信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。 当ブログ名は2018年7月1日をもって「のんきなとうさんの蓼科偶感」に変更いたしました。


by kirakuossan
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2018年12月11日(火)

北京五輪男子リレー、日本2位に「銅」から「銀」に繰り上がり
2018/12/11 20:10 共同通信社

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日本オリンピック委員会(JOC)は11日、2008年北京五輪陸上男子400メートルリレーで銅メダルを獲得した塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治の4選手による日本が7日付で銀メダルに繰り上がったと発表した。国際オリンピック委員会(IOC)から通達があった。メダル授与式は後日行われる予定。
 ウサイン・ボルトを擁し、優勝したジャマイカのリレーメンバーだったネスタ・カーターがドーピング再検査で禁止薬物に陽性反応を示して失格が確定したため。カーターは処分を不服としてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴えを起こしたが、5月下旬に棄却されていた。



何かようわからんけど、10年目にして「銅」から「銀」へ?
でも、何でまた今頃・・・
そしたら4位だったブラジルが「銅」に繰り上げ?
今さらそんなこと言われてもねえ・・・

ほんまようわからんはなし。


# by kirakuossan | 2018-12-11 23:21 | スポーツ | Trackback
2018年12月11日(火)

第55回全国大学ラグビーフットボール選手権大会
12月16日(日)キンチョウスタジアム

12:05
慶應義塾大学(関東大学対抗戦Aグループ3位) VS京都産業大学(関西大学Aリーグ3位)
14:05
立命館大学(関西大学Aリーグ2位) VS明治大学(関東大学対抗戦Aグループ4位)


 今度の日曜日は愉しみだ。関東勢を撃破するのは至難だが、でも今年は例年ほどに大差がないと言われていてチャンスはある。昨年は関西2位の京産大がリーグ戦4位の法政に55-31と快勝、続く準々決勝でも対抗戦2位の明治に21-27と善戦した。
 一方、昨年3位だった立命館は対抗戦3位の慶応大と対戦。2013年の関西リーグ優勝時には22-26と健闘した相手だったが、まさか屈辱の12-101と大敗。ただ明治とはこの13年に12-10で一度勝利したこともあって、昨年のような大敗ということはないだろう。また、2016年に京産大も明治に26-22と勝っており、早稲田や慶応より組みしやすいかもしれない。関西2位の意地を見せて欲しい。

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昨年の立命館vs慶応戦

# by kirakuossan | 2018-12-11 21:48 | スポーツ | Trackback

おお~寒そ!

2018年12月10日(月)

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今シーズン一番の冷え込み
平成30年12月10日(月)12時現在 天気:晴れ 気温:-4℃

今日は、今シーズン一番の冷え込みになりました。(最低気温-8℃)写真は今朝7時30分の白樺高原国際スキー場前、信号待ち時に撮影しました。県道にもスノーマシンで造られた雪が舞ってきていました。
12時過ぎても気温がプラスにならず、事務所内では下記のような会話がされておりました。
『さみい~わ』と、現場から事務所に戻ってきた・・・S。 T・・・『外は冷えてるよな、一気に気温が下がって、まだ身体が慣れていないから余計寒く感じるんだよな?』 A・・・『12月4日には20度近い気温だったからな』 以上3名(50歳過ぎのおっちゃん達)の会話でした。 「いやいや、寒さが堪えるのは、年齢のせいもあるでしょ?」と、心の中で叫んでました。(笑)
(信州リゾートサービスのブログより)



おお~寒そ!
こんな写真見ると、tuttiのことが気になります。もちろん室内も氷点下だもんな~



# by kirakuossan | 2018-12-10 17:21 | 信州RS便り | Trackback
2018年12月10日(月)

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 久々にナクソスの新着タイトルにレビューしてみた。4~5年前には頻繁に投稿したものだが、またこれからもちょくちょく書いてみようと思う。
 ここでの投稿記事はすでに当ブログで先に書きこんだものである。




ロッシーニ:序曲集(ボローニャ市立劇場管/マリオッティ)

ROSSINI, G.: Overtures (Bologna Teatro Comunale Orchestra, Mariotti)

レビュアー: kirakuossan 投稿日:2018/12/05
d0170835_16251404.jpg期待のイタリア人若手指揮者のひとりミケーレ・マリオッティの新録音が出た。しかも嬉しいことに彼が得意とするオペラ作品で、ロッシーニの序曲集、オーケストラは手兵のボローニャ市立劇場管弦楽団 とくれば、これはもう聴かないわけにはいかない。 2007年11月、ボローニャ市立劇場でのヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」公演の成功を皮切りに、その翌2008年2月より、ボローニャ市立劇場の首席指揮者を務めることに、それは弱冠29歳の若さでの就任となった。 前にも書いたが、イタリアは若手指揮者の宝庫だ。アンドレア・バッティストーニ(31歳)、ダニエーレ・ルスティオーニ(35歳)、そして39歳のミケーレ・マリオッティ。バッティストーニがスカラ座、ベルリン・ドイツ・オペラ、バイエルン国立歌劇場で活躍すれば、ルスティオーニはロイヤル・オペラ・ハウスで、そしてマリオッティはボローニャということになる。三人ともオペラから出発したことも共通点でいかにもイタリア人指揮者である。さらに前二人はそれぞれ日本のオーケストラとも親しい関係にあって、東京フィル・ハーモニー、東京交響楽団といったあんばい。マリオッティは日本での知名度はまだ二人に及ばないかも知れないが、さすが最も年長だけのことはある、懐の広い音楽を聴かせる。上品な軽やかさに加えて溌剌とした愉しいロッシーニが満喫できる。

