ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

あのな・・・その2 (i Ca-tyann)

2018年6月21日(木)

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滋賀県知事選がある。二人の立候補で最初から勝負あったような戦いで、もうひとつ盛り上がりがない。そこへ公示された1週間後ぐらいに、かみさんが言った。
「こんど、自民党からも出るんやね、ほやけど1週間も遅れて顔写真が貼られてたわ」
「ふ~ん、ほんなら立候補が出遅れたんかな?」
「調整に手間取ったんとちゃう?」
「そうやな~」
「共産党からも今度二人も出てるわ、珍しいわ~。票割れ狙ったんやろか?」
「?????????」
ここまで聞いていてさすがにおかしいと思い確認しに行った。

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「県会議員選挙.....................、あのな..」


# by kirakuossan | 2018-06-21 07:35 | i Ca-tyann | Trackback

まさにいま、開かんとす。

2018年6月20日(水)

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まさにいま、開かんとす。
ノウゼンカズラ(凌霄花)は夏の季語でもある。

家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな   子規



# by kirakuossan | 2018-06-20 08:11 | アトリエ | Trackback

“サランスクの奇跡”

2018年6月20日(水)

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“サランスクの奇跡”
3強1弱のグループで初戦日本は3強の一角を崩した。W杯で南米チームに勝利するのは史上初。また同グループの最有力とみられていたポーランドがセネガルに1-2で敗れた。これで予選リーグHグループは大混戦、俄然面白くなってきた。

日本2-1コロンビア
(2018年6月19日)


今回のW杯ロシア大会、予選リーグ緒戦からいくつか波乱が起きている。前大会優勝でランキング1位のドイツはランキングの15位のメキシコに敗れ、2位ブラジル、5位のアルゼンチンは引き分けた。
人口30万人のアイスランドではアルゼンチン戦のTV視聴率が99.6%と驚異的で、国民ほぼ全員がTVの前に釘付けになった。あとの0.4%の人はピッチ内にいた?

ドイツ0-1メキシコ
ブラジル1-1スイス
アルゼンチン1-1アイスランド


# by kirakuossan | 2018-06-20 05:45 | スポーツ | Trackback

「本当の音楽」

2018年6月18日(月)

d0170835_21404877.jpgスヴャトスラフ・リヒテルの最後の来日公演は1994年2月、彼が亡くなる3年半前の79歳の時である。飛行機嫌いは有名で、なかなか来日を果たせなかった(もちろん他に大きな理由はあったが)そして彼の初来日もまた例の1970年大阪万博の時であった。それ以降は度々日本を訪れることとなり、調子が悪いとキャンセルを繰返し、何かと話題性の多いピアニストでもあった。しかし「20世紀最大のピアニストのひとり」と日本での人気は高く、リヒテルの名を不動のものにした。


1924年2月、リヒテル最後の来日公演での、サントリーホールのピアノ・リサイタルで聴いたグリーグの「抒情小曲集」のことをいまもときどき思い出す。
なぜなら、あのときの演奏こそ、数少ない「本当の音楽」だと強く思ったからだ。
当日になるまでプログラムはわからないという気まぐれが許される数少ない巨匠だったリヒテルは、いつもの習慣として会場全体の照明を落とし、ピアノの上だけに明かりを置いて、スコアを広げながら、静かにグリーグを弾いた。
それは多くのファンが期待したような華やかな作品とは似ても似つかないものだった。が、淡々とした地味な小品たちを一曲また一曲と弾き進むにつれて、ずっとここでリヒテルの弾くグリーグを聴いていたいと思うほど、強い幸福感に襲われた。
グリーグの「抒情小曲集」は、そういう外面的な世界の正反対の何物かである。言い換えれば、それは詩そのものである。ひけらかしやエゴの表出とは無縁に、四季折々の情景、素朴な暮らしの一場面が、個人の日記のように記されている。その背後には、人はいかにして生きるべきかというグリーグの省察がある。

「リヒテルが教えてくれた本当の音楽」(林田直樹著クラシック新定番より)


d0170835_22135248.jpg私の悪い習癖で、物事を決め込んでしまうところがある。それは自分なりに根拠を持ったものであるが、しかし厳密に考えなおせば、必ずしもそれが根拠といえるだろうか、単なる思い込みではなかろうかといった所詮曖昧なものなのである。
北欧の作曲家といえばやはりシベリウスであり、ほかのライバルは見当たらない。しいて言えばグリーグなのだろうが、彼の音楽はいかにも「通俗的」であり、真の音楽性からすればすこし外れたものである。ピアノ協奏曲イ短調を聴けば感じるが、あの一見してとっつきやすさがそのことを物語っている。(これ自体がそもそも偏見なのだろう)
ところがここでの林田直樹氏のグリーグ観を読むにつけ、その偏見は一瞬にして覆されたのである。


自然は、人間をさまざまな属性から解放し、純粋な一個人へと還元する。そして人を謙虚にさせる。この謙虚さが、グリーグの音楽の持っている「徳」の源なのだろう。

ここに出てくるリヒテル最後の来日公演のわずか4か月ほど前に、同じグリーグの「抒情小曲集」アテネでのライヴで録ったディスクがある。林田氏が数少ない「本当の音楽」と評した演奏を想像しながら、いま聴いているのである。



グリーグ:
スヴャトスラフ・リヒテル - Sviatoslav Richter (ピアノ)
録音: 19 October 1993, Athens, Greece



# by kirakuossan | 2018-06-18 20:07 | クラシック | Trackback

不思議と週末か休み明けの朝に地震は起きる

2018年6月18日(月)

