2010年 12月 04日
指揮者100選☆3 シューリヒト |
2010年12月4日(土)
カール・シューリヒト (Carl Schuricht, ドイツ 1880/7/3 ~ 1967/1/7)
☆Myライブラリーより・・・
だいぶ前、ベートーヴェンの交響曲に飽きがきていた頃。またいつもの調子で廉価盤のセットものを衝動買いしてしまった。
カール・シューリヒト指揮、パリ音楽院管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集。実はこれが歴史的名演とされているものとはつゆ知らず。
パリ音楽院管弦楽団と言うぐらいだから当然モノ録音。それにドイツ人指揮者とパリ音楽院管弦楽団の組み合わせはミスマッチではないか? と買ってみたものの連想することは後ろ向きのことばかり・・・・
まあ、「運命」でもチョット聴いてみるか・・・
聴き始めて1分もしないうちに仰天した!
聴く前の不安は完全に打ち消された。何だ!この「運命」の新鮮さは!、溌剌さは!、軽快さは!、そして明瞭な音は!今まで経験しなかった斬新な、陳腐化してない「運命」だ。
この瞬間を境にして、突如”シューリヒト・ファン”となった。今でも、僕の一押しの「運命」は、このシューリヒト/パリ音楽院 盤だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父はオルガン製作者、母はオラトリオ歌手で幼少から音楽に恵まれた環境に育った。32歳から30年以上もヴィースバーデン市の音楽総監督の地位にあった。1944年、64歳のとき、にエルネスト・アンセルメの求めに応じて、スイス・ロマンド管弦楽団に客演した際に、スイスに亡命した。戦前戦後を通じてウィーン・フィル、ベルリン・フィルなどのヨーロッパ各地のオーケストラに客演した。モーツァルトの生誕200年の1956年、ウィーンフィル初の米国演奏旅行が計画され、エーリッヒ・クライバーが同行することになっていた。しかし、クライバーが急逝したため、急遽、演奏旅行の首席指揮者としてシューリヒトが抜擢されるという幸運を掴んだ。シューリヒトは76歳になっていた。同行の副指揮者はアンドレ・クリュイタンスで、このアメリカツアーでのコンサートは大成功を収めた。シューリヒトはかなり高齢になってから世界的名声を得た指揮者という点でギュンター・ヴァントと似かよっている。1880年ポーランドのダンツィヒで生まれ、1967年スイスで亡くなった。今年は生誕130年にあたる。
☆演奏スタイルは・・・
テンポが速く、リズム感があって溌剌とし、軽快な音楽を奏でる。それは厳正に構成され、ロマンティック性を保ちつつ、時には烈しさを増した演奏をする。実に考えつくされた完成度の極めて高いものである。
☆残した録音は・・・
EMIやDecca、コンサート・ホール・ソサエティ盤などで多数のスタジオ録音が残されているほか、放送用録音も盛んに発掘されている。
ブルックナーに名演が残っている。
ブルックナー/交響曲第9番(ウィーン・フィル:61年)
ブルックナー/交響曲第8番(ウィーン・フィル:63年)
モーツァルト/交響曲第36番「リンツ」&第38番「プラハ」(シュトゥットガルト放送交響楽団:60年)
(コンサート・ホール・ソサエティの音源)
・ブルックナー:交響曲第7番 ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団 64年
・ワーグナー:『マイスタージンガー』第3幕への前奏曲 バイエルン放送交響楽団 61年
・シューマン:交響曲第3番『ライン』 シュトゥットガルト放送交響楽団 60年
・J.シュトラウス:ワルツ集 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 63年
・シューベルト:交響曲第9番『グレイト』 シュトゥットガルト放送交響楽団 60年
・ヘンデル:合奏協奏曲 バイエルン放送交響楽団 61年
・ブラームス:交響曲第4番 バイエルン放送交響楽団 61年
・モーツァルト:交響曲第40番・第41番 パリ・オペラ座管弦楽団 64年
・バッハ:ブランデンブルク協奏曲 チューリヒ・バロック・アンサンブル 66年
・メンデルスゾーン:序曲集 南西ドイツ放送交響楽団 62年
☆私見・・・
シューリヒトの演奏は常に真摯で、直球勝負で、聴くものを裏切ったりはしない。このことはきっと、この人の人間性に由来するものだと思う。
カール・シューリヒト (Carl Schuricht, ドイツ 1880/7/3 ~ 1967/1/7)
☆Myライブラリーより・・・
だいぶ前、ベートーヴェンの交響曲に飽きがきていた頃。またいつもの調子で廉価盤のセットものを衝動買いしてしまった。
カール・シューリヒト指揮、パリ音楽院管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集。実はこれが歴史的名演とされているものとはつゆ知らず。
パリ音楽院管弦楽団と言うぐらいだから当然モノ録音。それにドイツ人指揮者とパリ音楽院管弦楽団の組み合わせはミスマッチではないか? と買ってみたものの連想することは後ろ向きのことばかり・・・・
まあ、「運命」でもチョット聴いてみるか・・・
聴き始めて1分もしないうちに仰天した!