R. シュトラウス:交響曲第1番, 第2番(バイエルン放送響/リッケンバッヒャー)

STRAUSS, R.: Symphonies Nos. 1 and 2 (Bavarian Radio Symphony, Rickenbacher)

レビュアー: kirakuossan 投稿日:2018/12/08
d0170835_16252195.jpg交響曲第2番 ヘ短調 作品12は、1883年から1884年にかけて作曲された。 第一楽章のアレグロこそは、これからどのように書き進めて行こうか、と少し戸惑うような頼りなさを感じるが、でも第二楽章スケルツォではそれも吹っ切れて、徐々に伸びやかさが出てくる。そして第三楽章アンダンテになると、もうこれは美しすぎて、二十歳の青年が書いた音楽とはとても思えないような滋味さえ感じさせ、途中にはさまれる金管楽器の断片的なモチーフなどはすでにリヒャルト・シュトラウス特有の管弦楽手法そのものを予知させる。そして最終楽章フィナーレのアレグロでは、もうすでに確信に満ちたアプローチである。 ところでここでの指揮者がまた初耳で興味を惹く。リッケンバッヒャー (1940~2014)はスイスの指揮者で、珍しいドイツ物のレパートリーを掘り起こすことに定評があったらしい。主だったオーケストラのポストには就かなかったが、バイエルン放送響を始め、ベルリン放送響、バンベルク響などとの録音をいくつか残した。

# by kirakuossan | 2018-12-10 16:10 | クラシック | Trackback
2018年12月10日(月)

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 今日は一気に10工程進む。トランクリッドを取り付け、テールランプも装着して、後部はだいぶ恰好がついてきた。実はその前に、デカール(ステッカーみたいなやつ)を貼り付ける作業があったが、これは後からでも貼れそうなので、また作業中に剥がれてじじむさいのもなんだし・・・で、後回しにした。(どうせ爺がやってるから別に爺むさくてもいいのだが)
 そのあとフロントフェンダーも左右取り付け完了、これで91号まで終了、いよいよもう少しで100号にいたる。はたして、何号まで続くのか?
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# by kirakuossan | 2018-12-10 15:41 | むつらぼしに夢を託して☆☆☆ | Trackback

”低いレ”のほんと一発

2018年12月9日(日)

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 で、そのFIGAROホールでわたくしめも出演し、「きよしこの夜」を一発ぶちかましてまいりました。
 一発は一発でも、ベル演奏の”低いレ”のほんと一発でありました。

# by kirakuossan | 2018-12-09 19:24 | その他音楽 | Trackback

素敵なハープ演奏会

2018年12月9日(日)
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 大津膳所の一角にある洒落たFIGAROホールで松井君の妹さんらが演じる素敵なアイリッシュハープ演奏会が開かれました。
 ヘンデルのシャコンヌ、バッハの「羊は安らかに草を食み」と「主よ人の望の喜びよ」、エルガーの「愛の挨拶」、ホルストの「ジュピター」などなど心安らぐひとときを味あわせていただきました。
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 またクリスマスも控え、きよしこの夜や諸人こぞりてなども奏でられ気分はより一層盛り上がりました。
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# by kirakuossan | 2018-12-09 18:38 | クラシック | Trackback
2018年12月9日(土)

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松井君と忘年会第一弾。
珍しくワインなと。。。
松井君行きつけの、魚河岸の伊勢湾でとれた🐡は美味かった。
サンタナのLPで始まり、小林旭から松山千春、そしていずれ四季へ、〆はヴィヴァルディのマンドリン。
すっかり日付は変わっておりました。     (2018年12月8日)
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# by kirakuossan | 2018-12-09 08:45 | 食・酒 | Trackback
2018年12月8日(土)

いい曲、なんの曲。

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今年の6月にも「リヒャルト・シュトラウス、絶対音楽から標題音楽への過渡期の作品」と題して、リヒャルト・シュトラウスが22歳の時に書いた交響的幻想曲「イタリアから」のことにふれたが、その「イタリアから」の2年前の20歳のとき、これはまちがいなく、将来大作曲家になるであろうことを暗示させる交響曲をすでに書き上げている。
交響曲第2番 ヘ短調 作品12は、1883年から1884年にかけて作曲された。
第一楽章のアレグロこそは、これからどのように書き進めて行こうか、と少し戸惑うような頼りなさを感じるが、でも第二楽章スケルツォではそれも吹っ切れて、徐々に伸びやかさが出てくる。そして第三楽章アンダンテになると、もうこれは美しすぎて、二十歳の青年が書いた音楽とはとても思えないような滋味さえ感じさせ、途中にはさまれる金管楽器の断片的なモチーフなどはすでにリヒャルト・シュトラウス特有の管弦楽手法そのものを予知させる。そして最終楽章フィナーレのアレグロでは、もうすでに確信に満ちたアプローチである。