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昨日自宅の扉の鍵をどうやら京阪バス車内で紛失、今朝問い合わせてみると預かっているとのことで、ヤレヤレ。そこでさっそく営業所に貰いに行き、帰り際「気をつけてお帰り下さい」と言われ、「どうもどうも」と外へ出たまではよかったが、その途端、突如ドカーンときた。
屋外でもあれほどの揺れを感じるほどだから、部屋の中にいたら相当のショックだっただろう。鳥も地面で暫く首をかしげてじっとしておった。
しかしなぜか不思議と週末か休み明けの朝の通勤時間帯に地震は起きる。


午前7時58分ごろ、大阪市北区、大阪府高槻市、枚方市、茨木市、箕面市で震度6弱の地震があった。震源地は大阪府北部で、震源の深さは約13キロ。地震の規模はマグニチュード(M)6・1と推定される。大阪府で震度6弱を観測したのは観測態勢が整った1923年1月以降で初めて。今回の地震の震源地周辺には「有馬-高槻断層帯」があり、地震と関係している可能性があるとされるが、この断層付近では1596年に慶長伏見地震が起きており、マグニチュード(M)は7・5だったと考えられている。それ以来の大地震かもしれない。
# by kirakuossan | 2018-06-18 17:45 | 偶感 | Trackback

「一生青春」はいいんですけど・・・

2018年6月17日(日)
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松井君の丸眼鏡をちょっと拝借して一枚。
2か月ぶりの再会は同じ京都駅前でも今日は新規開拓の焼き鳥屋で一杯。一杯どころか純米白鹿の澗酒が何本も空きました。
「一生青春」はいいんですけど・・・それにしても吾輩、もうさすがに爺ちゃんですな...こうして見ると...

# by kirakuossan | 2018-06-17 19:46 | 偶感 | Trackback

かぶ奮戦記 さてここからは。。。

2018年6月17日(日)

日経平均株価 月足

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日経平均は今年に入ってから乱高下を続けながら、右肩上がりとはいかなくともとりあえずは横ばいで株価を維持してきた。そして再度23,000円を伺う動きになってきた。本格的にネットで株取引を始めたのが、昨年9月からだが、このチャートで見ればタイミングよくちょうど大きな陽線が立ちはじめる手前からスタートしたのが分かる。8月末の日経平均株価が19,646円、そして先週末の終値が22,851円ということだから、16.3%の上昇をみた。しかし、吾輩の実績は、といえば年利換算しても二桁どころか、日経平均の伸びの半分にも届かない。たしかにダイト(4577)、島津製作所(7701)あたりでだいぶ稼がせてはもらったが、如何せん片方でデンソー(6902)やトプコン(7732)あたりでが大幅な下落となって動くに動けず塩漬け状態にある株が足を引っ張った。しかしトプコンの業績は堅調だし、たしかにデンソーは今期減益見込みだが、それも一過性であって必ずや復活するとみとおり心配はしていない。
ところで好決算にもかかわらず、今年に入って極端に下げ続けている銘柄がある。これらはこれから狙い目である。ニコン(7731)日本工営(1954)セイコーエプソン(6724)あたりに目をつけている。
ただある程度値幅が大きく動く銘柄が魅力的で、リスクもあるが妙味も多い。最近ずっと見ていてアサヒGH(2502)が面白い。日替わりで日に100円以上の差で高下している。

アサヒGH(2502)日足

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18/06/15 始値5,707高値5,737安値5,670終値5,702+6出来高1,590,000

この1か月間で5,500~5,900円のボックス圏で推移、ここにきて再度上放れしそうな気配だ。週明けから要注目である。

もうひとつこれから注目しようとしているのがアドバンテスト(6857)これも今期業績は急回復する見込み。しかし株価は先週末までに下げに下げてここ1か月で500円下げた。窓空きもしっかり埋めたしもうそろそろ底値ではないだろうか?


アドバンテスト(6857)日足
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18/06/15 始値2,374 高値2,386 安値2,320 終値2,322-102 出来高5,034,600

以上、この2銘柄から目を離せない。はたして成果のほどは?



# by kirakuossan | 2018-06-17 09:51 | | Trackback

で、サッカーはさておき、さっそく彼女の歌声を満喫している。

2018年6月16日(土)

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W杯ロシア大会が昨日開幕した。いつもなら”俄かサッカーファン”となって必死で日本を応援するところだが、どうしたことか、今回はまったくそんな気持ちが湧いてこない。それどころかほんのつい最近までワールドカップが6月から始まることすら知らなかった。(また本田かいな?代わり映えしないな~が本音)
そんなんでもちろん開幕式のセレモニーも観ていないが、ここで歌姫アイーダ・ガリフッリーナが美声を披露したらしい。というのは今朝のNMLの新着タイトルで「グノー/ドリーブ/リムスキー=コルサコフ/チャイコフスキー/ラフマニノフ:ソプラノのための作品集」というのが目にとまった。ここで素晴らしい歌声を聴かせるプリマドンナが彼女だ。
ガリフッリーナはCDのレーベル(Decca)から次のように紹介されている。

d0170835_07185763.jpgロシアのカザンから来たアイーダ~アイーダ・ガリフッリーナ、デビュー!
2012年8月、イタリアのジェノバ近くにあるリビエラ海岸の真珠と呼ばれる町ポルトフィーノで行われたアンドレア・ボチェッリの野外コンサートで、ロシア人歌手がセンセーションを巻き起こしました。コンサートのプロデューサー、デイヴィッド・フォスターが公演のインターミッションで、観客の中から皆の前で歌う人を募ったところ、東洋的な女性がステージに登場したのです。女性は「ロシアのカザンから来たアイーダ」と名乗り、「私のお父さん」を歌いました。観客は満場総立ちになって拍手喝采し、デイヴィッド・フォスター氏は驚きを隠すことができませんでした。その歌手こそ、カザン出身でウィーン音楽院の卒業生、アイーダ・ガリフッリーナだったのです。彼女はその後2013年ドミンゴ・コンクールで優勝し、ウィーン国立歌劇場、マリインスキー劇場、などで絶賛を浴びています。デビュー盤となる当盤では彼女が得意とするアリアを録音。チャーミングで心地よい親密な歌声をお楽しみいただます。