聴く前の不安は完全に打ち消された。何だ!この「運命」の新鮮さは!、溌剌さは!、軽快さは!、そして明瞭な音は!今まで経験しなかった斬新な、陳腐化してない「運命」だ。
この瞬間を境にして、突如”シューリヒト・ファン”となった。今でも、僕の一押しの「運命」は、このシューリヒト/パリ音楽院 盤だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父はオルガン製作者、母はオラトリオ歌手で幼少から音楽に恵まれた環境に育った。32歳から30年以上もヴィースバーデン市の音楽総監督の地位にあった。1944年、64歳のとき、にエルネスト・アンセルメの求めに応じて、スイス・ロマンド管弦楽団に客演した際に、スイスに亡命した。戦前戦後を通じてウィーン・フィル、ベルリン・フィルなどのヨーロッパ各地のオーケストラに客演した。モーツァルトの生誕200年の1956年、ウィーンフィル初の米国演奏旅行が計画され、エーリッヒ・クライバーが同行することになっていた。しかし、クライバーが急逝したため、急遽、演奏旅行の首席指揮者としてシューリヒトが抜擢されるという幸運を掴んだ。シューリヒトは76歳になっていた。同行の副指揮者はアンドレ・クリュイタンスで、このアメリカツアーでのコンサートは大成功を収めた。シューリヒトはかなり高齢になってから世界的名声を得た指揮者という点でギュンター・ヴァントと似かよっている。1880年ポーランドのダンツィヒで生まれ、1967年スイスで亡くなった。今年は生誕130年にあたる。
☆演奏スタイルは・・・
テンポが速く、リズム感があって溌剌とし、軽快な音楽を奏でる。それは厳正に構成され、ロマンティック性を保ちつつ、時には烈しさを増した演奏をする。実に考えつくされた完成度の極めて高いものである。
☆残した録音は・・・
EMIやDecca、コンサート・ホール・ソサエティ盤などで多数のスタジオ録音が残されているほか、放送用録音も盛んに発掘されている。
ブルックナーに名演が残っている。
ブルックナー/交響曲第9番(ウィーン・フィル:61年)
ブルックナー/交響曲第8番(ウィーン・フィル:63年)
モーツァルト/交響曲第36番「リンツ」&第38番「プラハ」(シュトゥットガルト放送交響楽団:60年)
(コンサート・ホール・ソサエティの音源)
・ブルックナー:交響曲第7番 ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団 64年
・ワーグナー:『マイスタージンガー』第3幕への前奏曲 バイエルン放送交響楽団 61年
・シューマン:交響曲第3番『ライン』 シュトゥットガルト放送交響楽団 60年
・J.シュトラウス:ワルツ集 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 63年
・シューベルト:交響曲第9番『グレイト』 シュトゥットガルト放送交響楽団 60年
・ヘンデル:合奏協奏曲 バイエルン放送交響楽団 61年
・ブラームス:交響曲第4番 バイエルン放送交響楽団 61年
・モーツァルト:交響曲第40番・第41番 パリ・オペラ座管弦楽団 64年
・バッハ:ブランデンブルク協奏曲 チューリヒ・バロック・アンサンブル 66年
・メンデルスゾーン:序曲集 南西ドイツ放送交響楽団 62年
☆私見・・・
シューリヒトの演奏は常に真摯で、直球勝負で、聴くものを裏切ったりはしない。このことはきっと、この人の人間性に由来するものだと思う。
by kirakuossan
| 2010-12-04 10:21
| 指揮者100選(完)
|
Trackback