リヒャルト・シュトラウス:
バイエルン放送交響楽団
カール・アントン・リッケンバッヒャー(指揮)


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ところでここでの指揮者がまた初耳で興味を惹く。リッケンバッヒャー (1940~2014)はスイスの指揮者で、珍しいドイツ物のレパートリーを掘り起こすことに定評があったらしい。主だったオーケストラのポストには就かなかったが、バイエルン放送響を始め、ベルリン放送響、バンベルク響などとの録音をいくつか残した。


# by kirakuossan | 2018-12-08 08:51 | いい曲、なんの曲 | Trackback
2018年12月7日(金)

正月は豪勢にこれで決まりだな!

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なんと!実はこれ、ワンちゃんのおせち






お正月は豪勢に 水産加工会社がペット用おせち
2018/12/7 11:30神戸新聞NEXT

水産加工の武田食品冷凍(兵庫県洲本市由良4)が、ペット用おせちセットの販売を始めた。祝い焼き鯛やブリの素焼き、骨付きラム肉のグリル、焼き金時…。特製おせちで愛犬、愛猫と新年を祝ってはいかが。
 2016年に始めた同社のペットフード事業「バウバウ」の一環。同社は、底引き網にかかる、食用には不向きなサイズの魚を淡路島の漁師らから買い取り、ペットフードに加工している。これまでにサメやエイ、ハモ、タイを使ったジャーキー、スティックなどを商品化。調味料などの添加物を使わず、ペットの健康に配慮した商品としてリピーターを増やしている。
 昨年、「甘露煮にするには大きく、開き干しには小さい」という15~25センチ程度のタイを使って正月用の祝い焼き鯛を商品化した。約8千個が売れたため、今年はこの焼き鯛を含めたおせちとして品ぞろえを増強。魚だけでなく、肉や野菜もメニューに加えた。11月1日に予約受け付けを始めたところ、既に約2千セットの注文があったという。
 「ぜいたくな仕上がりの自信作。愛犬、愛猫の新年のお供にぜひ」と武田康平社長(55)。鯛、ブリ、赤エイのテリーヌは犬猫共通。犬用はほかに、ラム肉のグリル▽焼き金時▽黒豆▽鯛だしの筑前煮▽鹿肉のステーキ-が付いて税抜き7800円(全8品)。猫用はほかに赤エイの煮こごり、鳥と野菜のテリーヌが付いて同6千円(全5品)。


ワンちゃんには鯛だしの筑前煮、にゃんこには赤エイの煮こごり。。。
えらい時代になりましたなあ~


# by kirakuossan | 2018-12-07 14:52 | 偶感 | Trackback
2018年12月6日(木)

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ハレ管弦楽団


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イギリスのオーケストラといえばロンドン交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、次いでロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、そしてBBC交響楽団やロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団が思い起こされるが、もうひとつ肝心なオーケストラを見落としがちである。それはイギリスで最古の歴史を誇るハレ管弦楽団である。ロンドン響は1904年創立、ロンドン・フィルが1932年、フィルハーモニアやBBCにいたっては、それぞれ1945、46年と比較的新しい。その中でハレ管弦楽団は1858年と群を抜く古さで、19世紀半ばに誕生、ロンドン響より遡ること半世紀前である。

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ハレといえばバルビローリ、バルビローリといえばハレ、といったことでハレ管の結ぶつきはあまりにも深いが、ジョン・バルビローリが首席に就いたのは戦中の1943年から戦後にわたり、例の大阪万博直前の急逝まで27年間。トーマス・ビーチャム (1915-20)やマルコム・サージェント (1939-42)の後継であった。

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中興の祖がバルビローリであれば、ハレ管弦楽団を興したのは、ドイツ人ピアニストでのちにイギリスに帰化したカール・ハレである。そもそも1857年のマンチェスター美術展で演奏会を催すために結成されたもので、その後引き続き組織を存続させることとなり、ハレが1895年76歳で亡くなるまでの37年間、首席指揮者の地位にあった。
ところで意外なことに古い歴史を有しながら、なぜか来日に恵まれなかった。初来日が前任の首席指揮者ケント・ナガノ(1992-99)のときで、1996年とごく最近の出来事である。その3年後に再びやって来たが、その後はどうだか定かでない。他のイギリスのオケと違って、日本へやって来たという記憶はほとんど薄いのである。2000年から現在までマーク・エルダーという指揮者が首席の地位にあるが、エルダー自身、イギリスのプロムスなどでは名を聞くが、日本ではなじみが薄いからおそらく来日していないのだろう。
いま、そのエルダーが指揮するエルガーの管弦楽曲を聴いているが、ゆったりとしたテンポで落着いた演奏を聴かせる。このオーケストラの響きはどちらかといえば印象に残りにくいような気がするが、それはなにも演奏水準が低いというのではなく、聴く者にとって耳障りがなく元来自然と入ってくる響きなのである。でも普段は優しくても、バルビローリの指揮でも見られるような、時には想像を絶するほどの根太の響きも聴かせる。そんな実力を蓄えた素晴らしいオーケストラ、演奏会場で是非とも生の音を聴いてみたいものである。