で、サッカーはさておき、さっそく彼女の歌声を満喫している。


ソプラノのための作品集(ガリフッリーナ)Vocal Recital (Soprano): Garifullina, Aida - GOUNOD, C.-F. / DELIBES, L. / RIMSKY-KORSAKOV, N.A. / TCHAIKOVSKY, P.I. / RACHMANINOV, S. (Aida)
アイーダ・ガリフッリーナ - Aida Garifullina (ソプラノ)
ウィーン放送交響楽団 - Vienna Radio Symphony Orchestra
コルネリウス・マイスター - Cornelius Meister (指揮)
録音: May 2016, ORF Große Sendesaal, Vienna, Austria



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https://youtu.be/OaR48Ig5SAA
https://youtu.be/z6WudgH52T0





追記:
2018年6月17日(日)

一夜あけて気がついたが、このCDでウィーン放送交響楽団を指揮しているのがコルネリウス・マイスターではないか。なんと今度29日にマーラーの「復活」で読響を振るあのマイスターではないか!
そんなことで、今朝また聴き直している。



# by kirakuossan | 2018-06-16 07:19 | クラシック | Trackback

リストのマニフィカト

2018年6月15日(金)

いい曲、なんの曲。

フランツ・リストは若い頃からダンテの愛読者であった。1837年、26歳時にピアノ曲「ダンテを読んで」(『巡礼の年』第2年)の第1稿を書いている。リストが作曲した2つの標題交響曲のうち「ファウスト交響曲」に次ぐ2作目「ダンテ交響曲」を1856年に完成させた。
この曲は「序奏」と「フーガとマニフィカト」からなる2つの楽章で構成されるが、2楽章後半の「マニフィカト」が心洗われる。リストは、天国の喜ばしさを音楽で現わそうとしたが、ワーグナーが「天国を表現することは不可能である」と述べ、そこでリストは《天国を仰ぎ見つつ終結する》かたちをとった。
ピアノ曲「ダンテを読んで」が「地獄」を音で表わしたものならば、この「マニフィカト」は「天国」を表現しようとした。
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リスト:
「ダンテ交響曲」より序奏、フーガとマニフィカト S109/R426より
ベルリン放送女声合唱団 - Berlin Radio Chorus, female section
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 - Berlin Philharmonic Orchestra
ダニエル・バレンボイム - Daniel Barenboim (指揮)



# by kirakuossan | 2018-06-15 22:51 | いい曲、なんの曲 | Trackback

全国10番目の「古都」指定

2018年6月14日(木)

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~大津市・全国10番目の「古都」指定~ の看板。
夕食後の散歩。折り返し点の京阪石山寺駅まで来て、いつも前を通っているのに今日初めて気づいた。
で、
京阪石山寺駅からの帰り道、その「古都」は何処なのか? いろいろ思い浮かべながら戻って来た。
京都市、奈良市、鎌倉市、明日香村、盛岡市、福岡市、そして大津市、う~ん、あとは出てこない。

正解は・・・

古都指定
日本の法律において「古都」は「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」で「わが国往時の政治、文化の中心等として歴史上重要な地位を有する京都市、奈良市、鎌倉市及び政令で定めるその他の市町村」と定義しており、「政令で定めるその他の市町村」については政令(古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法第二条第一項の市町村を定める政令)で「天理市、橿原市、桜井市、斑鳩町、明日香村、逗子市及び大津市」と規定している。これは住環境保全運動が制定の契機となった法律で、施行の対象を通念としての「古都」に限定するものではない。

【Wikipedia参照】

大津市が入っているとは知らなかったので、実質正解は4つ。

それほどの由緒ある所なのに、日ごろから感じていることだが、滋賀県や大津市はアピール力が不足している。もっともっと皆で知恵を出し合って、情報発信しなければならない。自分が知らなかったから言うのではないが、県・市の努力不足。
それから何度も書くが、石山寺は入場料・駐車場料金をもっと低料金にする努力をせよ! 600円+600円=1200円はあまりにも暴利である。何となく年々石山寺の参拝客が減っているような気がする。ガラガラの駐車場に高齢者の従事員の多さだけが目につく。これも寺・市の勉強不足努力不足。


# by kirakuossan | 2018-06-14 20:01 | 近江抄 | Trackback

リヒャルト・シュトラウス、絶対音楽から標題音楽への過渡期の作品

2018年6月14日(木)

