2010年 12月 02日
孤高の文人/中勘助 |
2010年12月2日(木)
中勘助は、わかりやすく、綺麗な日本語の文章を書く人だ。
「島守」という作品がある。信州の野尻湖に小さな無人島がある。そこでの自らの隠遁生活を送った経験を綴った作品だ。
野尻湖はもともと信濃尻湖と呼ばれていたが、それが訛って今の名になった。東の斑尾山と西の黒姫山に挟まれた標高650メートルの高原に位置する。湖の形が芙蓉の花に似ていることから、芙蓉湖という呼ばれることもある。広さは信州では諏訪湖に次いで大きい。
― 夜。鴨の声がしたかとおもって空の光をたよりに浜へおりた。満月が無名樹のまばらな梢にかかって湖畔の岡の裾に霧が幔幕のようにひいている。ただひとりこの月に照らされて湖のはなれ島のわずかな浜べに波をへだてて草ばかりのかなたの岡を眺めてる心は涙といえば涙である。―
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
― 白根颪が無二無三にふく。本陣は一所懸命艪を押しながら この風で鱒がとれるからいいのがあったらもってゆこう という。幾年もまえに山からくる清水の落ち口に彼らの最初の鰭をふった鱒の子はその父となり母となるときがくると稚い(いとけない)ころ乳房を含むことを知らぬその口にはじめて吸った清水の味を思いだしてわが子にもそれを吸わそうとおなじ葦べに寄ってくるのをさし網を沈めてとるのである。―
by ANOWORD
東京神田生まれ。一高から東大文学部へとあゆみ、夏目漱石の高弟。控えめな人柄で、文壇界からは距離を置き派閥にとらわれない孤高の文人であった。野上弥生子の初恋の人としても知られる。
代表作『銀の匙』は漱石が、「落ち着いた書き方だ、大変口調が良い、正直に書いてある」と高く評価した。
『銀の匙』は、2編に分かれており、前編は、大正元年秋、この信州野尻湖畔で書き上げた。また、後編は、大正三年夏に比叡山で書かれた。信州と滋賀、この点においても親近感をおぼえ、非常に興味が湧いてくる。
中勘助は、わかりやすく、綺麗な日本語の文章を書く人だ。
「島守」という作品がある。信州の野尻湖に小さな無人島がある。そこでの自らの隠遁生活を送った経験を綴った作品だ。
野尻湖はもともと信濃尻湖と呼ばれていたが、それが訛って今の名になった。東の斑尾山と西の黒姫山に挟まれた標高650メートルの高原に位置する。湖の形が芙蓉の花に似ていることから、芙蓉湖という呼ばれることもある。広さは信州では諏訪湖に次いで大きい。
― 夜。鴨の声がしたかとおもって空の光をたよりに浜へおりた。満月が無名樹のまばらな梢にかかって湖畔の岡の裾に霧が幔幕のようにひいている。ただひとりこの月に照らされて湖のはなれ島のわずかな浜べに波をへだてて草ばかりのかなたの岡を眺めてる心は涙といえば涙である。―
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― 白根颪が無二無三にふく。本陣は一所懸命艪を押しながら この風で鱒がとれるからいいのがあったらもってゆこう という。幾年もまえに山からくる清水の落ち口に彼らの最初の鰭をふった鱒の子はその父となり母となるときがくると稚い(いとけない)ころ乳房を含むことを知らぬその口にはじめて吸った清水の味を思いだしてわが子にもそれを吸わそうとおなじ葦べに寄ってくるのをさし網を沈めてとるのである。―
by ANOWORD
東京神田生まれ。一高から東大文学部へとあゆみ、夏目漱石の高弟。控えめな人柄で、文壇界からは距離を置き派閥にとらわれない孤高の文人であった。野上弥生子の初恋の人としても知られる。
代表作『銀の匙』は漱石が、「落ち着いた書き方だ、大変口調が良い、正直に書いてある」と高く評価した。
『銀の匙』は、2編に分かれており、前編は、大正元年秋、この信州野尻湖畔で書き上げた。また、後編は、大正三年夏に比叡山で書かれた。信州と滋賀、この点においても親近感をおぼえ、非常に興味が湧いてくる。
by kirakuossan
| 2010-12-02 22:00
| 文芸
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