d0170835_21433415.jpgエルガー:
ハレ管弦楽団
マーク・エルダー(指揮)
録音: 29-30 September 2015, Hallé St Peter's Ancoats, Manchester



d0170835_21434487.jpgマーラー:
ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)
ハレ管弦楽団
ケント・ナガノ(指揮)



d0170835_22403345.jpgエルガー:
ハレ管弦楽団
ジョン・バルビローリ(指揮)
録音: 1956

# by kirakuossan | 2018-12-06 20:24 | 世界のオーケストラ | Trackback
2018年12月6日(木)

ソフトバンクで通信障害原因調査中、広範囲か
2018/12/6 16:51 共同通信
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ソフトバンクは6日、携帯電話サービスで同日午後1時39分から一部地域で通信障害が発生したと明らかにした。2時間以上経過した午後4時の時点で、異常が継続している。原因や規模など詳細については「調査中」と説明している。
音声通話とデータ通信が利用しにくいか、利用できない状態となっている。首都圏や関西など広い範囲で発生している可能性がある。所管する総務省も問題の原因を確認中としている。


料金未納のせいとちがいまっせ

ということですので、只今私に電話されても通じません。悪しからず。
(17:30現在)


どうにか復旧したようです。
(19:00現在)

ソフトバンクは今月19日に上場する予定で、ソフトバンクグループ(SBG)から携帯子会社として独立を目指す直前のトラブルとなった。タイミング悪く投資家へのイメージダウンは避けられそうにないのでは?



# by kirakuossan | 2018-12-06 17:31 | 偶感 | Trackback
2018年12月5日(水)

木曾神坂村萬福寺の松雲和尚が廻國の旅を思ひ立って来て、長崎の港に出たのは明治二十九年である。かねて用意して来た廻國帳には神坂村字馬籠にある寺の前住職なることをことわってあり、宗旨は臨済宗、本山は京都妙心寺として身元を明かしたものを所持して来てゐる。その帳簿のはじめにも記してあるやうに、行く先に辿り着いた寺院なり在家有志の許なりで晝は中食、夜は一宿を願って見ることにし、それの叶はないところでは木賃宿にも泊って、そんな風にしてこの廻國の旅を続けて来た。~
松雲和尚がこの旅に来た頃は最早七十の歳を迎へてゐた。尤も、その年齢になってこんな諸国神社仏閣の参拝を思ひ立って来るまでに、和尚には長い支度があり、前の年にはすでに遍歴を始めてゐて、その一部の廻國をすますまでに、あるひは徒歩、あるひは汽車、あるひは人力車や船で、それに逗留したところどころの日数を入れると都合二百十三日程を費やした。

70歳を越えた木曾神坂村の前住職、まさしく藤村自身を投影しているものと考えられるが、そんな松雲和尚は九州長崎まで足をのばし、長崎では大喜庵の方丈をはじめ寺の人々の好意により数日滞在することになる。長崎に来るまでに、京都、近江路、大和路、紀州路から四国へかけて旅を済ませたとあり、そして長崎より熊本、鹿児島へと廻り、それを終えると、もう一度東京の空を望み得るなら、諸国神社仏閣参拝の思い立ちも目的の半ばを果たすこととなる。
そして、前回にも世話になった東京芝口の旅館両國屋の亭主多吉に上京通知の便りを出す。


前年の冬に起った馬籠の大火の委しい消息を多吉の許へもたらして来たのも、この松雲である。馬籠は恵那山麓の風当りの強い位置にあるところから、往時の宿場時代にもしばしば火災に苦しめられた話は古老の口に残ってゐる。そんな土地柄で火を失してはたまらない。それ火事だと言ひ騒ぐ頃には、火の手はすでに町の中央に揚り、見る見る上町の方へ延焼して、目貫きの場所にあった舊本陣をはじめ、伏見屋、梅屋、問屋、枡田屋、蓬莱屋なぞの居宅は残らず焼失した。~
「して見ると、火元はやはり宿屋でしたか。ですから、宿屋家業をするものには火が一番怖い。和尚さまの前ですが、わたしなぞは毎晩夜中に起きまして、自分で家中を一廻りしないうちは、よく眠れません」
と多吉は今更のやうに言ふ。
兎にも角にも、馬籠峠の上のやうなところに古驛の俤をとどめて、東西交通の要路に当ってゐた宿場の跡も、この大火のために形を変えるやうになって行った。維新前まで親代々からの家柄として脇本陣、年寄役、問屋なぞの宿役人を勤め、村でも旦那衆として立てられた舊家の人達の没落は最早掩ひ隠すべくもない。今後の郷里に来るものは、全く山の上の農村時代であるであらう。それにしても松雲と多吉との二人は言ひ合わせたやうに、あの十八代と続いて大家族の住んだといふ舊本陣青山家の屋敷跡がこの火災で罹ったのは惜しいといふ話に落ちて行った。~


