファンに一人一人握手するというハプニングがあった。
☆演奏スタイルは・・・
彼のリハーサルは、楽員に対し彼独特の比喩で音楽解釈を事細かく説明した。またリハーサル前には必ず作曲家の自筆譜を事前に調べあげ、場合によっては父エーリッヒが使用した総譜を研究するなどして入念に準備を行った。その点は潔癖症であった。だから、準備不足の時などは急遽、演奏会を一方的にキャンセルしたこともうなずける。
タクトさばきは他のどの指揮者よりも、優雅で、エレガントで、しなやかであり、惚れ惚れするものである。演奏は、ここというところは疾風のごとく、爆風の如く突き進み一気に登りつめる。聴く者の期待を決して裏切らない。
☆残された録音は・・・
クライバーはその指揮の回数の少なさに比例してレコーディングの数が極端に少なかったが、ウィーン・フィルとのベートーヴェンの交響曲第5番、第7番とブラームスの交響曲第4番は、名演として評判が高い。また、デヴュー曲ともいえるバイエルン国立管弦楽団とのベートーヴェンの交響曲第4番が、当時、鮮烈な名演として一大センセーションを巻き起こしたことは記憶に新しい。
オペラの録音は、バイエルン国立と「こうもり」②「椿姫」「ばらの騎士」②、ウイーン歌劇場と「ばらの騎士」そしてドレスデンとは「魔弾の射手」「トリスタンとイゾルデ」がある。
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調作品92
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(録音:1974年3月、1976年1月ウィーン)
☆私見・・・
しかし、それにしても貴重な日本公演。5月15日は大阪でやっていたんだ。なぜ聴きに行かなかったのか、今から思えば残念でならない。
他の指揮者の演奏会の5倍ぐらいの値打ちはあった(2万円×5倍=10万円)
☆Myライブラリーより・・・
やはりバイエルン国立管弦楽団とのベートーヴェンの交響曲第4番を挙げる。
ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60
バイエルン国立管弦楽団
(録音:1982年5月・ライヴ録音)
ウェーバー:歌劇『魔弾の射手』全曲
シュライアー(T)
ヤノヴィッツ(S)
マティス(S)
アダム(Bs)
シュターツカペレ・ドレスデン (録音:1973年、ドレスデン)
歌手陣も一流陣が勢揃い。ドレスデンとクライバー、もうこれは2度と組めないようなベストメンバー。
今でも、この演奏の右にでるものはないだろう。
カルロス・クライバー(Carlos Kleiber, ドイツ 1930/7/3~ 2004/7/13)
20世紀を代表するカリスマ的指揮者。
クライバーは日本を愛した。1974年にバイエルン国立歌劇場とともに初来日。続いて、1981年、1986年、1988年、そして1994年が最後の来日となった。 1992年にもウィーン・フィルと来日の予定だったがこのときは病気のためキャンセルとなった(シノーポリが代役)
1974年◆バイエルン国立歌劇場/リヒャルト・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」
1981年◆ミラノスカラ座/ヴェルディ 歌劇「オテロ」、プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」
1988年◆ミラノスカラ座/プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」
1994年◆ウィーン国立歌劇場/リヒャルト・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」
といずれもオペラでの来日公演。
とくに94年の最終公演はクライバーをして「生涯最高の“ばらの騎士”の演奏ができた。」と公言しており、またこの日の公演がクライバー生涯最後のオペラ公演ともなった。
結局、オーケストラ・コンサートは1986年の3回目の来日時だけとなった。
1986年公演スケジュールの詳細は・・・
5月9日(東京文化会館)・5月13日(名古屋市民会館)・5月17日(昭和女子大人見記念講堂)
ウェーバー/魔弾の射手、序曲
モーツァルト/交響曲第33番
プラームス/交響曲第2番
5月10日(東京文化会館)・5月11日(神奈川県民ホール)・5月15日(フェスティバルホール)
5月18日(昭和女子大人見記念講堂)・5月19日(昭和女子大人見記念講堂)
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベートーヴェン/交響曲第7番
BSプレミアムで放映された5月19日の公演は実は追加公演であった。この日の演奏会は’86年演奏会の最終公演とあって、演奏会終了後、舞台にクライバー一人が現れ、熱狂的なファンに一人一人握手するというハプニングがあった。
☆演奏スタイルは・・・
彼のリハーサルは、楽員に対し彼独特の比喩で音楽解釈を事細かく説明した。またリハーサル前には必ず作曲家の自筆譜を事前に調べあげ、場合によっては父エーリッヒが使用した総譜を研究するなどして入念に準備を行った。その点は潔癖症であった。だから、準備不足の時などは急遽、演奏会を一方的にキャンセルしたこともうなずける。
タクトさばきは他のどの指揮者よりも、優雅で、エレガントで、しなやかであり、惚れ惚れするものである。演奏は、ここというところは疾風のごとく、爆風の如く突き進み一気に登りつめる。聴く者の期待を決して裏切らない。
☆残された録音は・・・
クライバーはその指揮の回数の少なさに比例してレコーディングの数が極端に少なかったが、ウィーン・フィルとのベートーヴェンの交響曲第5番、第7番とブラームスの交響曲第4番は、名演として評判が高い。また、デヴュー曲ともいえるバイエルン国立管弦楽団とのベートーヴェンの交響曲第4番が、当時、鮮烈な名演として一大センセーションを巻き起こしたことは記憶に新しい。
オペラの録音は、バイエルン国立と「こうもり」②「椿姫」「ばらの騎士」②、ウイーン歌劇場と「ばらの騎士」そしてドレスデンとは「魔弾の射手」「トリスタンとイゾルデ」がある。
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調作品92
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(録音:1974年3月、1976年1月ウィーン)
☆私見・・・
しかし、それにしても貴重な日本公演。5月15日は大阪でやっていたんだ。なぜ聴きに行かなかったのか、今から思えば残念でならない。
他の指揮者の演奏会の5倍ぐらいの値打ちはあった(2万円×5倍=10万円)
☆Myライブラリーより・・・
やはりバイエルン国立管弦楽団とのベートーヴェンの交響曲第4番を挙げる。
ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60
バイエルン国立管弦楽団
(録音:1982年5月・ライヴ録音)
ウェーバー:歌劇『魔弾の射手』全曲
シュライアー(T)
ヤノヴィッツ(S)
マティス(S)
アダム(Bs)
シュターツカペレ・ドレスデン (録音:1973年、ドレスデン)
歌手陣も一流陣が勢揃い。ドレスデンとクライバー、もうこれは2度と組めないようなベストメンバー。
今でも、この演奏の右にでるものはないだろう。
by kirakuossan
| 2011-04-03 04:23
| 指揮者100選(完)
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