いい曲、なんの曲。

d0170835_17054824.jpgリヒャルト・シュトラウス(1864~1949)は交響曲を4曲書いた。よく知られるのは家庭交響曲(1903年39歳)とアルプス交響曲(1915年51歳)だが、その前に若くして、16歳で交響曲ニ短調を、20歳で交響曲第2番ヘ短調 を書いている。そのあと、1886年、彼が22歳の時に、交響的幻想曲「イタリアから」という佳作を作曲している。この作品は今ではほとんど省みられないが、シュトラウスが絶対音楽から標題音楽へ創作の中心を移して行く時期の過渡的な作品として重要な位置にある。表題はこそ「イタリア」とつけたが、楽曲は描写的な表現はなく、ソナタ形式や三部形式で構成されたの絶対音楽とみなされる。
第1楽章:「カンパーニャにて」三部形式 
第2楽章:「ローマの遺跡にて」ソナタ形式
第3楽章:「ソレントの海岸にて」自由なソナタ形式
第4楽章:「ナポリ人の生活」ソナタ形式

第4楽章ではきき慣れた「フニクリ・フニクラ」のメロディが出てくるが、この楽曲では特徴あるトランペットとホルンの駆け合いがユニークな第1楽章、そして美しい旋律の第3楽章が好きだ。
わずか22歳で書き上げたこの作品から、すでにシュトラウス独自のオーケストレーションが感じ取れる。それはマーラーとはまた異なった温暖質の音色である。
この作品のあとに、「ドン・ファン」(1888年)ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら(1896年)、そして「英雄の生涯」(1898年)へと交響詩の作品群が連なっていく。



リヒャルト・シュトラウス:
シュターツカペレ・ドレスデン - Dresden Staatskapelle
ルドルフ・ケンペ - Rudolf Kempe (指揮)

ここでの演奏はリヒャルト・シュトラウスの作品の演奏に定評のあったルドルフ・ケンペ。今日は彼の生誕日である。



# by kirakuossan | 2018-06-14 16:21 | いい曲、なんの曲 | Trackback

新たに、有馬&山中

2018年6月14日(木)

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ポイント・バケーション・リロから新たに追加となった施設案内が送付されてきた。7月に有馬温泉、8月に山中温泉がオープンする。どちらも自前の新しい施設ということでますます充実されることになる。
有馬温泉は、当温泉ならではの「金泉」で、いわゆる有馬の湯が満喫できそうな露天風呂だ。一方、加賀山中温泉もは芭蕉が親しんだほのかな匂いが特徴の硫酸塩泉。どちらも名高い温泉が身近に楽しめるとあって、これはまた機会をみて早晩訪れることになるだろう。


# by kirakuossan | 2018-06-14 15:33 | 温泉 | Trackback

米朝首脳会談報道を見て

2018年6月13日(水)

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今回の米朝首脳会談ではテレビ各局が揃いも揃った報道を行なっていた。どの局も専門家と言われる連中たちが”知ったかぶった”自説を披露するのを得意がっているようなのが多かった。そこで共通することは、いつものことながら、ネガティブな話題になると皆口角泡を飛ばし先を競って喋るが、ポジティブな事柄が出てくるとかえって一斉に場が静まりかえるといった傾向にある。その点、山本浩之アナが進行する「ちちんぷいぷい」がミーハー報道に徹していてかえっておもしろかった。


橋下徹氏が「米朝首脳会談を評論する愚」と題して、PRESIDENT Online で語っている。

北朝鮮問題なんて、これは官僚組織の一担当者が扱えるレベルでないことは誰にも分かる。なんと言っても、まだ朝鮮戦争は継続中なんだよね。今休戦しているだけ。そして北朝鮮という超独裁国家において核兵器が着々と準備されているんだから。
こんな問題を解決するのに官僚組織の一部局、ましてや一官僚が対応できるわけがない。今回の米朝首脳会談については、特に新聞を中心に、出てくるわ出てくるわ、色んなインテリたちが持論を述べていた。でもね、ほとんどのインテリは、自分たちの領域と役割というものを分かっていない。
どの部分を政治家であり、国家のトップであるトランプのおっちゃんが担って、どの部分を専門家である官僚組織やインテリが担うのかの整理が必要で、まずそこをしっかりと整理するのが自称インテリの役割なんだ。トップと組織、政治家と官僚の役割分担論ね。ところが、政治家がやらなければならない領域にまで口を出して、トランプのおっちゃんのやっていることを全否定する自称インテリも多いね。
このように急展開で米朝首脳会談が実現することになったけど、米朝首脳会談が決定するまでは、また決定した後も、会談を行うトランプはバカだ、アホだと偉そうに罵っていた自称インテリが多かった。準備不足だ、戦略欠如だ、ともっともらしいことを言ってね。
でもこんな戦争にもなりかねない大きな問題を解決するのに、国のトップが会談する以外に、どんな方法があるというのか。




d0170835_22235026.jpg実は今回の会談前に二人はすでに会っていた??

# by kirakuossan | 2018-06-13 22:26 | 偶感 | Trackback

「敗れても 敗れても」

2018年6月11日(月)

ここに小磯良平が描いた一人の人物がいる。島田叡。戦場の知事と呼ばれた第27代沖縄県知事である。
就任の第一声を受けて沖縄県庁の職員たちはみな感激した。


d0170835_08435992.jpg「情勢は、非常に緊迫しております。これは壁に向かって駿馬を駆り、そのまま突っ込んでいるようなものです。果たしてうまく壁のところで止まるか、それとも壁にそのままぶち当って人馬ともに斃れるか。そういう真に緊迫した状態にあります。諸君も、そういう気持ちを忘れずにやっていただきたい」
新しい若き知事は、なんとも不思議な譬えをする人物だった。だが、この人となら一緒にやれる。多くの職員にそんな勇気をもたらしたのは確かだった。
(この知事は、前の知事とは違う・・・)