「東方の門」の第三章五にいたり、

日清戦役が来た。この戦役が来て見ると、維新以来の明治の舞臺も漸く一転しかけて来た。明治初年にあれほどの全盛を誇った平田一門の人達にしても、その後各自の生涯に特別な時代を迎へながら、あるひは不幸にも学業半ばにして挫折し、あるひはすでに追々とこの世を去ってゐた。過ぐる二十余年の間、人間精神の動揺もはなはだしく、まだまだ暗いところにあったこの國のもののたましひは、しきりに物を探しはじめた。一時は目立たないところに潜んでゐたまことの武士の道といふものがもう一度見直さるるやうな日を迎へたのもこの戦後であった。會ては法然起り、親鸞起り、道元起り、日蓮もまた起った時代のことがもう一度振り返って見らるるやうに成ったのもこの戦後だ。いかに日本が歴史的な転回を持たねばならなかったほどの容易ならぬ時機を通過したとは言へ、時代のものの性格を形造った腰骨の強さはまた各方面に顧はるる気運に向って来た。
松雲が東京に来て聞きつけたのも、この時代の跫音である。和尚が耳にした狭い範囲だけでも、
(昭和一八年八月二一日午前九時擱筆)

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島崎藤村が、第二次大戦後に書こうとしていたことを、急遽、戦中の18年に書き始めたのは、巻頭の「東方の門を出すに就いて」でも自らが語るように、「いささか自分でも感ずるところあって、かく戦時の空気の中でこの稿を起すことにした」で告白しているが、それは、どんな結果になるにしろ、古来からの日本の素晴らしさを愛し、どこまでも日本人特有の腰骨の強さを忘れぬことをあえて言いたかったのではないだろうか、それとも、自らの生の終着が近づいているのをうすうす感じとっていたのかも知れない。

松雲が東京に来て聞きつけたのも、この時代の跫音である。和尚が耳にした狭い範囲だけでも、

と、書き終えたところで、
「涼しい風だね...涼しい風だね...」と二言つぶやき、大磯の書斎で深い眠りについた。
未完・「東方の門」




# by kirakuossan | 2018-12-05 13:47 | 文芸 | Trackback
2018年12月5日(水)
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島崎藤村の「東方の門」は歴史小説であり、時には政治小説や経済小説の様相を呈する。その意味では、小説と呼ぶより随筆に近いものがる。多吉が使いに来た菖蔵を相手に自分の胸の中にたずさえていることを語ってみせる、これなどは藤村自身の考えるこれからの新しい産業人の在り方などをありのまま多吉を通して代弁させたものだろう。また第二章の終りに、「東洋人の意」を述べる箇所があるが、これなどはまさに藤村の本心そのものである。





日清戦役後は、東洋の事情も一層その複雑な関係を増した。従来吾國は支那とは無条約の國であったが、明治四年始めて同國と修好条約ならびに通商章程を締結した。それまでの支那人は内外人に労務を提供する苦力のみであったといふ。条約締結以来、通商貿易もにはかに盛んになり、各種の職業を持つものも渡来して、明治十年には清國理事府の設立を横濱に見、最初の領事范陽明の着任を見るほどになった。日清戦役前には横濱南京町に三千人の居留者を敷へたとのことである。それらの居留者は上海や南京の出身者を主にして、南支那沿岸地方のものが多く、概して商業に専らな人達であった。人も知るごとく、多くの支那人は通商貿易の民で、この國に居留するとは言ひながら、この國を知らうとする念慮もすくなかったもののやうである。
何と言っても吾國はまだまだ発展の途上にあった。その間には過渡期の現象もすくなくはなかったから、たまたまこの國を知らうとする隣國人があっても、まことの日本の姿の捉へがたさに苦しむといふ点もあったであらう。~

しかし、ここに見逃せないことは、こんな一大革新を喚び起こした古代復帰の熱い東洋人の意(こころ)は、ひとりこの國にのみ興ったとは限らないことである。
伝へ聞く、印度はさう不甲斐ない國民のみの住むところではない。英國政府が政治上、印度人をして外國人の支配下に立つとの観念を生ぜざらしめんがためには種々な方便をめぐらしたとも言はるるが、世界に古い文明國を祖先の地とする印度人の中には気概のあるものも起って國民の覚醒を促しはじめたのは、十九世紀の中頃よりであるといふ。いかにせば彼等の支配者をしてかく強力ならしめた原動力に対抗し得べきやとは、それら印度人士の念頭を離れないことであって、西の欧羅巴よりする科学的文明なるものは日夜彼等が研究の対象となった時代もあったとか。そのさかんな反抗は印度にも興った。古代印度に帰れとの聲がそれであった。
けれども、印度には古代と近代があって、その間を繋ぐものには、どうも缺けてゐたかのやうに見える。支那大陸方面はどうであったらう。あのマルコ・ポウロのゐたといふ元朝宮廷の空気は果して何を語るものだらう。早い元朝の歴史はまったく支那の伝統を切断してしまったかに見える。明朝より清朝と降って来るにつれ、その間には鋭意叡明で聞えた君主があって、古代支那の長い文化の積み重ねを回復しようとするやうなことがあっても、元朝以来破壊された伝統をどうすることも出来なかったのではあるまいか。國情こそ異なれ、古代と近代とを繋ぐものに缺けてゐたことにかけては、支那も印度と同様であったかのやうに見える。
ここにわが國の違ふところがある。あの日本海の海岸に連なり続く高い岩壁を望み見たほどのものは、大陸に面して立つ一大城郭に似てゐることに気づくであらう。五ヶ月もの長さに互る冬季の日本海の活動から、その深い風雲と荒れ狂ふ怒涛とから、この島國を護る位置にあるのも、あの海岸の岩壁である。そこには到るところに湧き出づる温泉があり、金、銀、銅、鐡、石炭、その他の鉱物を産する無尽蔵の宝庫もある。ラフカヂオ・ハーンのやうな人をして「これより麗しい洞窟は世界中殆んど想像し得ない」と言はしめたほど、空気の如く明澄な海水を内に堪へ、また幾多の古い伝説が生れて来てゐる数限りないやうな洞窟によって飾られてゐるのもその海岸である。
この腰骨の強さこそ、北支那からも南支那からも大陸的なものを受けとめることの出来た祖先の姿であらう。西洋よりする組織的で異質な文明の開発と破壊とに対するこのと出来たのも、またこの腰骨の力と言ふことが出来よう。~


ここにあるのが、藤村から見た、まさしく「東方の門」なのか。
(一部好ましくない表現もあるが、藤村の原文のまま載せた)


つづく・・・





# by kirakuossan | 2018-12-05 08:19 | 文芸 | Trackback
2018年12月4日(火)

Kao(花王)のHPの中で石鹸の始まりとして紹介されている。
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花王石鹸は、1890年(明治23)に生まれました。この頃の石鹸は、高価な贅沢品であった舶来物か、廉価で手に入りやすいが品質の劣る国産のどちらかしかありませんでした。この状況をなんとか変えたいとの使命に燃えたのが、当時東京・馬喰町で洋小間物商を開業したばかりの長瀬富郎でした。友人の職人や研究者らと力を合わせ、また自らも調合技術を学んで半年にわたる試行錯誤の結果、ついに完成。ひとつひとつ、ろう紙で包んだ上に能書と証明書を巻き、桐の箱に収めるという、中身も包装も高品質を追求した純国産石鹸が誕生したのです。





島崎藤村
の小説「東方の門」のなかに、木曽出身で東京芝口で旅館両國屋を営む多吉が木曽福島から上京してきた使いの植松菖蔵という若者に語るなかで出てくる。東美濃の出で、同じように東京に出て来て事業を始めた千十郎という人物が紹介される。彼こそがここにある花王の創業者長瀬富郎であろう。


千十郎はまだ若い頃に東京をめざして来て、日本橋馬喰町に指折りの商人宿で先ず草鞋をぬいだ人である。やがて、ある人の世話で吉田商店といふ洋小間物問屋の店に雇はれ、「千どん、千どん」と呼ばれて働くうち、この人と思ったら裸になっても盡すと言ったやうな気象は大いに主人の気に叶ひ、追々と取り立てられ、後にはすっかり帳場を任されて、店の鍵まで預かるほどの番頭の位置に進んだ。両國屋の主人が千十郎を知ったのは矢張馬喰町時代であるが、この年も若く気も鋭い番頭が商品見本を入れた大きな風呂敷包を背負ひながら、両國屋に止宿する美濃衆の客のところへも注文取りの宿屋廻りに来た角帯前垂掛の姿を未だによく覚えてゐる。~時に千十郎漸く二十四歳、翌明治二十年の六月には独立して馬喰町二丁目の板新道にささやかな暖簾をかけ巣山洋品店を開いた。~


洋品店での仕事の傍ら、いちはやく千十郎は石鹸に目をつけ、つくづく和製品の無力を痛感し、舶来品に対抗しうる石鹸づくりを目指す。そして明治23年4月、上野公園で開催された第三回内國博覧會の石鹸出品物を見て、一層千十郎は自家創業の決心を堅めることになる。