米軍の攻撃が迫っている沖縄で、陣頭指揮どころか知事公舎の防空壕に籠りきりになり、はては県民を見捨てて本土へ逃げ帰った泉前任知事に代わって、急遽あとを任された島田叡(1901~1945)は、赴任するやいなや、限られた時間内で着々と県民のために尽くした。県民の沖縄北部への疎開を推し進め、あるいは敵の兵糧攻めにあうことを危惧し、海上の治安が危ういなかを台湾まで出向き、米を確保した。
米軍が沖縄本島に上陸するまでわずか2か月、そこでの島田がおこなった県政はいまも語り草となっている。
そして、1945年(昭和50)6月、沖縄最後の官選知事島田叡は、信頼する沖縄県警察部長の荒井退造とともに摩文仁の激戦地で消息を絶った。

島田叡が沖縄県知事の職を引き受けた心情は、彼の座右の銘でもある石川啄木の歌にある。


こころよく 我にはたらく 仕事あれ
それを仕遂げて
死なむと思ふ



島田は学生時代、東京帝大野球部で俊足巧打の外野手として鳴らした名選手だった。野球部のために高等文官試験の受験を一年棒に振るという自己犠牲を示した人物でもある。


門田隆将「敗れても 敗れても ~東大野球部百年の奮戦」





【新聞に喝!】
「活動家」になり果てた2紙の新聞記者 その使命は「煽情記事」を書くことか 
作家・ジャーナリスト 門田隆将
2018.6.3 06:56 産経

このネット記事を読み、ノンフィクション作家門田隆将(1958~)の存在を初めて知った。『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社2003年)でデビュー、その後、戦時下の様子を書いた作品や福島原発を題材に取った『「吉田調書」を読み解く―朝日誤報事件と現場の真実』(PHP研究所2014年)またほかに多くの野球もの小説も書いて来た。

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最初に読んだ『神宮の奇跡』がたいへん面白かったこともあって、続く2冊目は先月発刊されたばかりの新刊『敗れても 敗れても ~東大野球部百年の奮戦』を手にしている。どちらも僕の好きな「大学野球」が題材になっていて、スラスラと読み進められる。




# by kirakuossan | 2018-06-11 19:00 | 文芸 | Trackback

立命館大辛勝で初戦突破。

2018年6月11日(月)

第67回全日本大学野球選手権大会が今日から始まった。開幕試合に登場の立命館は、初戦の近畿勢同士対決、辛うじて奈良学園大を振り切った。明日の2回戦は昨年準優勝の国際武道大(千葉県大学連盟)、これを勝ち抜けばベスト4の戦いで、東都リーグ覇者の東洋大との対戦の可能性が浮上してくる。明日の一戦は重要だ。
ほかに注目校としては、唯一の国立大である広島大(広島六大学)が17年ぶりにリーグ戦を制し、本大会は35年ぶり3回目の出場、37回の最多出場東海大(首都大学)は3年ぶりの出場。

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<1回戦>
立命館大100021000=4
奈良学大100000101=3

5回の辰巳涼介外野手の2点タイムリーが効いた。やはり頼りになるキャプテンだ。





追記:
2018年6月12日(火)
<2回戦>
立命館大000000000 = 0
国際武道 00000020x =2

投手力の差が出た。相手の平川投手の前に2安打では、そら勝てんわな...




追記:
2018年6月13日(水)

今日は優勝候補の東洋大(東都大学連盟)が伏兵九州産業大(福岡六大学)に敗れる波乱があった。しかもよもやの7回コールド負け、誰が予想しただろう。それだけ全国のレベルが平均化して来ているということ。

<2回戦>7回コールド
東洋大0001020 =3
九産大0340102x =10


# by kirakuossan | 2018-06-11 11:45 | スポーツ | Trackback

クスノキ上部にも新しい枝が。。。

2018年6月10日(日)

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アトリエのクスノキの新芽は中段だけでなく上部の幹からも分かれて新しい枝ぶりを見せている。その先に下向き加減だが青々とした若々しい葉が茂って来た。いよいよクスノキの復活だ。嬉しい。

今日は娘の誕生日





追記:
2018年6月12日(火)

たしかに樹形も整ってきました。
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# by kirakuossan | 2018-06-10 21:08 | 偶感 | Trackback

「神宮の奇跡」 ⑤

2018年6月9日(土)

東都大学野球1958年(昭和33)秋のリーグ戦。第5週までの戦績は、①日本大学4勝(勝点2)⓶専修大学4勝2敗(勝点2)③駒沢大学4勝4敗(勝点1)④中央大学3勝3敗(勝点1)⑤学習院大学3勝4敗(勝点1)⑥東京農業大学1勝6敗(勝点0)であった。開幕前は、同年の春を制した中央大、それに専修大、日本大の3校が優勝候補に挙げられ、5週のこの時点では日本大と専修大が有望視されていた。ところが学習院大が全勝の日本大にまさかの連勝をし、俄かに様相は変わって来た。①専修大6勝3敗(勝点3)⓶駒沢大7勝5敗(勝点3)③中央大・日本大・学習院大がそれぞれ5勝4敗(勝点2)
この時点で駒沢大が学習院大に勝ち点を挙げれば初優勝に近づくということで、いよいよリーグ戦は混とんとしてきた。ところが学習院大はその駒沢大に根立、井元の二本柱が立ちはだかり、3回戦で井元投手が6-0と完封勝利を収め、駒沢大の初優勝の夢を打ち砕いた。それは同時に、ひょっとしてひょっとする学習院大の優勝の可能性も残す勝点3の奪取であった。そしてトップを行く専修大に日本大が勝ち点を奪い、いよいよ怪しくなって来た。