多吉は、まるで贔屓役者の噂でもするやうに、これからの實業は千十郎のやうな行き方でなければなるまいとの意味を相手の菖蔵に伝へようとした。その千十郎とは、どことなく武骨な美濃人で、すこし若いさかりに売り出すと茶屋酒の味を覚える旦那衆のやうな風はなく、質素で手堅い仕方の中にも闊達な動きを懐にしてゐる新しい産業人であるといふ。その人は、静岡の方へ船便で送るべき自分の店の荷物があって、それを積んだ船の清水港へ着く前に難船したと聞けば、無論先方注文主の損失となるのが普通の場合であるのに、そこが千十郎らしいところで、先方に損をかけない。早速それだけの新しい荷物を送ってやる。そして先に出した送り荷には保険がつけてあるから当方の損にならない、受け取って呉れ、と挨拶してやる。ただ算盤ばかり弾くことを知って、得意先を大切にも思はず、この世に奉仕する篤い心掛けのないものに、さういふ遣り方は出来ないと菖蔵に語り聞かせた。当時荷物に保険をつけるやうな本舗はどこにもなかった頃のことだとも語り聞かせた。

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藤村は多作家ではなかった。たしかに若くして詩を書き、1906年、34歳にしてようやく小説「破戒」を世に出した。そのあと続けて「春」(1908年)、「家」(1911年)、そして1912年には「千曲川のスケッチ」を書いたが、それから7年後の1919年「新生」を出した頃にはすでに47歳になっていた。そのあと10年の長きにわたるブランクがあったのちから連載を書き出し、還暦を迎えた頃に大作「夜明け前が」生れる。そしてまた長い沈黙の時期を経て、戦中の1943年から「東方の門」の執筆にとりかかる。
「東方の門」を中央公論に連載するにあたり、藤村は冒頭でこう述懐している。


久しい無沙汰の後で、今回一作を本誌に寄せることになった。わたしはそれを読者諸君に告げ、また先年前作を本誌上に連載した時と同じやうに今回もこれを年四回に分け、来春正月の新年號より載せはじめて、四月、七月、十月の順に連載の予定であると、あらかじめそのことを含んで置いて貰へば、それでも足りるので、何もここに前置きするつもりはない。長いことわたしも黙し勝ちに日を送って来たから、さだめし読者諸君の中にはめづらしく思って呉れる方もあらう。作者としてのわたしは、日頃の自分の願ひとしても、成るべくやさしい言葉でこれを綴るであらうと言へるのみで、これが小説と言へるかどうか、それすら分らない。すべては試みである。ともかくも書いて出て見る。實はこの作、戦後にと思って、その心支度をしながら明日を待つつもりであったが、かねて本誌編集者に約したことも果たしたく、いささか自分でも感ずるところあって、かく戦時の空気の中でこの稿を起すことにした。



「東方の門」は、序の章、第一章、第二章、第三章と4部に分かれているが、江戸末期の長崎を舞台にして読み物は始まり、シイボルトが登場し、次に平田篤胤や、本居宣長に触れ、幕末の日本の状況を振り返る。このあたりはまるで歴史小説か、実録といった趣きで藤村自身が語るように小説とは言えないだろう。そして第一章で木曾神坂村萬福寺の松雲和尚が登場し、さらに第二章では両國屋主人の多吉が、千十郎について語る場面となる。



つづく・・・




# by kirakuossan | 2018-12-04 19:09 | 文芸 | Trackback

「俺がルールブックだ」

2018年12月4日(火)

今年を振り返ると、1年を通して野球観戦に熱心であった。いつもながらの立命館応援の高校野球、大学野球はもちろんのこととして、今年は久々にテレビとネット観戦だったがプロ野球もよく見た。これも立命館大学出身のドラフト1位東克樹投手(ベイスターズ)の活躍見たさであって、その甲斐あって見事な活躍で11勝を挙げ、新人王にも輝いた。
ところで、多少気になったことがひとつある。例のリプレー検証だ。いつからこんなものをやりだしたのか? 今までだったら、少々不可思議でファンから不満が出てもそのまま素通りしていたのに、際どいプレーが出るとすかさず権利主張が出来るとあって頻繁に監督からの手が上がる。そのほとんどが、審判員の判定が正しいことの方が多いように思うが、観ている者にすれば、せっかくの緊張した場面に水を差されたようであまり気分のよいものではない。それに、審判の「威信」そのものをも脅かしかねないことであって、審判員にとっては苦々しいことだろうと思う。
d0170835_07104301.jpg「俺がルールブックだ」と言い放った審判員二出川延明氏の存在が思い出される。もし今のビデオ検証を耳にしたらどう言うだろう。
でも片方で、昔はこれも”愛嬌”といって笑ってはおれないが、こんなこともあった。ルールはルールでも”2ストライク3ボール”、今で言う”3ボール2ストライク”で四球を宣告した審判員がいた。その誤審を下した第一号球審が名選手で鳴らした苅田久徳球審。この人は選手時代、あの二出川球審の判定に抗議し、「無礼者!」と言われて日本プロ野球史上始めて退場した人物でもあった。その苅田球審が、1953年8月21日の大映対近鉄戦で”2ストライク3ボール”を四球にしたのだ。
その次が、中日の近藤真市投手が1987年にルーキー初登板・初先発でノーヒットノーラン達成をする大偉業を成し遂げたその試合で球審をしていた井上忠行球審。その井上球審も1968年4月29日の阪神対大洋戦では”2ストライク3ボール”の四球宣告を下した。そしてその時、ほくそ笑んで四球を得たのが、タイガースの代打男遠井吾郎選手で、まあ、遠井吾郎とはずいぶん懐かしい名だが、若くして亡くなった。今日12月4日はその遠井選手の生れた日でもあった。
そしてもうひとつ気にかかるのが、一部の現審判員の”超ばかでかい奇声”やオーバーアクションである。僕はどうもこういうのは苦手で、「リプレー検証」と同様、観戦に水を差すようでご遠慮願いたいものだ。
あッそうそう、もう一つ、せっかくの熱戦に水を差すのが「タイブレーク」もそうだと思うのだが、いかがなもんか?

と、まあ、こんな話をしていると朝から尽きないのである。



# by kirakuossan | 2018-12-04 07:01 | スポーツ | Trackback
2018年12月1日(土)

d0170835_10332450.jpgヘンデルと同時代を生きたイギリスの音楽家モーリス・グリーン(1696~1755)は若くしてセント・ポール大聖堂の少年聖歌隊員で活動したあとオルガニストとしての研鑚を積み、ヘンデルの活躍の前に、自分は自分の生きる道として教会音楽の作曲につとめた。ほかに多くの合唱曲や器楽曲を残したが、ソネット集もそのひとつで、14行から成るヨーロッパの定型詩ソネット、それは14行でなければならず、最後の2行は押韻された結末を持っている。ここにでる「スペンサーのアモレッティによる25のソネット集」。シェークスピアと同時期の、エリザベス1世の時代に活躍した詩人エドマンド・スペンサー(1552~1559)の詩による歌曲集で、英国音楽の歴史の中でも最古の歌曲の一つとされる。聴くほどに味わい深く古き良き時代の英国の風景を彷彿させるものである。



d0170835_10222102.jpgグリーン:
スペンサーのアモレッティによる25のソネット集
ベンジャミン・ヒューレット(テノール)
ジャンジャコモ・ピナルディ (テオルボ)
ルーク・グリーン(チェンバロ)
録音: 20-22 February 2012, Britten Studio, Snape Maltings, Suffolk, U.K.


ところで、モーリス・グリーンという名を聞いて思い出した。あのアメリカの生んだ短距離界のエースランナーと同姓同名である。



# by kirakuossan | 2018-12-01 09:32 | 知られざる作曲家 | Trackback
2018年12月1日(土)

トランプ大統領「良い兆し」と発言-習中国主席との夕食会控え
Jennifer Epstein、Saleha Mohsin、Peter Martin2018年12月1日 5:59 JST/Bloomberg

トランプ米大統領は中国の習近平国家主席との会談を翌12月1日に控え、「いくつか良い兆し」が見られると述べた。
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Donald Trump and Xi Jinping in 2017.

Photographer: Qilai Shen/Bloombergd0170835_06533316.png






今日ブエノスアイレスで開かれる首脳会談、今回も是非こうあって欲しいものです。



# by kirakuossan | 2018-12-01 06:34 | 海外 | Trackback
2018年11月30日(金)

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最近、朝晩冷え込むので二階から一階へ引っ越してきました。
いつも狸と思い違いするのですが、実はもぐら君なのです。






ところで明日から師走。
まったく早いもので、つい先刻、蓼科温泉小斎の湯の看板娘犬リズムちゃんが登場した年賀状を書いたばかりに思うのに。
来年は、か・・・
これは困ったなあ、飼っているところもなさそうだし、かといって、京都岡崎へ行っても多分いないだろうし・・・

「どうや? アンタ、賀状に出るか?」
「うむムムム...」
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# by kirakuossan | 2018-11-30 08:08 | 偶感 | Trackback

またとない日々

2018年11月29日(木)


パステルナークの詩集からもうひとつ、
生涯、最後の詩。

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またとない日々


どれほど多くの冬を経たことか
けれども冬至の日は忘れない
冬至の日は一度きり さうして
数へきれず繰り返されて来た

その冬至の日の順序は
しだいにしだいに並びー
またとないその日々は
時が止ったと感じられたではないか

わたしはその日をすべて記憶てゐる
冬が半ばに近づくと
雪道は水に濡れ 屋根からしづくが流れ落ち
太陽は氷塊の表面で熱する

愛するものたちは 夢うつつに
互ひに せはしなく求め合ひ
木立の高みに
椋鳥の巣箱が汗ばんでゐる

時計の針は うつらうつら
文字盤を回るのさへ気怠く
果てしなく永い一日がつづき
抱擁は 終はらない

1959

パステルナーク詩集「晴れようとき」より

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彼が少年時代に作曲したピアノ曲が残っている。 1906

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ボリス・パステルナーク:
前奏曲 嬰ト短調
Prelude in G-Sharp Minor
ロジャー・ウッドワード - Roger Woodward (ピアノ)

# by kirakuossan | 2018-11-29 23:12 | 文芸 | Trackback