波乱に富んだ昭和三十三年東都大学秋季リーグ戦は、最終週で中央・専修がともに優勝の可能性を残して激突した。
専修が勝ち点を上げれば、もちろん優勝。中央が優勝するには、専修に連勝しなければならない。
問題は、中央が二勝一敗で専修を倒した場合だった。
この時、実に勝ち点三で五チームが並ぶという前代未聞の事態となる。そして勝率の関係で、中央、日大、学習院の三チームが「七勝五敗・勝ち点三」で完全に並ぶという予想もしなかった結果が生まれることになる。
この場合、勝ち点は同じ「三」だが、駒沢と専修は「八勝七敗・勝率五割三分三厘」となり、中央、日大、学習院の「五割八分三厘」に及ばず、優勝圏外に転落するのである。
ネット裏では、「専修の優勝が一週のびただけだろう」という予測が大半だった。


優勝のかかる専修大vs中央大戦で、絶対のエース坂井で初戦をものにした専修大だが、何を焦ったか、続く2回戦でも1回戦で延長10回まで投げた坂井を連投させた。そしてまたもや延長となり、13回に専修大がサヨナラ負けを喫する。
専修大はここで力尽きた感じで、3回戦で1-2で敗れ、まさかまさかの三つ巴優勝決定戦が現実のものとなった。
ところが優勝決定戦の三つ巴の戦いは2度繰り返されるが決着つかず。連盟の判断は「優勝預かり」を決定しようとしていた。

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連盟側から案の定、「優勝預かり」が提案された。
すでに野球をやれる環境ではない。とにかく寒すぎる。優勝預かりやむなし、だった。中央、日大はともに了承した。
だが、その時、学習院のマネージャー松木が口を開いた。
「もう一度だけ、もう一度だけやりましょう」
学習院は前年、柳谷部長が東都大学野連盟の理事長、そして松木が連盟の総括マネージャーを務めていた。二人とも連盟の運営については、すべて知り尽くしていた。
「・・・・・・・」
一瞬の沈黙が流れた。
「そうは言っても球場が・・・」
すでに十一月も下旬だ。神宮球場をこれ以上使うことは許されていなかった。球場がなければ、さすがに優勝決定戦もない。
その時、松木は、こう言った。
「駒沢球場があります」
東映フライヤーズの本拠地である駒沢球場は、プロ球団がフランチャイズにしているだけのことはあって、この十一月下旬が来てもまだ「使用可能」だった。
当時の駒沢球場の場長だった田沢八十彦は東都大学リーグに理解の深い人物だった。あらかじめ松木は、駒沢球場を使わせてもらえるか、田沢に電話を入れていたのだ。
「せっかくこれだけの注目を集めているのですから、もう一度だけやりましょう」
球場まで用意されていては、中央、日大としても、拒否できる理由は見つからない。各大学とも授業を休講にしていた。そのため、学生は心おきなく応援に駆けつけることができた。優勝決定戦は、学生たちにも評判が上々だった。
「仕方ない、やるか・・・」
中央と日大のマネージャーが目と目を合わせて頷いている。
連盟の総括マネージャーを前年に努めた松木の貫禄勝ちだった。この席に来るとき、松木は、
「松木、絶対に続けさせろよ!」とナインから言われていた。学習院の面々は、闘志満々だったのだ。


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決定戦続行の知らせを聞かされた中央と日大ナインたちは「えッ?」「本当か?」といったのが偽らざる本音であった。すでにこの時点で勝敗は決した。
学習院大学野球部が悲願で唯一の優勝を手にした。それは1958年(昭和33)11月も押し迫った25日のことであった。



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学習院大学が奇跡の優勝を果たしたその翌日、1958年(昭和33)11月26日午前9時、宮内庁から発表があった。「明日11月27日午前10時から、皇居東の間において皇室会議が開かれる。議題は、皇太子殿下の婚姻に関する件である」


皇太子のご婚約は学習院の優勝と同じく大逆転劇であり、不思議なほど、学習院の優勝への戦いと同時進行している。
当初、連続して勝ち点を落とした学習院が覇権に向かって歩み始めるのは、十月に入ってからである。あきらめず、こつこつと立ち向かっていった学習院ナインが、同率首位に這い上がり、優勝決定の三つ巴戦への参加が決まるのは、十一月八日のことだ。それは皇太子が電話攻勢でやっと美智子の心を動かした時期と重なる。
また、皇太子が正田家から婚約承諾の知らせを受取った日の翌十一月十四日、学習院は優勝を九分九厘決めていた中央を逆転し、穴沢のサヨナラヒットで二度目の優勝決定シリーズに持ち込んでいる。
そして、前述の通り、宇佐美宮内庁長官が、天皇家の正式な使いとして正田家を訪問する十一月二十一日、学習院は再度の優勝決定戦で初優勝をかけて中央に挑み、皇太子はこの闘いを神宮球場のスタンドから見つめた。
それは、それまで逆転に賭けて突き進んだ皇太子と学習院大学野球部が見事に”クロス”した瞬間だった。
皇太子はこの時、愚直に、誠実に、戦いを挑む後輩たちに対して、心からの拍手と声援を送っている。ひょっとしたら皇太子はその時、母校のために戦う後輩たちと自らを重ね合わせていたのかもしれない。
あの時に見せた皇太子の心からの笑顔には、おそらく逆転を成し遂げた自身の輝かしい未来への夢と希望も含まれていたのだろう。
皇太子殿下と学習院大学野球部―両者が大願を成就させたのは、あの小金井の学習院仮校舎の光華殿前広場で、皇太子と草刈が、戸田侍従に野球の手ほどきを受けてから十二年後のことだった。

門田隆将著「神宮の奇跡」



学習院大学野球部が3度にわたる三つ巴の優勝決定戦を制した1958年(昭和33)は長嶋茂雄選手が4打席4三振でデビュー、 富士重工業が「スバル・360」を世に出し、「チキンラーメン」なるものが登場し、 東京タワーが竣工、東京 - 大阪間に特急「こだま」が姿を見せ、聖徳太子の1万円札が流通もした、まさに新しい時代の幕開けを予感させる年であった。
今、学習院大学野球部は東都大学の3部リーグにあるが、1982年秋の3部降格後、2部リーグへの復帰は一度もない。2015年秋、久し振りの3部リーグ優勝、そして続く2017年の秋季リーグにも優勝、2部最下位の東京農大相手の入れ替え戦では緒戦に先勝、2戦目は逆転負け、3戦目は延長戦にもつれ込む大接戦となったが惜しくも敗れ、2部昇格はならなかった。そして今春のリーグ戦も勝ち点4で順天堂大と優勝決定戦まで進んだが敗れ2位になった。最近徐々に力をつけてきており、近いうちに2部昇格が実現、往年の雄姿を取り戻すかもしれない。



# by kirakuossan | 2018-06-09 15:31 | 文芸 | Trackback

防御率でトップに躍り出た。

2018年6月9日(土)

「先発ルーキー東 救世主になれるか?」
中6日で登板するベイスターズ東克樹投手の投球を観るのを愉しみにしている。今回は雨で登板が1日延びて中7日となって、休養充分。そんなこともあってか最初はボールが高めに浮いたが、そこはいつものように試合途中で修正、1点先行されるも、いつも東投手が先発のとき援護射撃してくれる宮崎敏郎選手が逆転2ラン、ベイスターズが5-2で日ハムを下した。東投手は6回を投げて今日も9奪三振を奪い、チームトップの5勝目を挙げた。交流戦に入ってから低調、2年ぶりの5連敗で6月になってまだ白星がなかったベイスターズの窮地をまた東が救った。そして昨日で、何と防御率でトップに躍り出た。それもセパ通して1位だ。もうここまでくればまぐれではすまされない。そして本当にはや新人王が見えてきた?!
(2018年6月8日)


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セ・リーグ防御率順位
1 東 克樹(De)2.01
2秋山 拓巳(神)2.09
3メッセンジャー(神)2.20

パ・リーグ防御率順位
1上沢 直之(日)2.10
2岸 孝之(楽)2.10
3石川 歩(ロ)2.54




中六日の登板だから、1週間に1度観られる。このまま行くと次回は15日京セラドームのオリックス戦だ。

# by kirakuossan | 2018-06-09 07:16 | スポーツ | Trackback

「神宮の奇跡」 ④

2018年6月8日(金)

1952年(昭和27)の春、学習院大学野球部は入れ替え戦で國學院大學を破り、悲願の東都野球リーグ1部入りを果たす。それから6年、苦戦しながらも一部に留まり、ようやく優勝候補チームにも勝利するほどの実力を蓄えるようになる。ところが1958年(昭和33)の春季リーグ、優勝候補の日本大学、中央大学から3勝を挙げる好スタートを切ったにもかかわらず、結局このシーズンはこの3勝だけにとどまり9敗して勝点1で最下位という思いがけない結果となってしまった。
入替え戦の相手は調子の波に乗る芝浦工業大学。学習院大学は初戦をエース井元俊秀の先発で臨むも2-4と落とす。続く2回戦は1年生投手の角原佑一、3年生の井元俊秀、最上級生の根立光夫の継投で3-1でどうにか勝利し、いよいよ雌雄を決する3回戦、場所を駒沢球場に移して行われた。この試合も井元が先発、3回から根立にスイッチ、緊迫した投手戦で0-0のまま延長戦へ。ところが10回で突如試合は終了となる。それはこの後、同球場でプロ野球の試合があるため、時間切れ引分けになったのだ。
1勝1敗1引分けのあと、4回戦が6月17日同じく駒沢球場でプレーボールとなった。学習院大学の先発は2年生の秋山正、しかしその作戦は裏目に出て、1回裏からピンチを迎え、早くも4年生の根立をマウンドに送った。しかし初回から3点を奪われ苦しい展開に。すかさず2回に学習院も2点を返し、食い下がる。ただこの時、二塁ランナーで一気にホームへ突っ込んだ根立投手がベースタッチした際に右指の爪が剥がれてしまう・・・
根立は「自分の代でチームを2部に降格させるわけにはいかない、一部に引き上げてくれた草刈先輩に申し訳ない」といった思いつめた心境で、ボールは血に染まりながらも、痛みをこらえて投球する。しかしさすがに球威は落ち、3回に2点を追加され、2-5と劣勢に。しかし次の4回に学習院は2点を取り返し4-5と追いすがる。そして7回に、相手投手の乱調に加え、学習院の打線にさらに火がつき、7-5と逆転に成功した。しかしその裏、芝浦工大の粘りに1点差に詰め寄られ、ここで根立から井元へスイッチした。いよいよ試合は死闘の様相を呈してきた。

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ブルペンにいた井元は、根立の負傷を知らなかった。一年先輩で、温厚な根立を井元は尊敬していた。偉ぶるところが微塵もなく、ただ黙々と練習に打ち込む根立の姿は、一年下の井元の目標となっていた。
その根立が降板した。一点差。ランナーを二人残して自分に命運が託された。
やるしかない。井元は覚悟を決めた。
負ければ地獄。二部落ちである。
井元は、ストライクゾーンのぎりぎりを突くコーナーワークが身上だ、だが、相手も井元の配球は、先刻承知している。
バッターは当っている五番の伊藤だった。今日、すでに三安打している。
芝工大で最も危ない打者である。だが、勝負を避けて四球を与えてしまえば、満塁になる。六番の景山もこの試合すでに二安打四打点を上げて絶好調だ。
満塁で景山と勝負となったら、どうなるかわからない。
行くしかない。伊藤と勝負だ。井元はそう思った。
だが、伊藤は選球眼がいい。なかなか、くさい球に手を出してくれない。
外角を見極められ、ついにフルカウントになってしまった。ここでフォアボールは致命傷である。
内野から声が飛ぶ。
「打たせろ!俺たちに任せろ!」
田辺の声だった。
ファーストの江野沢からも声が聞こえる。
「大丈夫だ。思いっきり投げろ!」
サードの穴沢からは「PL!]という叱咤が聞こえた。
「PL!大丈夫だ。思い切って行け!」
そうだ。思いきり行くしかない。信じられるのは、自分の力だけだ。ここは投げるしかない。
外角のストレート。
これしかない。フルカウントから甘い球は投げられない。
渾身の力を込めてこれを投げよう。この球が打たれたら悔いはない。真っ向から勝負だ。
井元はそう思った。果たして、小幡が出したサインは、「外角ストレート」だった。
その球を半世紀経った今でも井元は忘れることができない。
井元のサイドハンドから放たれたスピードボールは、外角ぎりぎりに構えた小幡のキャッチャーミットに、糸を引くように吸い込まれた。
バッターは手が出なかった。ボールと思って見送ったのか。それとも・・・。
それは、どちらにジャッジされてもおかしくないボールだった。
「ストライク!」
一瞬の沈黙の後、高見球審の手が上がった。
どっというどよめきが起こった。
「あれは、大学時代に僕が投げた球で最高の球でした。いや人生で一番の球でした。あれ以上のボールを僕は野球人生で投げていません」
井元は、七十歳を越えた今も、その球のようすを生き生きと再現する。年月を経ても、その時のボールの軌道が頭から離れないのである。
それはまさに「人生最高の球」だった。
土壇場で発揮された勝負強さ。それは修羅場をくぐって来た男の強さ以外の何ものでもなかった。

門田隆将著「神宮の奇跡」




結局、学習院大学は8-6で勝利し、一部に残留した。井元俊秀投手の投げたその球が学習院を救った。もしここで負けていたら、学習院のあの秋の奇跡は起こらなかった。


つづく・・・



# by kirakuossan | 2018-06-08 21:53 | 文芸 | Trackback

「神宮の奇跡」 ③

2018年6月8日(金)

引き揚げで日本へやっとの思いで辿り着いた井元俊秀は義母が「ひとのみち教団」(PL教団の前身)の信者だった影響で佐賀の鳥栖に行き、鳥栖の小学校へ通い、やがて全国のPL教団の寮を転々としながら野球好きの少年に育っていく。
1952年(昭和27)、東京の都立戸山高校に入学、勉学に野球に励んでいると突然、大阪に戻ることになる。富田林にPL学園を開校することになり、代々木のPL寮は閉鎖することになるからだ。
造成中のPL学園にやって来ると一期生は男子が13名、女子が8名のわずか21名しかいなかった。1955年(昭和30)4月、PL学園高校が開校、井元は改めて高校3年生となった。


井元はさっそく野球部をつくった。しかし、造成中の学校では、練習のできるグラウンドさえままならない。だが、それでよかった。
とにかく井元は、硬球を握りたかったのである。無理やりつくった野球部で、井元はピッチャーとなった。井元は、PL学園野球部の”創設者”であり、同時に初代の”エース”となった。
しかし、ろくに経験者もいないこの野球部は、おそろしく弱かった。ブルドーザーが一年中、土地を造成している横のでこぼこのグラウンドで野球の練習をしているのである。野球用具が貴重だったこの時代、バットは三本、グローブは全部で七個しかなかった。強くなれと言う方が無理だった。
PL学園野球部は、府立堺工業高校(現・府立堺工科高校)に練習試合を申し込み、栄えある最初の対外試合がおこなわれた。井元が必死で投げて四対四で引き分けた。
次に富田林高校と練習試合を組んだ。今度はボロ負けだった。大量十一点を奪われ、味方が取ったのは一点だけだった。

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やがて井元は大学進学を迎えるが、実の両親がいなく、身寄りをPL教団に委ねている身では教主の意見に従うしかなかった。一期生で進学を望む者は一人一校だけ認めようという許可であった。しかもその条件は誰もが”さすが”と認めるような大学に限られた。中央大学、早稲田大学・・・と一人一人希望を告げ、井元は御木徳近教主の養女が在籍している学習院大学を選んだ。それは以前、都立戸山高校で野球の練習をしている時に、グラウンドで当時の学習院大学野球部の渡辺大陸監督に「君、学習院で野球をやらないか」と声をかけられたことからもきている。
ただ、井元が学習院の野球部に入る直前、渡辺監督は急逝しており、井元との再会は実現しなかった。


門田隆将著「神宮の奇跡」


つづく・・・



# by kirakuossan | 2018-06-08 07:01 | 文芸 | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


by kirakuossan

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